人格主義的教養主義否定論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 15:03 UTC 版)
「教養主義」の記事における「人格主義的教養主義否定論」の解説
人格主義的教養主義否定論の理由として考えられるものとして、次がある。 人格主義的教養主義は心の問題に沈潜し、社会改革の問題に目を向けない。 人格主義的教養主義は生活が苦しい者には無価値である。 学問、道徳、芸術の習得によって人格陶冶できるとする考えがバカバカしい。教養を積むことと人格形成とは別物である。 昭和教養主義は言及するに値しない。 教養とはBではなく、Cであるから、B2尊重主義にはなれない。 これらの理論にあっては、何をもって教養と見なすのか、A1からC2までのどれを重視するのか、さまざまで一定しない。否定論者と見なされうる者には次がある。B1の価値を認めるがB2の価値を否定する者は、唐木順三、赤塚行雄、村上陽一郎、加藤周一であり、ともに否定する者として見なされるのは、阿部謹也、清水真木、原宏之である。
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