深山の乙女_(1919年の映画)とは? わかりやすく解説

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深山の乙女 (1919年の映画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/10 14:31 UTC 版)

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深山の乙女
Miyama no otome
監督 帰山教正
脚本 帰山教正
原作 水沢武彦
出演者 村田実
花柳はるみ
撮影 帰山教正
編集 帰山教正
配給 天然色活動写真
公開 1919年9月13日
上映時間 74分(6巻[1]
製作国 日本
言語 日本語
製作費 500円
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深山の乙女』(みやまのおとめ)は、1918年(大正7年)製作、1919年(大正8年)9月13日公開の日本映画である。配給は天然色活動写真(天活)。同日公開の『生の輝き』と並び、女優が登場する最初の日本映画の1作である。

日本映画の革新(純映画劇運動)を唱えた帰山教正が、『生の輝き』に続いて製作した監督第2作で、水沢武彦の名でシナリオを書き、監督と撮影を兼任。撮影助手は青島順一郎、俳優は前作に引き続いて花柳はるみ村田実近藤伊与吉青山杉作を起用。1918年(大正7年)8月18日にこの6人の極小クルーで上高地ロケーション撮影を開始したが[1]、撮影開始直後に現像場火災の報が入り、撮影を急いで下山、『生の輝き』のネガ原版は焼けてしまったが、本社にプリントが1本だけ残っていたという[1]。同月29日から神奈川県・鵠沼で山中に見立てたロケを行った[1]。9月から3か月にわたる帰山の兵役による中断を経て、同年12月5日撮影再開、都内ロケを経て同月20日クランクアップした[1]

1919年(大正8年)9月13日、本作が京橋の豊玉館で、『生の輝き』が六本木の麻布館で同日封切りされた[2][1]

現在、東京国立近代美術館フィルムセンターマツダ映画社ともに本作の上映用プリントを所蔵していない[3][4]。事実上、鑑賞することの不可能な作品である。

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