日本アニメの黎明期とは? わかりやすく解説

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日本アニメの黎明期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:06 UTC 版)

日本のアニメーションの歴史」の記事における「日本アニメの黎明期」の解説

日本では1917年大正6年)に初めアニメ作品制作された。当時続々輸入されていた日本国外短編アニメ映画人気受けてのことで、下川凹天幸内純一北山清太郎の3人の作品が同じ年にそれぞれ別々に公開された。 1916年天活天然色活動写真株式会社)で下川凹天が、小林商会幸内純一が、日活北山清太郎独自にアニメーション制作開始1917年大正6年1月下川が手がけた短篇アニメーション映画凸坊新畫帖 芋助猪狩の巻』が公開され国産アニメーション映画第1号となったが、他の2人との差は数カ月程度それぞれ独自の方法製作しているため、3人とも日本のアニメーション創始者として扱われている。3作品はいずれ1917年公開されたが、現存するのは幸内純一の『なまくら刀』のみである。 諸外国同じく当初作られていたアニメ数分程度短編映画多かった作り手個人もしくは少人数工房での家庭内手工業準ずる製作体制で、生産本数少なく生産効率化を可能とするセル画導入遅れていた。1930年前後セル画使われ始まるまでは、日本ではフランスなどと同様、切り絵よるアニメ主流であったその後ディズニーなど輸入されアニメとの競争さらされながら、小規模なスタジオで制作されていた。1953年テレビ放送開始されるまで、アニメ作品鑑賞するには、短編アニメ映画添え物として上映されるのを映画館で見るのが主流であり、アニメと言えばアニメ映画以外に存在しなかった。 映画トーキー化する制作費高騰し興行主は同じ値段なら見劣りがする日本産より質が高いアメリカのアニメを選ぶようになり、第二次世界大戦前日本人気呼んだアニメアメリカのアニメだった。 第二次世界大戦が始まるとこうした状況一変しアメリカ映画輸入禁止となる一方戦意高揚目的とする作品制作され瀬尾光世監督による長編アニメーション桃太郎の海鷲』(1943年)が藝術映画社より製作され1945年には松竹動画研究所により『桃太郎 海の神兵』産み出され海軍省提供した潤沢な予算それまで大量に使えなかったセル画大量人材投入した上記2作のほか、戦争中には日本最初のフルセルアニメーション『くもとちゅうりっぷ』(1943年)があり、戦時中にも関わらず叙情性豊かなミュージカル仕立て作品となっている。 終戦直後も、細々とながら短編アニメ映画製作され続けていた。この時代代表作に『すてトラちゃん』(1947年)がある。

※この「日本アニメの黎明期」の解説は、「日本のアニメーションの歴史」の解説の一部です。
「日本アニメの黎明期」を含む「日本のアニメーションの歴史」の記事については、「日本のアニメーションの歴史」の概要を参照ください。

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