第2篇
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「エミール (ルソー)」の記事における「第2篇」の解説
第2巻は、子どもと世界の最初の関わりに関するものである。ルソーは、この段階では、子どもたちの教育は本からではなく、感覚の発達とそれらから推論を引き出す能力に重点を置いた、子供たちの世界との相互作用から得られるべきであると信じていた。ルソーは、この段階で教育に成功した少年の例でこの章を締めくくっている。父親は男の子を飛んでいる凧から連れ出し、影だけを見て凧の位置を推測するように子どもにいう。これは子どもが具体的に教えられたことのない仕事であるが、物理的な世界の推論と理解を通して、子どもは彼の仕事を成功させる。ある意味で、このアプローチはモンテッソーリ法の先駆けといってもよい。
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第2篇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 15:06 UTC 版)
第2篇で論じられるのは資本蓄積の問題である。分業が発展するためには、それに先立って剰余生産物が蓄積されている必要がある。というのは、分業を始めるには、それを支える機械や設備を整える必要があるし、分業による生産物が実際に交換されるまでの生活も支えなければならないからである。 スミスはこの問題を扱うのに際し、労働を生産的労働と不生産的労働に分けた。前者は農業や工業を指すのに対し、後者はサービス業を指す。これらを分ける基準はスミスが富と定義した生活の必需品・便益品を生産するかどうかであって、不生産的労働が持つ社会での有用性を否定するものではない。 スミスは生産的労働から資本が蓄積されると捉えた。スミスは生産的労働の生産物のうち、生産に用いられた分の資本が回収され、残った部分が剰余となる。剰余は税及び消費(不生産的労働の雇用を含む)に充てられ、残りの部分が貯蓄となり、この貯蓄がすなわち資本の蓄積に回される。言い換えると、剰余の中から税と消費に回る分を抑えれば抑えるほど、資本の蓄積量は増大することになる。そしてスミスは、人には支出性向と倹約性向があり、長期的には後者の方が上回ると見なした。しかし、倹約性向はあくまでも自身の財産にしか及ばず、公共財産の管理にはこうした性向が働かないと考え、資本蓄積を妨げる要素としては個人の浪費よりも政府の浪費の方が深刻であるとした。こうした考えは、浪費を肯定的に捉えた重商主義とは、対立的なものである。
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