昭和戦前期の国体論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)
昭和になると、国体論は人々の思想を規制するうえで猛威をふるう。昭和の直前の1925年に制定された治安維持法は国体の変革を目的とした結社を禁止した。その3年後の緊急勅令は国体変革に関する最高刑を死刑に引き上げた。こうした動きの背景には、国体を天皇制として相対化するマルクス主義に対する恐怖と敵意があった。治安維持法でいうところの「国体」は大審院判決で「我帝国は万世一系の天皇君臨し統治権を総覧し給ふことを以て其の国体と為し治安維持法に所謂国体の意義亦此の如くすへきものとす」とされた。
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