音楽性と歌詞
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「Topaz Love/DESTINY」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
既に述べたとおり「Topaz Love」は元々、若い女性の恋心、光一曰く「10代の女の子の深夜徘徊」をイメージして作曲されている。光一は剛にそれを伝えることなく披露したのだが、剛は何を言わずとも光一の考えに近い女性目線の歌詩を書きあげた。それは若い女性が年上の想い人に憧れ、しかしまだ知らぬ"大人の世界"に戸惑い、「ほろ苦く甘酸っぱい」思いをするような、「若さゆえのみずみずしさ」を感じるものだったという。さらに剛はその歌詩に「現状の自分」を盛り込んでいた。突発性難聴の経験を生かして今しか書けないような歌詩、歌うたびにそのときを思い出して「『(略) あの時、あの人に会ったから今があるなぁ』とかそういうことも含めて、振り返られるだけの、タイムスリップできるような歌詞」を意図して書きあげたという。 剛はその後、20周年記念公演で披露した歌詩をよりシンプルに、より作家性を意識して推敲した。作家性を意識しない自身のソロ活動時の作詞とは異なり、"今のKinKi Kids"に焦点を合わせて詩を書くことで、ユニットの世界観、"青い"部分の残るKinKi Kids像に自然と近づいていくのだという。 また光一は最後に何か物足りなさを感じて、「2人だからこそできること」としてDメロを追加した。2人がそれぞれ別の音 (一方は「刻む」メロディー、片方は「ゆったり」したメロディー) を同時に歌い、ときにハモりときに分かれて、最終的にユニゾンになるという難しい構成である。剛はそこに別々の歌詩を乗せ、最終的に2人の言葉が重なるように仕上げている。
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音楽性と歌詞
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「Play A Love Song」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
四つ打ちのビートと、ピアノが主導するアップリフティングな旋律が特徴的な楽曲。音楽ジャーナリストの宇野維正は、「大所帯(8人)の女性コーラス隊によるバックボーカルが、コーラスのパートだけでなく、ヴァースの合間にも、まるで宇多田ヒカルのボーカルと掛け合いを繰り広げるように頻繁に入ってくる」点について、「ゴスペルにおける聖歌隊の役割を倣ったもの」だと指摘している。なお、コーラスを宇多田以外が担当したのは、ケルトコーラスを用いた「Goodbye Happiness」(2010)以来で宇多田ヒカル名義では2曲目である。音楽ジャーナリストの高橋芳朗はこの曲について、「終盤にゴスペルのコーラスも入ってくる高揚感のあるダンスミュージックなんですけど享楽的な感じはまったくなくて、むしろ凛とした透明感が魅力になってる」と指摘。また、ノルウェー出身の音楽プロデューサー/DJでトロピカルハウスの第一人者であるカイゴの「Carry Me feat. Julia Michaels」と共通するところがあると語った。 インタビューでは、ライターの内田正樹の「『Fantôme』以前のポップさが思い出される」という指摘に対し宇多田は「久々に言葉の響きや語呂遊びで"遊べた"気がする」と語った。また、昔から好きだったという白州正子のエッセー『名人は危うきに学ぶ』で"遊び"という言葉が"余裕"という意味で使われていたということを挙げ、「今の自分の作風や気持ちがそれに近い」と述べており、「今回は着物の帯をちょっと緩めて、息を深く吸うような感じで詞曲に臨む出来た」という。
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音楽性と歌詞
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表題曲「童話迷宮」は、テレビ東京系列にて放送されたテレビアニメ『おとぎ銃士 赤ずきん』の前期オープニングテーマとして使用された。歌唱を担当した田村は、同アニメ作品で主人公の赤ずきんを演じている。田村はこれまでのシングル表題曲とは違った雰囲気の作品を、という思いから本曲を選び取ったとインタビューで述懐しており、「戦闘シーンに合うような曲にしたい」というディレクションを受けながら、疾走感ある歌い方を目指したと話している。歌詞に関しては、作詞を手掛けた畑亜貴と田村がやり取りを行いながら、より明確に歌詞の意味を汲み取れる内容へと推敲が重ねられたという。 この「童話迷宮」に対しては以下のような批評的言及があった。雑誌『メガミマガジン』に掲載されたシングルに関する新譜CD情報によれば、「童話迷宮」では小気味よいサウンドに乗せて、始まりに対する期待感や不安感が表現された。