若田光一
名前:若田光一(Koichi Wakata)
性別:男
国名:日本
生年:1963年(埼玉県大宮市)
所属宇宙機関:宇宙航空研究開発機構(JAXA)
飛行実績:スペースシャトル計画(STS-72/エンデバー号)(STS-92/ディスカバリー号)
若田光一は1989年、九州大学大学院工学研究科修士課程を修了し日本航空(株)に入社しました。その後1992年、宇宙開発事業団(現 JAXA)が募集した宇宙飛行士の候補者に選ばれ、NASAのミッションスペシャリスト(MS:搭乗運用技術者)候補者のための訓練に参加しました。
1993年8月にNASAよりミッションスペシャリストとして認定された後、スペースシャトルの各サブシステム訓練、飛行模擬訓練、船外活動訓練、ロボットアーム訓練などに従事していました。そして、1994年12月にNASAによりSTS-72のミッションスペシャリストに指名され、1996年、STS-72によって宇宙へ飛び立ちました。この宇宙飛行では、日本の衛星(SFU)を回収し、NASAの衛星(OAST-FLYER)の放出・回収、国際宇宙ステーション(ISS)組み立て用の船外活動関連機器の試験などが行なわれました。
さらに2000年10月、記念すべきスペースシャトル100回目の飛行となったSTS-92・ディスカバリー号に搭乗し、日本人として初めて、ISSの組み立てに参加しました。引き続いて、NASAの施設などで訓練を続けており、2006年7月末には第10回NASA極限環境ミッション運用(NEEMO)訓練に参加するなど、将来のISS滞在に向けた準備を進めてきました。
そして第18次長期滞在クルーとして、日本人で初めてISSに長期滞在することが決定しました。滞在予定時期は平成20年度中で、約3ヵ月間程度の滞在を予定しています。若田飛行士はISS「きぼう」日本実験棟の船内実験室での実験や機能の点検、また若田飛行士がISS滞在中に、スペースシャトルで打ち上げられる「きぼう」船外実験プラットフォームの組み立て準備や組み立て作業等を行う予定になっています。
若田光一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/10 12:59 UTC 版)
若田 光一(わかた こういち、1963年8月1日 - )は、日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)に所属していた宇宙飛行士。博士(工学)。埼玉県大宮市(現:さいたま市北区)出身。菊池寛賞受賞者(2014年)[1]。2018年4月より、宇宙航空研究開発機構(JAXA)理事を務めていた。現在は宇宙航空研究開発機構(JAXA)特別参与。2024年3月末でJAXAを退職。同年4月8日、アクシオム・スペース宇宙飛行士兼アジア太平洋地域担当最高技術責任者に就任[2]。
- ^ “菊池寛賞にタモリさん、阿川佐和子さんら”. 読売新聞 2014年10月15日閲覧。
- ^ “Japanese Astronaut Koichi Wakata Joins Axiom Space” (英語). Axiom Space (2024年4月8日). 2024年4月10日閲覧。
- ^ “さいたま市立大宮別所小学校H25年度5月号(リンク切れ)”. 2013年11月7日閲覧。
- ^ さいたま市立大宮別所小学校. “さいたま市立大宮別所小学校” 2015年11月7日閲覧。
- ^ 首相官邸 (2009年6月3日). “若田宇宙飛行士との交信” 2015年11月7日閲覧。
- ^ ベルマーク教育助成財団 (2015年7月8日). “500万点達成 さいたま市立大宮別所小学校” 2015年11月7日閲覧。
- ^ 一般財団法人日本アマチュア無線連盟 (2009年5月27日). “若田光一宇宙飛行士がさいたま市立宮原中学校の後輩生徒たちと交信” 2015年11月7日閲覧。
- ^ 埼玉県立浦和高等学校. “浦和高校の教育とは” 2015年11月7日閲覧。
- ^ 埼玉教育サポートセンター. “埼玉発~全国へ 教育インタビュー (校長名) 県立浦和高等学校長” 2015年11月7日閲覧。
- ^ 株式会社教育測定研究所. “スーパーグローバルハイスクール、浦高の取り組みとは”. 英ナビ! 2015年11月7日閲覧。
- ^ 埼玉県立浦和高等学校同窓会. “浦和高校同窓会奨学財団奨学金について”. 公益財団法人 県立浦和高等学校同窓会奨学財団 2015年11月7日閲覧。
- ^ 武士道・美術館. “宇宙との交信(九州大学)” 2015年11月7日閲覧。
- ^ 本学鳥人間チームが鳥人間コンテストで優勝
- ^ ドッキングしたZ1トラスやユニティも含め、全てアメリカの開発品を使用した組立ミッションであり、日本は直接関与していない。このようなミッションにあえて日本人宇宙飛行士を起用したのは異例である。STS-92の模様は、IMAX映画で観ることができ、若田のコメントも聞くことができる。日本語吹き替え版では若田自身が日本語で吹き替えているが、日本語音声はDVD未収録。
- ^ 若田飛行士のNASA(米国航空宇宙局)/ISS(国際宇宙ステーション)運用ブランチチーフ就任について - JAXA
- ^ JAXA|若田光一宇宙飛行士の国際宇宙ステーション(ISS)長期滞在の決定について
- ^ “若田光一宇宙飛行士を乗せたソユーズTMA-11M、打ち上げ成功”. sorae.jp. (2013年11月7日)
- ^ “若田さん:国際宇宙ステーションとドッキング成功”. 毎日jp. (2013年11月7日). オリジナルの2013年11月7日時点におけるアーカイブ。
- ^ 若田光一宇宙飛行士の国際宇宙ステーション船長への就任について
- ^ 若田さん JAXA理事に 宇宙飛行士出身で初2018/4/1 日本経済新聞
- ^ “若田光一さん5か月ぶり地球帰還…記録ずくめ、宇宙滞在は日本人最長・最高齢”. 読売新聞. 2023年3月13日閲覧。
- ^ “データで見る有人宇宙活動”. JAXA. 2023年3月21日閲覧。
- ^ “若田飛行士、JAXA退職へ 「可能な限り現役で活動」”. 毎日新聞. 2024年3月29日閲覧。
- ^ “Japanese Astronaut Koichi Wakata Joins Axiom Space”. Axiom Space. 2024年4月8日閲覧。
- ^ “若田光一さんが米民間企業の宇宙飛行士に 再びISSに行く可能性も”. 朝日新聞デジタル. 2024年4月9日閲覧。
- ^ “若田光一さんがソフトバンク戦で始球式「宇宙に行くより緊張した」”. 東スポWeb. (2018年5月27日) 2019年9月5日閲覧。
- ^ [1]読売新聞2009年8月2日
- ^ “さいたま市立大宮別所小学校H25年度5月号(リンク切れになる可能性有)”. 2013年11月7日閲覧。
- ^ 博士論文書誌データベース
- ^ NHKスペシャル 日本人船長(コマンダー) 宇宙へ~若田光一の挑戦~ - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス
若田光一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 17:39 UTC 版)
1996年初飛行(STS-72)、日本人としては初めてミッションスペシャリスト(搭乗運用技術者)として参加した。2000年に2度目の飛行(STS-92)。また、日本人としては初めて国際宇宙ステーションへ長期滞在を行った(往路STS-119 復路STS-127)。九州大学工学部航空工学科卒(宇宙工学)。JAXA・NASA宇宙飛行士。
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