日本初の一覧とは? わかりやすく解説

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日本初の一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/18 00:46 UTC 版)

日本初の一覧(にほんはつのいちらん)は、現存の是非にかかわらず、日本で(あるいは日本人による)初めてのことがらの一覧である。


注釈

  1. ^ この場合の「五大陸」とは、ヨーロッパ大陸ユーラシア大陸アフリカ大陸北アメリカ大陸南アメリカ大陸を指す。なお、ヨーロッパ大陸はモンブランを登頂した。
  2. ^ ここでいう「日本公認」は「当時の日本陸軍の公認」を踏襲したもので、今日においても12月19日が「日本初飛行の日」とされている論拠である。
  3. ^ 白瀬京子は、マゼラン海峡を含む一部区間、乗船していない。このため、白瀬個人は、ヨット世界一周は達成していない。
  4. ^ 岡崎は途中棄権と棄権で終わっている。阪上は最高成績が第4位である。
  5. ^ 玉釧(たまくしろ)とは、玉(ぎょく)で飾った腕輪
  6. ^ 神庭。神の儀式を行う場所。
  7. ^ 天皇や皇后に近侍し、食事など身の回りの庶事を専門に行う女官
  8. ^ 山下知恵は、父である山下万蔵に最初は怒って拒絶していたが、3日後に情事が行われる。この情事により、密通で出来た子供がいる状態であったが、懐妊した。しかし、1872年(明治5年)3月に山に登っている途中転落して、流産している。その後も情事を重ねていたが、同年7月3日に捕まり、翌年7月7日に父と共に無期懲役(終身懲役)の判決が出る。当時の法では、この様な行為は違法であった。また、判決前に神奈川県から司法省に出した伺いでは、父娘共に梟首(獄門)にするよう求めていた。山下知恵の他に2件(東京府と愛媛県で其々1件)、同様の理由で父娘共に無期懲役の判決が出ており、どちらも1873年(明治6年)に判決が下され、この年に無期懲役の判決が下された女性の判決理由は全員父との情事となった。また、東京府では、植村ヒテが14歳であり15歳以下であったため、収贖[26]することで、無期懲役を受刑することを免れている。なお、当時の無期懲役の収贖金額は35円(現在の価値で70万円)である。
  9. ^ 植村ヒテは、1874年(明治6年)3月9日夜に父である植村虎次郎の欲情をきっかけに情事を重ねる。そして、同年5月上旬に再び重ねる。そして、植村虎次郎の病気により生活が困難であるためになるように、両親(母は実母ではない。)に言われたが断ったため、両親が怒る。この状況に困り、同年6月2日に自首し、翌日に父が逮捕される。そして、同年10月17日に無期懲役(懲役終身)の判決が父と共に下される。但し、植村ヒテは15歳以下であったため、35円の収贖することで、無期懲役を受刑することを免れている。なお、ヒテは、植村虎次郎の不倫により出来た子供でもある。
  10. ^ 科刑理由:住吉仲皇子側についた阿曇連浜子に従ったため。
    住吉仲皇子は、皇太子で兄の去来穂別(いざほわけ:のちの履中天皇)であると偽り、黒媛羽田矢代宿禰の娘)との情事を重ねた。この行為発覚を恐れ、天皇の宮を包囲し放火。脱出した去来穂別は、軍を再編し竜田山を越えたところで、数十人の武器を持って追いかけててくる者たちがいた。皇太子はそれを見て怪しみ、近くにやってきた時に人を遣って尋ねた。 彼らは、「淡路の野島(のしま)の海人である。阿曇連浜子の命令で、仲皇子のために、太子を追っています」と答えた。そこで、伏兵を出して、取り囲んで捕えられた。後に、本来反逆であり死刑になる所、徒刑に減刑され、倭(やまと)の蒋代屯倉(こもしろのみやけ)での労働を伴う刑を受けた。
  11. ^ 科刑理由:住吉仲皇子側について反乱に加担したため。
    古代日本の豪族。住吉仲皇子側についたが、皇太子の弟の瑞歯別皇子(のちの反正天皇)が仲皇子暗殺を報告し、村合屯倉を与えられたその日に捕らえられた。履中天皇は、即位後の4月に阿曇浜子を呼び出して、死刑から減刑し、入墨刑にすることを宣告。宣告した日の内に、目の縁に入れ墨をした。
  12. ^ 朝鮮語で「婆さん」を意味する俗語[43]
  13. ^ 現在も境内にある「菱形池」。当時は山々に囲まれての実の形をしていたであったと考えられる。
  14. ^ 夜中に垣を乗り越えて脱走した罪で銃手7人の死刑が1869年(明治2年)8月13日に可決された。
  15. ^ 罪状は倉庫に侵入し383円95銭相当(1円を2万円で換算した場合、約770万円[31])の官物を窃盗したことである[51]1877年(明治10年)11月1日に死刑執行が確定し、同月28日に死刑が執行された。他に、上官や同僚から19円62銭の金銭と他人の官給品、逃亡した際に6人に詐欺を行い207円10銭を得たこと、1876年(明治9年)7月3日の脱獄の犯罪を犯している。[52]
  16. ^ 脱賊であったが、長鯨丸に降伏し、艦内に服役する形で働いていた。罪状は、艦内のクロノメーターを盗み、逃走したこと。1869年(明治2年)9月8日に死刑が可決された。
  17. ^ 「大会形式」であり、個人的な遊びが大規模になっただけのものは含まない。「近代的」であり、昔から行われてきた雪遊びの延長線上のものは含まない。以下同様。
  18. ^ 興りが「住民主催」であったものだけでなく「法人主催」であったものも含む。
  19. ^ 「住民主催」であり、学校等の法人主催は含まない。
  20. ^ この説に対しては『薬経太素』なる書は存在しないとする強い批判がある。そもそも同書は『日本後紀延暦18年(799年)2月乙未(21日)条に「(和気広世)大学会諸儒講論陰陽書新撰薬経太素等」とあり、これを「大学に諸儒を会して陰陽の書を議論し、新たに薬経太素等を撰す」と訓じたことに由来する。しかし、同条については、「大学に諸儒を会し、『陰陽書』、『新撰薬経』、『太素』等を講論す」と訓じる説が通説である。『陰陽書』は、詳細は不明であるが、呂才撰『陰陽書』(『大唐陰陽書』)などの陰陽道の基本書を指すと考えられる。また、『新撰薬経』は、蘇敬ほか撰『新修本草』の薬図・図経(略して薬経)のこと、『太素』は、楊上善撰『黄帝内経太素』のこととみられ、両書とも当時の医学の基本書を指すと考えられる。したがって、『薬経太素』なる書は『日本後紀』を誤読した結果生まれた偽書(『続群書類従』に採録された『薬経太素』は後世〈寛文元年[1661年]-延宝元年[1673年]頃か〉になって作られたと考えられる)であり、現在、その存在を支持する説はない。
  21. ^ 八幡製鐵所は1901年操業開始だが、当初状態が不安定だったため、翌年1902年に稼動を停止。本格的に稼動したのは2年後の1904年から。釜石鉱山田中製鐵所は1887年に操業開始、1903年より銑鋼一貫製鉄所として稼動している。
  22. ^ 既婚女性や男性を含む「美人」コンテスト(「ミス・コンテスト」より広義)

出典

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