ヤマハミュージックメディアや声優情報誌『hm3 SPECIAL』のライター・松山啓士は、ともに楽曲のテンポの速さについて特筆しているが、特に前者は「使われているコードは難しくない」と指摘している。一方、『hm3 SPECIAL』の松山は、詞の内容も田村の歌声も力強さを帯びた楽曲になっているとも言及しており、タワーレコードの馬場敏裕にも本曲を収録したベストアルバム『Sincerely Dears...』に対するレビューの中で「かっこよさも備える名曲」として紹介されている。同様に、音楽ライターの澄川龍一も畑亜貴によるメルヘンチックな歌詞の内容とは裏腹に、田村のクールじみた歌声が対照的な作品になっていると指摘した。澄川はさらに、後続のディスコグラフィによって彼女の持つユニークな世界観が展開し、確立していくための序章となった楽曲とも位置づけている。 一方、カップリング曲の一つ「miss you」は、田村によれば男性目線寄りな詞に仕上がっており、その内容をどう解釈して歌うか考えを巡らせながら収録に臨んだと話している。もう一方のカップリング曲「天使のお仕事」は、文化放送のラジオ番組『田村ゆかりのいたずら黒うさぎ』において2006年7月8日から11月18日放送分までのオープニングテーマとして用いられた。本曲ではコーラスで「busy busy every night」というフレーズの次に「eeny meeny miny mo」(イニミニマニモ)と歌われる。「eeny meeny miny mo」とは英語で何かを選ぶときに歌われる数え歌で、日本語における「どちらにしようかな」に相当する。音元出版が運営する情報サイト「PHILE WEB」のライター・高橋敦は、この一連のコーラスのバックで使われているシンセサイザーの音色が本作を「ファンシーな印象」に仕立て上げている要素の1つだと言及している。また、高橋はあちらこちらに散りばめられた田村の声をはじめとして情報量の多い楽曲だと指摘し、本曲を「シンプルなような複雑なような不思議な曲調」とも評している。なお、「天使のお仕事」を歌い上げた田村自身は、エレクトロ・ポップに近い形に仕上がったと述べている。
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「あなた (宇多田ヒカルの曲)」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
「あなた」は、ほぼ全編生楽器で構成されている。ドラマティックな構成、展開を持ち、抑揚のあるトラックが特徴的である。楽曲はピアノと宇多田の歌声で始まり、続いてドラムとベース、ストリングス、ブラスの順に入ってくる。コードの展開は、ほぼ4つのコードをループさせて作られており、そこにピアノ、ドラム、ベース、コーラスが乗っている。agehaspringsの横山裕章は、Billboard Japanの記事で、本楽曲について「ブルー・アイド・ソウルのマナーに則った、Swing Out Sister、Bobby Caldwellばりのストリングスやブラスが温かみを演出している。」と指摘。また、「RAK Studiosという環境も相まって、とても響きが美しく耳なじみの良い、どこか母親の胎内にいるような心地よいサウンドに仕上がっている。」と述べている。宇多田は本楽曲について「一つの普遍的な愛の形として、母親目線から音楽的表現をした初めての楽曲」だと語っている。また、楽曲の最後の方では、ピアニストの椅子がきしむノイズが入っているという。 歌詞には、いくつかの仏教用語が用いられている。サビ部分の歌詞はリズミカルな韻で構成されており、各行の語尾で「ai」の韻を踏んでいるほか、全体的に「i」の音が散りばめられている。音楽ライターの小池直也は、サビの歌詞の〈 大概の問題 〉という言葉を挙げ、「ドラムの様なリズム的切れ味を持ちつつ、意味のニュアンスや視覚の面でもクールで非の打ちどころがない。」と指摘し、また「このリリックがハネたリズムのメロディに浮かぶ事によって、より彩度を増す」のだと語っている。音楽評論家の小貫信昭は、〈 ただの数字が 特別になるよ 〉という表現で、スタンダールの言う「愛の結晶作用」を表現している指摘。「そんな巧みな表現でオリジナリティーを獲得している。」と述べた。 2018年にNHK「SONGS」で宇多田と対談した又吉直樹は、「最も心を揺さぶられた曲」として本楽曲を挙げた。又吉は、その歌詞の一節〈 あなた以外なんにもいらない ~ 代り映えしない明日をください 〉で「夢を見るよりも、この世界でごく普通にあなたと過ごしたい」という願いが歌われた直後に、〈 あなたと生きる世界は 息をのむほど美しいんだ 〉と言い切っている部分に感銘を受けたといい、また「願い」や「祈り」のようなものが感じられたという。宇多田はこれに対し、「祈り」という部分が強いと語った。宇多田は、その幼少期は「いつ何が起こるかわからない」環境にあったといい、また、何か「こうだ」と思いたいし、思ったほうが安心して楽に生きられるが、安心したら裏切られ傷つくので、「何も信じないようにしよう」と思うに至ったという。しかし、その中で「望んでいる自分を完全に消しきれず」出てきたのが「祈り」や「願い」といったものになったのだと語った。
