人格・エピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 19:26 UTC 版)
「清水宗徳 (政治家)」の記事における「人格・エピソード」の解説
地域産業振興のためになるならば、命すら投げ打つほどの熱意を持った人物であった。養蚕振興のために県から借りた借入金が、工場の不振のために返せなくなった際、県庁に返還延期を頼んだものの認められず、進退窮まり「この請願が受け入れられねば、地元の養蚕ももはや滅ぶことだろう。その生命線としての責を負いながら、このありさまではどの面を下げて生きて地元に帰られよう。かくなる上は潔く割腹し、養蚕業に殉ずるとともに、官にわび県人にわびん」と県庁の前で短刀を腹に突き立て、切腹しようとした。この苛烈な決意に県が折れ、年賦での返還を特別に許可したという。 政治に関しては立憲自由党→自由党の勢力拡大を中心に行動面で邁進した一方、自分自身が政治的名誉や権力を得ることについては関心のない人物でもあった。晩年、ある年始客が「あなたのように名声のある人物が、このままではもったいない。また議員になるか、高官になるか、さもなくば富を築くか。どれでも力になりますよ」と言ったところ、「議員のなり手は他にいるから、後輩に譲る。高官になるのも、給料欲しさにへこへこすることを考えるとまっぴらだ。言いたいことを言い、信ずるところを行うのが自分の性に合っている。それに金を貯めてみたところで、冥土のみやげになるわけでもない。そんな富貴なことは私にとって意味がないよ。それよりもこの里を模範の理想郷として整え、在野の尊者となる方がよい」と屠蘇の盃をなめながら語ったと伝える。 立憲自由党→自由党の勢力拡大のため大いに活動したこともあり、政治的な面では敵の多い人物であった。特に入間川町はほとんどがライバルである立憲改進党→進歩党の地盤であったため、宗徳に対し好意的とは言い難かった。さらに晩年、渡船事業で地元の水富村の村民のみ渡船料を無料にしたために、入間川町民から憎まれてしまう。この入間川町民の宗徳への反感は没後も続き、ついに渡船のある場所に架橋を強行して対抗するまでに至った。しかしこの架橋は失敗に終わり、橋を破却して渡船の権利を受け継いだ遺族へ決まった金を払う代わりに、遺族側では渡船料を一切無料にすることで和解したという。
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