思想・教義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 18:45 UTC 版)
「コンスタンチン・ポベドノスツェフ」の記事における「思想・教義」の解説
ポベドノスツェフは、人間の原初たる自然は罪を持つという見解を抱いていた。従って、彼は、自由や前近代から独立した人間性の解放などの西欧の思潮を「ニヒリズムに取りつかれた若者の危険な妄想」として拒絶した。彼自身の著作のなかでは、しばしば「ひとりの個人の思想及び言語は、彼自身ではなく、人類全般の所有にある」と、他の作家から適切な出典の無いままの引用が見出される。 アレクサンドル3世の初期の治世において、ポベドノスツェフはスラブ派として思想を形成し、更に西欧諸国の制度は根本的にはロシアにとっては悪であり、ロシアの独自性、すなわち、ロシアの国土の広さや民族構成の複雑性、民度の遅れから適用できないとして、ロシア国家と正教会の一体化を主張する反動主義へと転換した。一方で同時期にゲルツェンの『ロシアの声』に寄稿をしている。 ポベドノスツェフは、民主主義を「下品な民衆の手に負えない独裁政治」であると見なし批判した。議会による行政・司法の統制(すなわち議会制民主主義や陪審制)、言論の自由、宗教教育に対峙する意味での普通教育は嫌悪の対象であった。 西欧合理主義が産んだこうした危険物に対して、彼は、数世紀に渡る歴史の中で大衆の信仰心により形成される均衡の重視を見出した。ポベドノスツェフの視点によれば、人間社会の自然的発展は植物の成長に例えられ、人間は社会的発展の全法則を見出すことは不可能であり、社会を改変しようとするどんな試みも暴力や犯罪と同一視される。 実際の政治面においては、ポベドノスツェフは皇帝アレクサンドル3世のフィンランドなどの帝国内の被支配民族に対するロシア化政策に当たって、政策立案と実施面における影響を及ぼした。また、昂揚するロシア・ナショナリズムは、正教会以外の宗教弾圧、就中ロシア国内のユダヤ人に対するポグロムとして現れた。 ポベドノスツェフは反ユダヤ主義を徹底し、系統的な反ユダヤ人政策を明確化した。ポベドノスツェフによればロシア国内のユダヤ人は、総人口の3分の1を移住させ、3分の1を餓死させ、残り3分の1をキリスト教徒に再洗礼させるというものであった。結局、1881年から1920年までの時期に、ロシアのユダヤ人は大規模な国外移住を開始し、約200万人がアメリカに移住したとされる。 ニコライ・ベルジャーエフは、ニヒリズムに基づく人間不信と強権主義という点においてポベドノスツェフはウラジーミル・レーニンと相通じる、と指摘した。
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