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「Forget-me-not (尾崎豊の曲)」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
歌詞制作が難航していた尾崎に対し、須藤は本作のデモテープを聴いた印象として「小さな花」のイメージがあると伝え、またジョン・レノンの楽曲「マインド・ゲームス」(1973年)の詩の一片である「君がはぐくむべき花は愛なんだ」という歌詞を引用した上で尾崎に対し「名前もわからないようなその花ってなんだろうね」と疑問を投げかけた。その後須藤と尾崎は自身の愛好する花について語り合っていたが、その際に須藤は「そういえば尾崎、"Forget-me-not"という花があるんだよ」と尾崎に語り、日本名が勿忘草である事を告げられた尾崎はそこからインスピレーションを得てスタジオの床に寝そべって歌詞を書き始めた。完成した歌詞のタイトルには「わすれな草」と書かれていたが、歌入れの前に須藤がタイトルを「Forget-me-not」に変更するよう尾崎に依頼、尾崎は「そうですね、『わすれな草』は演歌みたいだし」と笑っていたという。 須藤は本作のイメージとして「温かいものや、ぬくもりに触れることによって、自分の手が冷たかったことを知るという歌」であると述べた他、「人を好きになって愛しても、どこか心が寂しい」という尾崎の人間性について触れている。また本作が尾崎にとって10代最後に作詞した作品になった事に関して、「どうしようもなくせつなくて、やるせなかった」とも述べている。須藤によれば本作はメロディーが美麗でありストリングスを挿入した事によって叙情性豊かな仕上がりになっていたが、アルバム『壊れた扉から』の他の収録曲の傾向から尾崎がもっと「ツジツマの合わない狂ったような詞を書いてきてもおかしくはなかった」と考えていた。完成した歌詞では、尾崎が作詞する中で自身が歌い始めた当初に交際していた女性と見た夕陽の光景を思い出して書いたのではないかと須藤は推測し、実際に女性がわすれな草を尾崎に教えた訳ではないがその思いが痛いほど伝わったと述べている。 尾崎のバラードには「I LOVE YOU」や「OH MY LITTLE GIRL」などがあるが、須藤は本作について「作品が含有している哀しみの度合いはこの曲がもっとも深い」と述べ、尾崎の曲でここまで過去を振り返った曲はないと断言した上で「彼が失ってしまったものは、よほど大きかったんだろう」と述べている。結果として、プロデューサーとして須藤が関与した最後の曲が本作となっており、その後尾崎は本作を最後に作詞が出来ずに数年間作品を発表できなくなった。須藤は1枚目のアルバム『十七歳の地図』(1983年)の収録曲である「街の風景」から尾崎の音楽活動は始まり、本作で10代としての作品が完了した事に触れ、「はいつくばりながら街を見渡していって、最後に、街の風景の中に本当に眼をこらして見なきゃわからないような、小さな花のことを歌って終えたのは、ひとつの非常に美しい物語の終末だったという気がする」と述べている。その他にも須藤は本作にはリズムのノリがおかしい所が多くあると指摘したがそれが問題ないほどすごい曲であると述べ、また尾崎がスーツにネクタイの姿で歌った曲は本作だけであった事から「なんだか、この曲を歌うために尾崎さんは存在した、っていう気さえしますね」と述べた他、「Forget-me-not」というタイトルが「僕を忘れないで」という意味であるとした上で「自分にとっては実はとても重たい曲で、デリケートな曲でもあるんです」と述べている。
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「BLUE (NEWSの曲)」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
「BLUE」はメンバーの手越祐也がメインキャスターを務めた日本テレビ系『FIFAワールドカップ・ロシア2018』のテーマソング。ワールドカップのテーマソングということもあり、タイトルの「BLUE」は地球の"青"、サッカー日本代表のイメージカラー"青"を表している。 楽曲は壮大で勇ましいチャントに始まり、メンバーのボーカルだけでなくコーラスを加えて構成されている。また大サビ前には琴の音が挿入されている。
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「忘れられないの/モス」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
