昭和戦後の花街と、その終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 07:30 UTC 版)
「深川 (花街)」の記事における「昭和戦後の花街と、その終焉」の解説
1945年(昭和20年)3月10日、東京大空襲で深川一帯は焼失、花街も被害を蒙ったが1947年頃、復興に取り組み、1950年(昭和25年)、料亭・待合41軒、芸妓130名、置屋50軒で再建された。戦後の復興によって木材業の需要が伸び、賑わっていたが1958年(昭和33年)、売春防止法施行で洲崎遊廓は廃絶され、高度経済成長期に入り、娯楽の多様化でキャバレー、クラブに客を奪われ、得意先であった木場が1970年(昭和45年)、新木場に移転され花街に打撃を与えた。昭和40年代以降、料亭、芸妓は減り、1982年(昭和57年)、三業組合事務所が閉鎖、バブル期による地上げで敷地がビル、飲食店に変わり、1990年(平成2年)、門前仲町に料亭5軒、置屋20軒、芸妓20名で芸妓が女将を兼ね、平成初期に消滅。
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