昭和戦後期
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第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)8月以降、旧日本軍の放出した缶詰などの物資や日本を占領したアメリカ合衆国、外国からの食料援助によって、児童の欠食対策として徐々に給食は再開された。アメリカ合衆国では、1930年代より余剰作物の有効活用として学校給食の援助がスタートした[要出典]。第二次世界大戦後のアメリカのヨーロッパに対する支援が一段落し、溢れるアメリカの農畜産業の余剰小麦のはけ口(平和のための食料(英語版))として日本がターゲットとなり、日本国内の小麦消費拡大運動の展開の一環として学校給食も対象となった。学校給食は、極端な米飯食重視だった日本人の食生活を大幅に変容させ、日本にパンや乳製品の消費が定着する一因ともなった。なお、小麦の調達費は1947年(昭和22年)から占領地の救済のために予算化されたガリオア資金によって賄われた。 1947年(昭和22年)1月、東京都でララ物資による副食のみ学校給食が再開した。1950年(昭和25年)、文部省は2学期から全国で小学校での完全給食を実施すると発表したが、実際には1952年(昭和27年)頃からは食糧事情の改善により全国的に完全給食を実施することが可能となり、同時に給食の目的は「欠食児童対策」から「教育の一環」(食育)と位置づけられた。この間、1951年(昭和26年)にガリオア資金が打ち切られることになったことから、保護者や地方からの要望や学校関係者の陳情を元に、1954年(昭和29年)には「国民の食生活の改善」を目標に学校給食の範囲や経費等を定めた「学校給食法」が制定され、財政力の弱い地方自治体でも地方交付税交付金と補助金によって全児童への完全給食が可能となり、現在の体制が構築された。 高度経済成長を経て日本が豊かになるにつれて、学校給食の内容は大きな変遷を遂げた。1960年代から1970年代前半にかけて脱脂粉乳が牛乳に変わり、1976年(昭和51年)には米飯給食(後述)が制度上位置づけられ、1980年代以降、全国的に普及した。日本人の食事が洋食化するにつれ米の消費量が減った。当初パン食が中心だったのは、日本にパンを根付かせ、小麦の輸出を拡大したい米国の意図があったと言われるが、「日本人の伝統的な主食は米」という考えやメニューのおかずによっては食パンは合わない、余った古米、古古米の処理などのためにも米を出すようになった。 さらに、パンをクロワッサンに、汁物をトムヤムクンやボルシチにするなど、従来あまりなじみのなかったメニューも供され、近年では普段の食事と変わりないか、それを上回るメニューが多く登場している。食物アレルギーを持つ児童生徒に対応した特別食を作る場合や、ハラールのために特定の食べ物を食べることができないという児童生徒に対応した特別食を作る場合もある。
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昭和戦後期
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「昭和#略年表」も参照 戦後の占領期(1945年(昭和20年) - 1952年(昭和27年))についてはGHQも参照。 1946年(昭和21年)天皇の人間宣言 公職追放の開始(〜1948年)。 伊豆諸島返還(本土復帰)。 極東軍事裁判開廷。 日本国憲法公布(1947年(昭和22年)5月施行) 昭和南海地震 太宰治が走れメロスを出版 1946年(昭和21年) - 1950年(昭和25年) 農地改革 1947年(昭和22年) 学校教育法、地方自治法制定。 1948年(昭和23年) 太宰治が人間失格を出版。 1949年(昭和24年) 労働組合法制定。湯川秀樹が日本人初のノーベル賞受賞。 1951年(昭和26年) サンフランシスコ講和条約・(旧)日米安全保障条約締結。第1回NHK紅白歌合戦開催。 1952年(昭和27年) 主権回復。トカラ列島返還。おせんころがし殺人事件。 1953年(昭和28年)NHKテレビ放送開始、初の民間放送テレビ局として日本テレビ開局、奄美群島返還、日本で初めてのCMが公開される。 1954年(昭和29年)自衛隊発足。第五福竜丸事件。 1955年(昭和30年)日本民主党と自由党 (日本 1950-1955)が合同し自由民主党結成(55年体制)。イタイイタイ病発生。 1956年(昭和31年) 日ソ共同宣言発効、国際連合に加盟、第一回有馬記念開催。 1957年(昭和32年)フジテレビジョンが開局。 1958年(昭和33年)東京タワー完成。 1959年(昭和34年)伊勢湾台風、フジテレビ開局、テレビ朝日開局。 