収録曲である「忘れられないの」および「モス」はいずれも、1980年代の音楽・カルチャーに大きく影響を受けた作風となっている。 「忘れられないの」について、山口は松任谷由実との出会いに触発されてこの楽曲を制作したとラジオ番組『サカナLOCKS!』2019年6月14日放送分で明らかにしており、AORをはじめとする80年代の音楽と現代の音楽を組み合わせて制作したと語っている。同楽曲の歌詞は上京をテーマとしており、山口は「150パターンもの歌詞を書いた中で、115番目に選ばれた歌詞となっています」と、CMに出演した広瀬すずとの対談との中で振り返っている。 「モス」について、山口は外部に向けて発信するために作曲したと『サカナLOCKS!』2019年6月14日放送分で明かしている。本楽曲は彼らの青春時代に影響を与えたC-C-Bやトーキング・ヘッズと山本リンダを合わせたらどうなるのかという実験作でもあり、結果としてイントロのフレーズが『狙いうち』のようになってしまったと山口は振り返っている。また、山口は同楽曲に影響を与えたバンドとしてクラクソンズやブロックパーティーといったイギリスのインディー・ロックを挙げている。 ライターの青木優はラジオにおける山口の発言を分析し、イントロやファルセットのきいたコーラスがC-C-Bの影響を受けているのではないかと推測し、躍動するリズムに合わせて繰り返されるフレーズは、トーキング・ヘッズの「ワンス・イン・ア・ライフタイム」(『リメイン・イン・ライト』収録)あたりから間接的に影響を受けているのではないかとみている。また、青木はビートや鋭いギターサウンドはUKインディーシーンからの影響ではないかと推測している。一方で、青木は山口がラジオで言及しなかった部分についても推測しており、本楽曲のフレーズはクイーンの「バック・チャット」や田原俊彦の「シャワーな気分」を思わせるとしている。 「モス」は、当初「皆が好むものではなく、自分の中にある本当に好きな物」という意味から「マイノリティ」というタイトルを付けられたものの、社会的少数者など別の意味にもとれてしまうことから、蛾を意味する「モス」というとタイトルに変更された。
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音楽性と歌詞
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盗んだことをいいことだとは思わない。でも10人の友達が、あの車のなかでどんな夢を見てたのか知らないけれど、無理やり髪を切られるのは間違ってるって、自分の思った正しい道へ進もうとしたことは、大切なことなんじゃないかって今でも思ってる。そういうあいつらの気持ち、僕自身の気持ちを大切にしていかなきゃいけないと思ってます。 尾崎豊, ギターブックGB 1984年6月号 本作は尾崎が14歳の時、中学校にてタバコを吸っているところを教師に発見されたこと、もしくは尾崎の同級生である友人の一人が髪が長いという理由で、中学校の教師にバリカンで髪の毛を刈られたことに反発し仲間とともに実際に家出した経験をもとに作られた。夜中に仲間10人と共に家出をした尾崎は、バイクで街を走り回ったが、後に行き場をなくして車のスクラップ工場で仮眠を取っている際に教師に発見され補導されたと述べている。当初は「14の夜」と作詞したかったが、語呂が悪いため「15の夜」とした。その仲間たちとよく集まり、歌詞にもある家出の計画を立てた場所は、東京都練馬区向山にある向山公園である。 しかし父である尾崎健一の日記によれば、実際には尾崎の友人の家出を題材としたことが明らかになっている。健一の日記において家出は1978年10月に起きたことであると記されており、「友人の家出を午前三時まで探す」、「これは、後に豊が『15の夜』で歌った事件」と記述されていた。この出来事は尾崎が13歳の時であり、また午前三時までは尾崎は友人と共に過ごしていたこととなる。このエピソードは後に脚色され、仲間10人と共に家出したという前述の内容で語られることになっていった。歌詞中にある「盗んだバイクで走り出す」という一節について尾崎の同級生は、尾崎はバイクを盗んだことはないと断言しており、実際に不良少年との付き合いはあったがそこまで入れ込んでおらず、様々な体験をして自身が納得するためであったのではないかと同級生は推測している。また妻であった尾崎繁美は「バイクを盗んだのは尾崎の友人で、それを曲にした」と、尾崎の死後に語っている。 須藤は本作の歌詞について「誰も書いたことのないような、ティーンエイジャーのための、ティーンエイジャーによる、ティーンエイジャーの詞だった」と述べている。また須藤は尾崎の実像は内省的な普通の男の子であったと述べ、友人と家出を計画しても結局は家に帰るような状態であり、本物の不良やアウトサイダー達と付き合いがあった訳ではないと述べた上で、本作はアウトサイダーとして生きるティーンエイジャーを描いた曲ではなく、「誰にでもあるやるせない、やり場のない青春時代の体験」を描いた曲であると述べている。作詞家の岡本おさみは歌詞中の「しゃがんでかたまり 背を向けながら」という箇所が新しい感じがすると述べている。
