思想・業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 08:32 UTC 版)
キリスト教学・哲学・倫理学・教育学の分野で多数の論文や著書を著している。代表作の一つである『血と契約』は、契約概念を歴史的・理論的に追求した独創的契約論であり、日本社会の根源的対立軸を血と契約の関係から示した書として高く評価されている。そして、岩村は、『血と契約』を通して、日本社会の近代化にキリスト教契約観の導入の必要性を主張した。 もう一つの代表作である『情況の倫理』は、米国のキリスト教倫理学者J・フレッチャーが提起した論争を受け、原則倫理と情況倫理を対立軸として捉え、原則倫理と情況倫理のアウフヘーベンを狙っている。 日本の家庭問題、キリスト教倫理、結婚やクリスチャン・パーソナリティー論等の多数の著作の根底にあるパーソナリティーの成熟化というコンセプトは、『情況の倫理』の実践とも言える。 岩村の著作活動は、キリスト教倫理や思想分野で理論的に貢献しただけでなく、異教社会日本でのキリスト教の定着化、土着化を中心的テーマとしており、そこではキリスト教思想・倫理の実践的な必要性を示したものである。
※この「思想・業績」の解説は、「岩村信二」の解説の一部です。
「思想・業績」を含む「岩村信二」の記事については、「岩村信二」の概要を参照ください。
思想・業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/12 03:37 UTC 版)
「ジョン・アトキンソン・ホブソン」の記事における「思想・業績」の解説
ホブソンの学問上の功績は、三つの点に認められる。 第一は、はやくから厚生経済学の立場をとったものとして。彼は数学的方法を中心とし硬直した古典派経済学を批判し、経済理論を社会福祉の問題によって制限され、改革を導くべきものとしてとらえた。 第二は、特権階級の過剰貯蓄と労働者を主とする人々の過少消費としてあらわれる富の不公平な分配を強調したことである。この論は過剰生産と景気変動の説明として、ジョン・メイナード・ケインズに承認され、「有効需要」の概念に発展させられた。 第三は、帝国主義の科学的研究の先駆者として。帝国主義の経済的動因を、過剰生産による資本の蓄積とその投資先を植民地に求めることとしたホブソンの分析は、社会主義者たちに受け入れられ、ルドルフ・ヒルファディングの『金融資本論』(1910) 、ローザ・ルクセンブルク『資本蓄積論』(1913) 、ウラジーミル・レーニン『資本主義の最高の段階としての帝国主義』(1917) などの著作に影響を与えている。
※この「思想・業績」の解説は、「ジョン・アトキンソン・ホブソン」の解説の一部です。
「思想・業績」を含む「ジョン・アトキンソン・ホブソン」の記事については、「ジョン・アトキンソン・ホブソン」の概要を参照ください。
思想・業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 08:20 UTC 版)
ドイツの実証的な歴史学を受けて、「理念」よりも「事実」に重きを置き、歴史一般を動かす動因は経済上の力、つまり商業と工業であると仮定した。しかし、マルクス主義のような封建制から資本主義への連続、という図式的な見方をとらなかった。特に論文「資本主義発達の初段階」では、12世紀に中世資本主義の初期の段階があることを立証した。その論旨はゾンバルトによって「資本主義の発展に関する驚くべき無知」と酷評された。 ベルギー国家の起源について、それを「民族の本質」から説明せず、マース川とシェルデ川によってロマンス語地帯とゲルマン語地帯が絶えざる交流を行っている中間地点であることから生まれた独特の長所をもった国家である、と論述した。 西ヨーロッパの発生、つまり古代世界から中世初期の世界への移行について、「マホメットなくしてシャルルマーニュなし」という文句で言い表されるいわゆるピレンヌ・テーゼを提出したこと。つまり、地中海がイスラムの征服によって、商業地域として閉ざされてはじめて、西ヨーロッパでは古代の経済生活が、それにともなってまた古代文化の最後の名残が消滅した、と。この説はただちに賛否両論を引き起こし、1928年のオスロの歴史学会であらためてこれを論じたが、その報告はきわめて活発な論争を引き起こした。 ピレンヌの文体は明快で親しみやすく、複雑な現象を体系に頼ることなく事実をもって語らせたところに、彼の歴史家としての優れた資質があらわれている。
※この「思想・業績」の解説は、「アンリ・ピレンヌ」の解説の一部です。
「思想・業績」を含む「アンリ・ピレンヌ」の記事については、「アンリ・ピレンヌ」の概要を参照ください。
思想・業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 08:15 UTC 版)
「ソースティン・ヴェブレン」の記事における「思想・業績」の解説
ヴェブレンの、自分が生きた時代への批判は、マルクスとは異なった視点からの現代産業社会への分析となっている。 1899年の最初の著作『有閑階級の理論(The Theory of the Leisure Class)』では、いわゆる「黄金時代」(Gilded Age)の富豪たちの生活様式が人類学の言葉で説明され、彼らの邸宅・贅沢な調度品とパーティー・豪華な衣装は、野蛮人たちのポトラッチ・羽根飾り・狩猟・祭祀と同列に見なされている。ヴェブレンの超然とした記述は、客観的で抑制されているだけ、皮肉を鋭く感じさせる。[独自研究?]この本が当時の読書界に反響をおこしたのは、『誇示的消費(衒示消費、Conspicuous Consumption)』『誇示的余暇(衒示余暇、Conspicuous Leisure)』『金銭的競争(Pecuniary Emulation)』『代行消費(Vicarious Consumption)』などの新奇で印象深い用語とともに、こうした特異な文体に負うところが大きい。さらにヴェブレンが「見せびらかし」と断じた奢侈や余暇は、悪趣味と怠惰の汚名をかぶり、アメリカであからさまには享受できなくなってしまった。 ヴェブレンは『営利企業の理論』(1904年)において、現代の産業を二分して分析している。すなわち、物を作る目的の産業(Industry)と、金儲けの手段としての営利企業(Business)との二分である。ビジネスは産業を推進せずに、むしろ産業を侵食していくというのが、ヴェブレンの資本主義論である。 『技術者と価格体制』(1921年)では、さらに進んで技術者の集団(Technocrat)のソヴィエトによって、生産を統制すべきであると主張した。社会資本は決して利潤追求の対象として市場の条件によって左右されてはならない。社会資本の各部門は、専門的知見にもとづき管理されなければならない。このような具体的な提言は、ヴェブレンの抱いていた急進的な改革思想をもっともよくあらわす。さらに、後のアドルフ・バーリやガーディナー・ミーンズによって採りあげられた「所有と経営の分離」の問題(1932年)が、すでにこの本で提出されている。 ヴェブレンは制度派経済学の創始者と呼ばれる。私的所有より「社会資本」を考慮し、営利企業は産業体制を管理し消費者に消費財を公正に分配する任務には適していないと考えた点において、彼の学説は公認の経済学者のそれとは隔絶していた。 ヴェブレンの知見は、大恐慌とアメリカでのケインズ学派の受容後に、再発見されたといった方がよい。最も早い時期(1936年)にヴェブレンを肯定的に紹介したのが、やはり異端の経済学者とみられていたホブスンであったことは興味深い。ヴェブレンの影響は、ジョン・ケネス・ガルブレイスなどに及んでいるが、まとまった学派をつくったとは言い難い。
※この「思想・業績」の解説は、「ソースティン・ヴェブレン」の解説の一部です。
「思想・業績」を含む「ソースティン・ヴェブレン」の記事については、「ソースティン・ヴェブレン」の概要を参照ください。
- 思想・業績のページへのリンク