昭和戦前期の電源開発とは? わかりやすく解説

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昭和戦前期の電源開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 16:11 UTC 版)

九州水力電気」の記事における「昭和戦前期の電源開発」の解説

昭和初期電源開発は、自社ではなく子会社杖立川水力電気株式会社の手によって進められた。同社は、筑後川水系杖立川にて1922年12月水利権得たのを受けて1923年12月12日資本金500万円九州水力電気全額出資その後1929年8月1000万円へ増資)で設立杖立川での電源開発進め1927年昭和3年3月小国発電所 (6,000kW)、1928年昭和3年3月杖立発電所 (3,200kW)、1929年昭和4年12月に黒淵発電所 (7,000kW) をそれぞれ完成させた。これらの発生電力大部分九州水力電気受電した。 杖立川開発のほかにも、杖立川水力電気九州水力電気から同社発電所増設送電・変電設備建設工事受託して担当したこのうち発電所では、1931年昭和6年3月に運転を開始した駅館川水系津房川須崎発電所 (688kW)・丸田発電所 (950kW) と、同年7月竣工した女子発電所拡張工事10,000kVA発電機1基増設発電所出力26,750kWに)を担当している。翌1932年昭和7年6月1日計画されていた工事を一応完了したため九州水力電気杖立川水力電気事業買収形式吸収し杖立川の3発電所引き継いだ1930年代初頭不況期自社開発一時停止するも、景気回復とともに1930年代後半再開1936年昭和11年11月大分川水系にて野畑発電所 (2,740kW)、1937年昭和12年5月には玖珠川にて三芳発電所 (4,600kW) がそれぞれ運転を開始したその他の出力変更発電所廃止もあり、発電力は1938年昭和13年)には水力28か所計10万1,812kW、火力2か所計2万kW合計121,812kWとなった

※この「昭和戦前期の電源開発」の解説は、「九州水力電気」の解説の一部です。
「昭和戦前期の電源開発」を含む「九州水力電気」の記事については、「九州水力電気」の概要を参照ください。

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