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音楽性と歌詞
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本作は、R&B/ソウルをベースに、シンプルなビートと繊細なコーラス、クラシカルな音色といった特色を持っている。また、それ単体ではフォーク的にも響く歌を主軸に、音楽的には宇多田ヒカルをヴォーカルに迎えた「Lonely One」をはじめ、現行のR&Bやトラップ以降のビートとフロウ、ミニマルにして芳醇なアレンジメントが際立っている。全体的にフランク・オーシャンの『Blond』に通ずるアンビエントなオルタナティブR&Bやネオソウルの影響を感じさせるトラックメイクとなっていながらも、その響きは圧倒的に日本語に寄せて作られている。音楽評論家の柴那典は、「サウンドのベース自体はオルタナティブR&Bにあるのだけれど、トレンドを意識するというより、彼自身の美意識を深く研ぎ澄ますことで楽曲を作っている感がある。」と指摘している。また、落ち着いたリズムの中で、ギターやストリングスが最小限の音で流れており、その上で力強い地声と流麗なファルセットを行き来するように歌い上げる声も特徴的である。なお、その声質に関しては、平井堅や小沢健二などに通じるとも指摘されている。その他にも、自由な譜割りや独特の歌唱法、突如現れる不思議な音や声、別の楽曲、小袋の友人たちの語りなども本作の特徴となっている。 リリック面では、思春期の痛みを伴う思い出、親に対する複雑な思い、別れてしまった恋人に対するノスタルジックな感情などを文学的な言葉遣いで描き出している。友人の死、失恋、妹の結婚などのリアルな実体験に基づくエピソードが、曲の中で私小説的に描かれており、アーティストとしての表現はあくまで内省的となっている。その中で、「E.Primavesi」で〈 言葉は真実を映さない 君は気付いてしまったみたいだ この世は全てがフィクション 〉と歌われている通り、歌詞が必ずしも等身大の真実とは限らず、極めて私的な体験を楽曲に落とし込む内に加えられたある種自然な誇張や脚色が存在するとも指摘されている。また、色彩や情景、感情と描写、口語と文章、リアルとフィクションがあり、それらがシームレスに入り混じって歌詞の中に高低差をつけているものの、決して散文には振り切れていないのも本作の歌詞の特徴である。
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音楽性と歌詞
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「はじまりさえ歌えない」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
僕は"ブルーカラー"と言われてる人たちが、自分たちの置かれている環境や不満みたいなことを歌っている歌に、すごく感じるんです。 尾崎豊, 地球音楽ライブラリー 尾崎豊 本作に関して須藤は、尾崎が影響されていたブルース・スプリングスティーンの歌に、自身の貧しかったアルバイト経験を重ねて制作したような曲であったと述べている。ある時尾崎は須藤に対して「ブルーカラー」の意味を尋ね、須藤がワイシャツを着ている「ホワイトカラー」に対して作業服を着ている労働者のイメージである事を伝えると、そのような人達を題材とした曲に惹かれると述べた後で尾崎は本作を制作した。 本作において尾崎は、自身は高校生でありアルバイトをしているとしても労働者ではなく、また金のために働いている訳ではないが、君に高額な物を買ってあげたい、君を幸せにしたいという願望を歌っている。しかし須藤は当初「はじまりさえ歌えない」という歌詞の切り口が理解できずにいた。その後本作に関して尾崎は自己矛盾を抱えていると須藤は気付き、労働者の憂鬱をテーマにした曲を制作したものの、自身は高校生であるためにその事を歌うおこがましさや矛盾を感じた事からこのタイトルになったと須藤は述べている。尾崎が何故スプリングスティーンの曲に感化され労働者の歌を歌おうとしたのかは、尾崎自身も須藤も分からないと述べている。また、本作の意味する「はじまり」とは、「自分が常に敗者であるという意識の始まり」であり、そうなった切っ掛けは自分自身でも分からないという事を歌った曲であると須藤は述べている。また須藤は本作のような労働者を題材とした曲として、後に2枚目のアルバム『回帰線』(1985年)収録の「Bow!」や5枚目のアルバム『誕生』(1990年)収録の「KISS」に繋がっていったと指摘している。 また本作に関して、尾崎が1985年2月3日に朝霞市の実家から世田谷区代田のワンルームマンションに引っ越した後に初めて制作した曲とする説があるが、正しくは2枚目のアルバム『回帰線』に収録されている「坂の下に見えたあの街に」の事である。
