人格の統合がゴールか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 00:07 UTC 版)
「解離性同一性障害」の記事における「人格の統合がゴールか」の解説
昔は人格の「統合」がゴールとして強調されたが最近はあまり云われていない。彼らは記憶や意識を分離し、解離することによって、ギリギリで心の安定を保ってきたのであって、むやみに「統合」を焦るとその安定が崩れかねない。「統合」の話題は「あんた医者だね。私に消えろ、死ねというんでしょ!」と反発する人格が現れたり、夜中に「怖いよ!私が消えちゃう!」と泣き叫んだりと、今そこにいる人格に恐怖と苦しみを与えることがある。 「今はバラバラなジグソーパズルだけど、ジグソーパズルはピースがひとつでも欠けたら完成しないよ」とか、「みんなが仲良くなってそれぞれの気持ちを大事にできるといいね」「みんなが幸せになれるといいね」というような接し方をしながらやさしく包みこみ、それぞれの人格の「コミュニケーションを促す」、「橋を築く」、分かれてしまっている記憶や体験を「つなげていく」、「融合する」、「むすぶ」方向が大切であるとされる。解離はその人の人格が薄まっている状態であり、治療者は患者自身の治癒力(レジリエンス)、ジャネ (Janet,P) や構造的解離理論の言葉を借りれば心的エネルギー (mental energy) が強まるように支援してゆくが、統合するかどうかは本人達が決めることである。パトナムは、1989年時点でさえ以下のように述べていた。 「熟練した治療者の間では、交代人格の完全な統合が望ましい治療目的であるということで意見はほぼ一致しているが、これは多くの患者にとっては端的に非現実的な目標かもしれない・・・統合を治療の中心に据えるのは間違いである。治療は非適応的な反応と行動を、より適切な形の対処行動に置き換えることを目標とすべきである。交代人格の統合がこの過程で生じるのが理想ではあるが、たとえそうならなくとも、患者の機能レベルが大きく改善すれば、その治療は成功したといってよいだろう。」 平易に言い直せば前述の「何を解消するのか」に書いた「精神的混乱、不安定さ、人格の希薄化、実生活面での混乱や困難さ・・・を和らげて最後には解消すること」である。「統合は多重人格患者の治療目的とするべきものではないが、この喜ばしい結果に至る場合もありうる」という程度である。さらにパトナムは、その「喜ばしい結果」も、断片的な人格の場合を除いて、交代人格は表から消えたように見えても、死にも去りもせず、休眠、不活性化するだけであるという。休眠状態も含めて、「統合」はあくまでその人その人達の回復、つまり心の安定の結果に過ぎないとされる。 また、統合が今よりも重視されていた1984年段階においても、ブラウン (Braun,B.G.) は「治療過程の70%の標識」と見積もり、クラフトは「治療の〈一局面〉」にすぎないとし、重要な標識ではあっても治療の終結のしるしとはみなしてはいない。ロバート・オクスナムの治療を行ったジェフリー・スミスは、おそらく「融合」と「統合」は区別しておいた方がよいのだろうと述べ、企業の合併と同じく、「統合」後に、多くの「文化的相違」を処理することが必要になるという。「融合」は論者により使われ方が異なるが、この場合は「統合」の後の、真の同一性の獲得、成長を指している。
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