資本蓄積
資本の蓄積
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 01:55 UTC 版)
賃金労働者を搾取して資本が得た剰余価値は、資本家の所有するところとなる。資本家はこれを全て消費することも可能だが、「資本の人格化」としての資本家は個人的消費を節約して、剰余価値を再び資本に転化し、資本蓄積がおこなわれる(剰余価値の資本への転化)。ここから資本家の「禁欲」の結果、富が蓄積されるという社会的意識が生じ、禁欲を善とするプロテスタンティズムが資本主義の精神となる(マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)。 資本の蓄積の過程は、ますます多くの賃金労働者が資本に包摂されることであり、資本-賃労働関係の拡大再生産である。歴史的にヨーロッパでは、羊毛生産のために封建領主が農民を土地から追い出す囲い込みによって、農村から駆逐された農民が、産業都市に移住しプロレタリアートに転化した。資本主義の初期に現れる、国家の暴力を利用したプロレタリアートの創出を本源的蓄積という。 また、相対的剰余価値生産に伴う生産力の増大は、剰余価値から転化される資本について、不変資本(生産手段購入に投じられた資本)に対する可変資本(労働力購入に投じられた資本)の比率を相対的に小さくしていく(資本の有機的構成の高度化)。こうして賃金労働者のますます多くの一定部分が、相対的過剰人口(失業者や半失業者)に転化する。資本主義的生産のもとでは、一方で資本家の側には富が蓄積され、他方で賃金労働者の側には貧困が蓄積されていく。これをマルクスは「資本蓄積の敵対」と呼び生産関係の観点からこの現象を分析した自著の『哲学の貧困』第2章第1節を引用している。 資本蓄積の発展に伴って、生産は次第に集積し、自由競争は独占へと転化する。賃金労働者によって担われる生産の社会化が進む一方で、依然として富の取得は資本家に委ねられて私的なままであり、資本と賃労働の間の矛盾はますます大きくなる。この矛盾が資本主義の「弔いの鐘」となる、とマルクスは第1部を結ぶ。 第1部では、剰余価値が生産過程において賃金労働者からの搾取によって生み出されていることを示した。剰余価値は利潤、利子、地代の本質、実体であり、利潤、利子、地代は剰余価値の現象形態である。これらについては、第3部で分析される。
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