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「I LOVE YOU (尾崎豊の曲)」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
僕は、遺伝子の中には"やがて肉体は滅びる"という自意識が、組み込まれているんじゃないかという気さえするんだ。つまり命をかけてもいい、これだけは無くしたくないっていうほど人を好きになった瞬間に、『そんなことはできないんだよ』っていう、神様のささやきが聞こえるんだと思う。だからせつなくなる。それでラブソングは哀しく聞こえるんじゃないかな。 須藤晃,尾崎豊が伝えたかったこと 本作に関して須藤は、尾崎が『十七歳の地図』のレコーディングを通して、自身の中で音楽的要素が整理されていく中で制作した曲ではないかと推測している。須藤は尾崎は吸収力があったと述べ、自身はギターのみで作曲していたがキーボードが入ってバンド形式となった時に、どんな形で音が構築されていくのかをレコーディング中の2~3週間で学び本作を制作したのではないかと須藤は述べている。須藤は本作はアマチュアっぽさがなく、楽曲としてスタンダードになり得る完成度であった事から流行歌になったと総括している。須藤は自身にとって尾崎の代表曲は「卒業」(1985年)であると述べたが、世間一般的には本作であり、後にリリースされ尾崎最大のヒット曲となった「OH MY LITTLE GIRL」(1994年)と比較しても本作は制作当初から評価が高かったと述べている。 本作は恋愛関係にある男女の幸福を描いた曲であるにも拘わらず、「とてつもなく哀しく聞こえる」と須藤は述べている。須藤はこの事について尾崎と議論を重ね、「人の命には、限りがあるからではないか」という結論に辿り着いた。須藤は歌詞中の「若すぎる二人の愛には触れられぬ秘密がある」という箇所の解釈として、若すぎる為に生活力もなく、二人で暮らす事を社会が認めてくれない事が「秘密」であると述べている。須藤は現実的に生きる力がない事を箱の中にいる子猫のイメージに例えた尾崎の詩人としての才能を称賛し、本作には決して一つになれないという10代の恋愛が持つ哀しさが全て融合されていると述べた他、本作がその後ライブなどで歌唱された際にも17歳の尾崎の瑞々しさを失わなかった理由として、「ラブソングの持つ永遠の魅力を、表現しきったからだと思う」と述べている。 音楽情報サイト『CDジャーナル』では、本作が結婚式の定番曲になっている事を指摘し、歌詞が「純粋で刹那的」である事から18歳で制作されたとは思えないと述べ、「しっとりと情熱的に歌われており、色褪せない永遠のラヴ・ソング」であると評価した。著書『放熱の行方』においてノンフィクション作家である吉岡忍は、本作を「きれいだが、悲しみに満ちた歌」であると指摘し、「まぶしさの前で立ち止まり、そのまぶしさの裏側に隠されているのもを必死で探し当てようとしている姿がある」と述べている。
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「KEN☆Tackey」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
楽曲は2人の希望により、多数の候補曲の中から”ジャニーズの王道”の、”キャッチーで振り切った”、”インパクトがある曲”として選ばれた。テーマは「女性の強さ」「結局男性は女性に守られている」「女性から元気をもらって笑顔になる」であり、その歌詞は女性への敬意を表している。なお先述のとおり、サビの歌詞「Can touch it! Can touch it! Can take it!」は「ケンタッキー、ケンタッキー、ケンタッキー」というユニット名の”空耳”が聞こえるように歌唱されている。
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音楽性と歌詞
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「OH MY LITTLE GIRL」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
本作は初期の尾崎があまり使用しなかったコード進行の曲であり、須藤は「メロディーが先行している感じがする」と述べている。須藤は本作の情景を冬の並木道を若い男女が二人で一つのマフラーをしながら歩いていると例え、冬にも拘わらず女性への愛しさがぬくもりを感じさせそれがまた切なさを感じさせると述べている。また須藤は同じアルバムに収録された「ハイスクールRock'n'Roll」にも「セーラー服のLittle girl」という歌詞がある事を指摘し、当時の尾崎にとって女性は「Little girl」というイメージがあったと述べている。しかし2枚目のアルバム『回帰線』(1985年)収録曲の「シェリー」では女性の優しさに甘える表現になっている事を指摘している。 