1960年(昭和35年) (新)日米安全保障条約発効、安保反対闘争、カラーテレビ放送開始。 1962年(昭和37年)全国総合開発計画策定。 1963年(昭和38年)日本がGATT12条国から11条国に移行。吉展ちゃん誘拐殺人事件。 1964年(昭和39年)第二水俣病発生 東海道新幹線開業 1964年東京オリンピック開催 公明党結成 日本がIMF14条国から8条国に移行、OECDに加盟。 1965年(昭和40年)日韓基本条約締結、朝永振一郎がノーベル賞受賞。古谷惣吉連続殺人事件。 1966年(昭和41年)全日空羽田沖墜落事故、金井ビル火災。 1967年(昭和42年)公害対策基本法制定。 1968年(昭和43年)東名高速道路開業、小笠原諸島返還、三億円事件、川端康成がノーベル賞受賞、池之坊満月城火災。 1969年(昭和44年)東大安田講堂事件、永山則夫連続射殺事件、『男はつらいよ』公開、長寿アニメ『サザエさん』放送開始。 1970年(昭和45年) 日本万国博覧会(大阪万博)開催。よど号ハイジャック事件。ケンタッキーフライドチキン日本第1号開店。 1971年(昭和46年) マクドナルド日本第1号店開店、蒸気機関車全廃、大然閣ホテル火災事故。 1972年(昭和47年) 札幌オリンピック、あさま山荘事件、沖縄返還、日中共同声明調印、千日デパート火災、北陸トンネル火災事故、千日デパート火災。 1973年(昭和48年) オイルショック、変動相場制移行、江崎玲於奈がノーベル賞受賞、大洋デパート火災、第6ポールスタービル火災。 1974年(昭和49年)ピアノ騒音殺人事件、佐藤栄作がノーベル賞受賞、セブンイレブン日本第1号店開店、ファミリーマート日本第1号店開店。 1975年(昭和50年)大分県中部地震、日本初のゲーム機テレビテニス発売、ローソン日本第1号店開店、エニックスが建立。 1976年(昭和51年)ロッキード事件。 1978年(昭和53年)第二次オイルショック、成田空港開港、日中平和友好条約締結、今町会館ビル火災。 1979年(昭和54年)大学共通第1次学力試験導入。対中国ODA開始(〜2018年)。 1980年(昭和55年)ゲーム&ウオッチ発売。富山・長野連続女性誘拐殺人事件。 1981年(昭和56年)福井謙一がノーベル賞受賞。ガリガリ君が販売開始。 1982年(昭和57年)東北・上越新幹線開業。ホテルニュージャパン火災。日本航空350便墜落事故。 1983年(昭和58年)ファミリーコンピュータ発売。日本海中部地震。 1984年(昭和59年)グリコ・森永事件。 1985年(昭和60年)日本電信電話公社民営化によりNTTグループ発足、筑波万博開催、日本航空123便墜落事故、スーパーマリオブラザーズ大ブレイク、Windows 1.0発売、日本初のカラオケ店、イエローBOXカラオケ広場が開店。 1986年(昭和61年)バブル景気の始まり。マイクロソフト日本第一号開設。スクウェアが建立。 1987年(昭和62年)国鉄分割民営化によりJRグループが発足。利根川進がノーベル賞受賞。 1988年(昭和63年)リクルート事件。青函トンネルと瀬戸大橋が開業。東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件。女子高生コンクリート詰め殺人事件。名古屋アベック殺人事件。 1989年(昭和64年)昭和天皇崩御、皇太子明仁親王が天皇に践祚。平成に改元。
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昭和・戦後期
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1945年9月 - 十日町産業復興委員会が発足。 1947年 5月 - 十日町製糸工場が操業を開始。 1950年 2月4日 - 現代雪まつりとしては全国で初めての雪まつり「十日町雪まつり」を開催。 1954年 3月31日 - 十日町市成立。 1964年8月 - 十日町市農業協同組合が発足。 1965年7月 - 市民プールが完成。 1968年12月 - 十日町ライオンズクラブが発足。 1969年1月 - 十日町警察署新庁舎が完成。 1970年1月 - 飯山線高場山トンネルが崩壊。 1975年2月 - イタリアのコモ市と姉妹都市提携 1979年4月 - 十日町市博物館が開館。 1982年10月 - 笹山野球場が完成。 1983年5月 - 道の駅クロス10十日町が開業。 1986年3月 - 越後縮関連資料(2098点)が国の重要文化財に指定される 11月 - 市営陸上競技場が完成する 1988年8月 核兵器廃絶平和都市を宣言
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