駒田好洋
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駒田 好洋(こまだ こうよう、本名万次郎、まんじろう、明治10年(1877年)7月1日 - 昭和10年(1935年)8月11日)は、日本の活弁家、映画プロデューサーである。「日本率先活動大写真会」を名乗り、映画の興行をするばかりでなく、「日本初の商業公開用の映画」を製作し、さらに「日本初の劇映画」の製作も行ったことで知られる。
- ^ a b c d 「歴史が眠る多磨霊園」サイト内の「駒田好洋」を参照。
- ^ 現在の港区芝公園4丁目、東京タワーのあたり
- ^ a b 田中純一郎『日本映画発達史〈1〉活動写真時代』(中央公論社、1968年)の記述を参照。
- ^ 日本映画データベースの「1899年 - 1909年 公開作品一覧 376作品」を参照。
- ^ 1882年(明治15年)に事件を起こし、1886年(明治19年)に逮捕された。
- ^ 日本映画データベースの「清水定吉(稲妻強盗)」を参照。
- ^ 同作は1930年(昭和5年)にも河合映画製作社が松林清三郎を主演にリメイクしている(『清水定吉』、監督丘虹二)
- ^ 『あゝ活動大写真 グラフ日本映画史 戦前篇』(朝日新聞社)
- ^ 岩藤は1909年(明治42年)にM・パテー商会製作、栗島狭衣・栗島すみ子親子主演の『新桃太郎』を監督し、1920年(大正9年)、アメリカ映画『あの丘越えて Over the Hill』を個人輸入、日本公開した人物である。
- 1 駒田好洋とは
- 2 駒田好洋の概要
- 3 おもなフィルモグラフィ
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