書籍『地球音楽ライブラリー 尾崎豊』においてライターの落合昇平は、尾崎が1984年7月1日に白井貴子の前座として出演した日比谷野外音楽堂公演において、1曲目に弾き語りで「シェリー」を歌唱した所、客席からフォークソングである事を揶揄する声や「ダサい」といった声があったと述べている。また、尾崎は当時の流行語である「ネクラ」に属しており笑われる対象でもあったとも述べている。その後数年間は都会的で明るく軽妙な内容のトレンディドラマが主流となっていくが、フジテレビ系木曜劇場『愛という名のもとに』(1992年)に浜田省吾の「悲しみは雪のように」(1981年)が主題歌として、岡林信康の「友よ」(1969年)が挿入歌として使用された事、そして本作がフジテレビ系テレビドラマ『この世の果て』(1994年)の主題歌として使用された事から10年かけて時代が反転した事を印象付けたと述べている。
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音楽性と歌詞
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「十七歳の地図 (曲)」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
本作の歌詞は当時青山学院高等部の生徒であった尾崎が、須藤の話を受け学校帰りに夕日を見に訪れていた、渋谷駅前の東邦生命ビルの屋上テラスで街並みを眺めていたときに着想した曲である。そのため、屋上テラスにはこの曲の一部の歌詞が刻まれた記念碑が設置されている。 須藤は自身が「十七歳の地図」というタイトルを提示した所、尾崎が本作を完成させた事に驚愕した。須藤は尾崎と出会ってからそれまでは自身の知識量や見識の広さなどから尾崎を下に見ていたかもしれないと述べ、本作の歌詞を見たときに「彼は僕がどんなふうにしてもかなわない何かを持っている」、「僕よりももっと鋭いシャープな感性を持っている」と確信しひれ伏すような気持になったという。須藤はそれまで尾崎の才能に気付いておらず、本作によってそれに気づいたと述べた他、「ダンスホール」を始めそれ以外のデモテープの作品も全て尾崎自身が制作していると確信したと述べている。編曲を担当した西本を始め、町支寛二や他のミュージシャン達も、尾崎の作品に関しては「詞がいい」と一様に評価していたという。 西本への編曲に関する発注イメージとして、ブルース・スプリングスティーンの「明日なき暴走」(1975年)が伝えられた。本作は当初カントリーロックのような曲調であったと須藤は述べており、またレコーディング時に勢いづいた尾崎は歌の出だしから1オクターヴ高いキーで歌い始めたため、サビで1オクターヴ下げる事になったとも述べている。
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音楽性と歌詞
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「卒業 (尾崎豊の曲)」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
(最後のリフレインに関して)それがすごく新しいんだよね。あんなふうに展開して、音楽が持ってる制度みたいなものを、尾崎君は壊しちゃったんだよね。そうやって行きたいと思ったから、行っちゃってる感じがすごく羨ましいし、新しいと思う。 佐野元春,尾崎豊が伝えたかったこと 須藤は本作に関して、曲の前半はロマン性や叙情派フォークを感じさせる展開であり、後半では「非常にとげとげしい、社会派的なメッセージを出していく」と述べ、「その両端が一緒になっている曲で、だから音楽的にも尾崎豊をもっとも端的に表してるという気がする」とも述べている。また須藤は本作について尾崎がアーティストとして活動した10年間に表現したことのあらゆる要素が詰まっている曲であるとも述べている。須藤は本作のボーカルが100年に一度という程のものであったと感嘆し、中島みゆきの「時代」(1975年)や浜田省吾の「J.BOY」(1986年)に匹敵する出来であると述べている。 本作は終盤に楽曲の形式を崩してサビをリフレインしながら最後には異なる展開となるが、それに対してシンガーソングライターの佐野元春は、「すごく新しい」と称賛している。ノンフィクション作家である吉岡忍は著書『放熱の行方』にて、本作を「攻撃的でありながら、自分の内面にも深く錘を垂らしていくような歌」と表現し、教師や大人に対する挑発だけではなく、また自身の内面を甘やかすだけでもなく、「一方に対する激しさが他方を律するきびしさとなり、他方の深さが一方をゆるす広さともなっている」と述べている。吉岡は本作からはアジテーションを全く感じないと述べ、同世代に対して「窓ガラスを壊せ」あるいは「教師に刃向かえ」とも言っておらず、「従順を強いる教師や大人たちの側の打算や狡猾さを見抜きながら、反抗する側の確信のなさやむなしさ」に尾崎自身が気付いていると指摘している。さらに吉岡は本作には「自分をふくめたそれぞれの狡さや弱さを、巧みな情景描写のなかで的確につく姿勢がある」とし、尾崎によるボーカルが「本音をにじませた迫力のある歌い方」であるにもかかわらず、尾崎自身と尾崎が描写した対象との距離感が正確に伝わってくるとも述べている。
