人格主義的教養主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 15:03 UTC 版)
他方、B1、B2を尊重する文芸上の動きはドイツの「教養小説」に現れている。ヴォルフガング・ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(1795年、1796年)がその代表である。その立場を評論で著したものには、ヴィルヘルム・フォン・フンボルト『国家活動限界論』(1851年)など数編、ジョン・スチュアート・ミル『自由論』(1859年)、マシュー・アーノルド『教養と無秩序』(1869年)がある。その立場を哲学上で著したのは、イギリスではイギリス理想主義で、その代表はトーマス・ヒル・グリーン『倫理学序説』(1883年)であり、ドイツでは新カント派で、その代表はパウル・ナトルプ『一般教育学』(1905年)である。
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