昭和教養主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 15:03 UTC 版)
昭和10年代の昭和教養主義者としては、戦間期における河合栄治郎、天野貞祐、木村素衛である。代表者の河合の著作としては『学生叢書』(全12巻、1936年 - 1941年)、『学生に与う』(1940年)、天野のそれとしては『道理の感覚』(1937年)、『道理への意志』(1940年)がある。これもB1、B2を目指すものであった。B1の古典指向を示すものとして、河合による社会科学古典研究会開催(1937年 - 1938年)、『教養文献解説』(1943年)、A2の外国語指向を示すものとして相変わらずのドイツ語熱がある。河合の教養主義の状況は渡辺かよ子と青木育志の書に詳しい。大正教養主義と昭和教養主義における教養の知識社会学的分析は、竹内洋の書に詳しい。河合らが火をつけた昭和教養主義の雰囲気は戦後も続いたが、1970年頃を境に急激に衰退する。その状態、原因については、竹内洋の書に詳しい。
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