昭和戦前期の電源開発
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「九州水力電気」の記事における「昭和戦前期の電源開発」の解説
昭和初期の電源開発は、自社ではなく子会社「杖立川水力電気株式会社」の手によって進められた。同社は、筑後川水系杖立川にて1922年12月に水利権を得たのを受けて1923年12月12日、資本金500万円(九州水力電気全額出資、その後1929年8月1000万円へ増資)で設立。杖立川での電源開発を進め、1927年(昭和3年)3月に小国発電所 (6,000kW)、1928年(昭和3年)3月に杖立発電所 (3,200kW)、1929年(昭和4年)12月に黒淵発電所 (7,000kW) をそれぞれ完成させた。これらの発生電力は大部分を九州水力電気が受電した。 杖立川開発のほかにも、杖立川水力電気は九州水力電気から同社の発電所新増設や送電・変電設備の建設工事を受託して担当した。このうち発電所では、1931年(昭和6年)3月に運転を開始した駅館川水系津房川の須崎発電所 (688kW)・丸田発電所 (950kW) と、同年7月に竣工した女子畑発電所拡張工事(10,000kVA発電機1基増設、発電所出力26,750kWに)を担当している。翌1932年(昭和7年)6月1日、計画されていた工事を一応完了したため九州水力電気は杖立川水力電気を事業買収の形式で吸収し、杖立川の3発電所を引き継いだ。 1930年代初頭の不況期に自社開発は一時停止するも、景気回復とともに1930年代後半に再開。1936年(昭和11年)11月に大分川水系にて野畑発電所 (2,740kW)、1937年(昭和12年)5月には玖珠川にて三芳発電所 (4,600kW) がそれぞれ運転を開始した。その他の出力変更や発電所廃止もあり、発電力は1938年(昭和13年)には水力28か所計10万1,812kW、火力2か所計2万kWの合計12万1,812kWとなった。
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