下川凹天とは? わかりやすく解説

下川凹天

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/15 03:14 UTC 版)

下川 凹天(しもかわ へこてん[1] 、または しもかわ おうてん 〔※読みについては後述〕、1892年5月2日 - 1973年5月26日[1])は、日本漫画家アニメーション作家である。凹天はペンネームで、本名は下川 貞矩(しもかわ さだのり)[1][2]


注釈

  1. ^ 鹿児島県奄美大島説もある。ただし自書の中で「鹿児島県奄美大島生まれ」と書いた清水勲は、津堅信之への私信において引用の誤りであったとしている。(「日本の初期アニメーション作家3人の業績に関する研究」8頁)
  2. ^ 当時の楽天の弟子たちは、芳垣青天、長崎抜天など「天」の字の入った号が与えられていた(『昭和新聞漫画史』)。
  3. ^ ジェームズ・スチュアート・ブラックトン(en)作の『愉快な百面相』(en)1906年)で用いられた作成方法に似ている。
  4. ^ 東京漫画会編『東海道漫画紀行』朝香屋書店、1922年、このページのルビを参照。(近代デジタルライブラリー

出典

  1. ^ a b c 下川凹天(しもかわ へこてん) コトバンク - 典拠は講談社『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』。
  2. ^ a b c d e f g h 『昭和新聞漫画史 笑いと風刺でつづる世相100年』毎日新聞社「別冊一億人の昭和史」、1981年 22-25頁
  3. ^ a b 山口且訓、渡辺泰『日本アニメーション映画史』有文社、1977年、8頁。
  4. ^ 大城「研究(1)」94‐95頁。
  5. ^ 大城「研究(1)」94頁。
  6. ^ 大城「研究(1)」95-96頁。
  7. ^ 大城「研究(1)」96頁。
  8. ^ 大城「研究(3)」129頁。
  9. ^ a b c d e 前田愛・清水勲『大正後期の漫画:岡本一平・下川凹天』筑摩書房1986年、76‐77頁
  10. ^ a b c 大城「研究(3)」、130頁。
  11. ^ 大城「研究(3)」130‐131頁
  12. ^ 大城「研究(2)」68-69頁。
  13. ^ a b c 秋田孝宏『「コマ」から「フィルム」へ マンガとマンガ映画』NTT出版2005年ISBN 4-7571-0132-5、88‐96頁。
  14. ^ 『日本アニメーション映画史』9頁
  15. ^ 津堅「日本の初期アニメーション作家3人の業績に関する研究」7頁。
  16. ^ 1月に公開されたのは『芋川椋三玄関番の巻』ではないとする説もある。同作品の項目を参照
  17. ^ a b c 津堅「日本の初期アニメーション作家3人の業績に関する研究」11頁。
  18. ^ a b 大城「研究(2)」70頁。
  19. ^ a b 大城「研究(1)」97頁。
  20. ^ 大城「研究(3)」136頁。
  21. ^ a b c 津堅「日本の初期アニメーション作家3人の業績に関する研究」8頁。


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