テレビテニスとは? わかりやすく解説

テレビテニス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/04 03:30 UTC 版)

テレビテニス
メーカー エポック社
種別 据置型ゲーム機
世代 第1世代
発売日 1975年9月12日
コントローラ入力 内蔵パドルコントローラ
売上台数 1万台から4万台[1][2][3]
次世代ハードウェア システム10
テンプレートを表示

テレビテニスは、1975年9月12日エポック社から発売された日本初の家庭用テレビゲーム機である。発売当時の定価は19,500円[4](2023年時点の38,780円と同等)。販売台数は文献によって差異があり、1万台から4万台[1][2][3]

ゲーム内容は、モノクロ画面に表示される左右に飛びかうボールを、2人のプレイヤーがパドルを操作して画面左右それぞれの端にある縦長のバーを上下に動かし、ピンポン(卓球)のように互いに打ち合うというルール[4]

ハードウェア

ハードウェアの中枢は8個の集積回路 (IC) と26個のトランジスタで構成されている。製造は音響機器メーカーの白光無線(1976年9月に倒産)が担当した[5]。本体のアンテナからUHF帯の電波を発信し、テレビ側のUHFチャンネルで受信するというワイヤレス機能を搭載している[4][6]。本機にはスコア機能がなかったため、本体上でスコアをカウントするためのダイヤルが付いている[4][6]

同年代の競合製品

当時、テレビを使ってピンポンゲームをする技術はアメリカ合衆国のサンダース・アソシエイツ英語版が特許を持っており[7]、同国ではマグナボックスがこれをオデッセイとして商品化した。日本では、オデッセイは輸入雑貨の貿易商を営んでいたブレーンとその関連会社のジョリーブを通して既に販売されていたが、58,000円(2023年時点の115,345円と同等)と高価であった[8]。一方エポック社は本機の発売に際して、マグナボックスから特許の使用許諾を得て[9]、19,500円という低価格で販売する[10]も本機を含む家庭用テレビゲーム機の国内販売は伸びなかった[11]

1976年にジェネラル・インストゥルメントナショナル・セミコンダクタなどがゲームの種類やボール速度の設定などを加えて改良した回路をワンチップに収めたLSI(大規模集積回路)の供給を開始する。日本でも他のメーカーから同様のゲーム機が発売されると、本機は機能や価格面で不利になった[9]。エポック社も同年8月よりNEC半導体事業部の協力を得て、専用LSIの開発[11]および新しいテレビゲーム機の開発にとりかかり、1977年8月にシステム10として発売したが、その直前に任天堂から低価格機のカラーテレビゲームが発売されるなどの厳しい競争に晒された。

脚注

  1. ^ a b テレビゲームの数”. Classic Videogame Station ODYSSEY. 寺町電人. 2024年4月11日閲覧。 “「エポック社の伝説のテレビゲーム」封入の解説書(エポック社/2005年)より、総販売台数1万台”
  2. ^ a b 『ホームビデオゲーム・ホビーパソコン市場の需要分析と今後の展開』矢野経済研究所、1983年、23頁。「輸出も含めて3万台は売っている」 
  3. ^ a b 「国内短信:エポック社がテレビゲーム機と電子学習機を発売」『電子材料』第16巻第9号、工業調査会、1977年、15-16頁、ISSN 0387-0774。「2年間で約4万台販売(エポック社前田竹虎代表取締役)」 
  4. ^ a b c d M.B.MOOK『懐かしファミコンパーフェクトガイド』99ページ
  5. ^ クラシックゲーム100の謎を解け!”. Classic Videogame Station ODYSSEY. 寺町電人 (2005年6月5日). 2024年4月9日閲覧。
  6. ^ a b コアムックシリーズNO.682『電子ゲーム なつかしブック』p.50.
  7. ^ アメリカ合衆国特許番号US3659284 “Television gaming apparatus”、日本国特許番号第778416号『テレビジョン・ゲーム及び訓練装置』。
  8. ^ アンソニー・ペレグリノ『外国品は儲かる : 滞日10年の極秘情報』実業之日本社、1975年5月25日、185頁。 
  9. ^ a b 編集部「今月の話題 ブームを呼ぶ電子化ゲーム機器 (2)」『電子材料』第15巻第5号、工業調査会、1976年、2-5頁、 ISSN 0387-0774 
  10. ^ 家庭TVゲーム時代来る エポック社、他」『ゲームマシン』第31号、アミューズメント通信社、1975年9月1日、3面。2024年9月4日閲覧。
  11. ^ a b 話題の任天堂製品 プライスショックで普及早まるか」『ゲームマシン』第77号、アミューズメント通信社、1977年8月1日、2面。2024年9月4日閲覧。

関連項目


テレビテニス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/21 08:16 UTC 版)

第一世代ゲーム機」の記事における「テレビテニス」の解説

詳細は「テレビテニス」を参照 北米ホーム・ポン発売される数ヶ月前の1975年9月12日エポック社日本初家庭用ゲーム機、テレビテニスを発売した。この技術マグナボックス社からライセンス受けたもので、ポン似ている画面上にスコア表示がない1つボールパドルゲーム含んでいた。ゲームコントロールはベースユニット内蔵されており、直接接続するのではなくUHFアンテナを介してテレビ接続するもので、当時ゲーム機としてはユニークなものであった同世代一般的なゲーム機比較すると、約2万台の販売台数不振終わった

※この「テレビテニス」の解説は、「第一世代ゲーム機」の解説の一部です。
「テレビテニス」を含む「第一世代ゲーム機」の記事については、「第一世代ゲーム機」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「テレビテニス」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「テレビテニス」の関連用語

テレビテニスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



テレビテニスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのテレビテニス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの第一世代ゲーム機 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS