片岡洋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/06 06:26 UTC 版)
片岡 洋
(かたおか ひろし) |
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生誕 | 1967年??月??日![]() |
国籍 | ![]() |
職業 | ゲームプロデューサー |
代表作 | 『それいけ!!ココロジー』 |
公式サイト | https://sega-interactive.co.jp/ |
片岡 洋(かたおか ひろし、生年1967年 - )は、日本のゲームプロデューサー、神奈川大学工学部卒業後、1991年セガにプログラマーとして入社。AM2研に配属、アーケードゲーム、アーケードゲームのコンシューマ移植タイトルを中心に企画・ディレクターを務める。AM研究開発本部 R&Dクリエイティブオフィサー、AM2研ゼネラルプロデューサー。SEGA-AM2代表取締役。
来歴
- 1967年 神奈川県横浜市生まれ
- 1991年神奈川大学工学部卒業
- 1991年 株式会社セガ入社
- AM2研に配属
- 1993年『それいけ!!ココロジー』初めて自分の企画が製品化
- 2002年SEGA-AM2の開発1部部長就任
- 2003年07月08日SEGA-AM2代表取締役就任[1]
人物
少学生のころは、ブロックを並べて電子回路が作れる学研の"電子ブロック"にハマる。 初めてテレビゲームに触れたのは8歳のころ。近所のおもちゃ屋さんに(試遊機として)置いてあった"テレビテニス"(1975年/エポック社)で遊んだのが最初。 その後、アーケードゲームの『スペースインベーダー』(1978年/タイトー)が登場してからはインベーダーハウス(ゲームセンター)にも通うようになりゲームに夢中に。[2]
エピソード
- 1991年、プログラマーとしてセガに入社したが、新人研修作成のゲームを当時"AM2研"にいた名越稔洋が評価し、そのままAM2研に配属された。そして、AM2研に入ると鈴木裕に「キミは企画を担当しなさい」と言われ、「プログラマーとして配属されたのですが……」と答えるも、「キミならできるよ」と言われプランナーに転向。
- 出世作『それいけ!!ココロジー』(1993年)は心理テストを題材にしたアーケードゲーム。実際のゲームセンターをよく観察すると"占い・心理学"系のゲームはカップルに人気があるのにもかかわらず、当時はまだ作品が少なかった為「このジャンルなら勝てるかもしれない」と思い、はりきって企画書を作り大成功。[2]
業績・作品リスト
- 「それいけ!!ココロジー」
- 「ファイティングバイパーズ」
- 「バーチャファイター4」
- 「セガネットワーク対戦麻雀MJ」
- 「Quest of D」
- 「リズム天国(アーケード版)」
- 「ボーダーブレイク」
- 「ソウルリバース」
- 「艦これアーケード」
- 「初音ミク Project DIVA Arcade」
脚注
外部リンク
片岡 洋(かたおか ひろし)
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「極道めし」の記事における「片岡 洋(かたおか ひろし)」の解説
愛知県出身の中学校教師。裏口入学の口利き、教材会社からの賄賂や積立金の横領などを行っていた。懲役2年。
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