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音楽性と歌詞
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「DRIVING ALL NIGHT」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
本作は同時期に放送開始された東海ラジオ放送のラジオ番組および番組での口述をまとめた尾崎初の著書となる『誰かのクラクション』(1985年)の内容から発展させて制作された。同書籍には「今日一日が、まるでちっぽけだというように、カレンダーには、日にちが、有りあまっているように見えた」という一節があり、その内容が歌詞中の「ちっぽけな日々がありあまる壁から逃れるように」という一節に変化、そのため「ありあまる壁」とは壁に掛かったカレンダーの事を指している。 須藤は本作に関してライブにおいては「すごくカッコイイ曲だった」と述べたものの、同じくアルバム収録曲となった「Freeze Moon」と同様に「自己破壊の歴史というか、ちょっと終末的なものを感じさせる曲になっている」とも述べている。また本作には焦燥感や無力感が表れていると須藤は述べ、「今夜俺誰のために生きてるわけじゃないだろ」という一節が素晴らしい言葉であると称賛したものの、本作が表現する内容は終末に向かっており、物を創作する方向には向かっておらず「すごく刹那的な生き方で、刹那的な人生観だと思う」と危機感を感じていた。10代の頃の尾崎は洋楽をほとんど聴いていなかったが、「Freeze Moon」および本作からはジミ・ヘンドリックスやジム・モリソンなどの破滅的な音楽の臭いを強く感じさせると須藤は述べている。 アルバムに収録されたスタジオ録音バージョンにおいても、尾崎はライブ時のようにイントロや間奏部分で強力にシャウトを行っており、本来であればシャウトが多すぎるとしてディレクターやプロデューサーによってカットされる程であったという。尾崎の代表的なロックチューンには「15の夜」(1983年)や「十七歳の地図」(1984年)、「Scrambling Rock'n'Roll」(1985年)などがあるが、本作が最も孤独感が強い曲となっている。 ノンフィクション作家である吉岡忍は著書『放熱の行方』にて、学校という管理された空間から抜け出した尾崎が、空漠とした手ごたえのない日常感覚を感じていると指摘し、一方で世間の胡散臭さを感じながらも自身に確信が持てず自分と現実との間で空回りしているような苛立ちが表現されていると述べている。
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音楽性と歌詞
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「全力!Pump UP!!/このメロディを君と」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
「全力!Pump UP!!」は、クラブミュージック系の楽曲で、ジャンルとしてはEDM。歌詞は「アンセム感を出す」ためにシンプルなものとなっている。曲名の「Pump UP」は「鍛え上げる」という意味であり、振り付けはアップアップガールズ(仮)が普段から行っているフィジカルトレーニングを取り入れたものとなっている。また、イントロの三味線は匹田大智の演奏によるものである。土屋恵介はEDMと三味線(和)という二つの要素が取り入れられていることについて「アヴィーチー「Wake Me Up」のカントリー・ミーツ・EDMの日本からの回答だ(!?)」としている。 「このメロディを君と」は、ファンに向けてのメッセージ性が強い楽曲で、アップアップガールズ(仮)の未来の目標が描かれている。振り付けはフォークダンスをテーマとしたもので、メンバー同士が一体となってする振りが多い。土屋恵介は曲調について「メロディアスなポップ・チューン」としている。
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音楽性と歌詞
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「BRAND NEW STORY」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
Sony Musicによる解説「今まさに始まろうとしている新しい物語の予感を感じさせる歌詞。十代のメンバーそのものを表現したような、フレッシュで勢いのある前向きなメロディ。そして彼女たちの最大の魅力のひとつでもあるダンスが映える激しい4つ打ちにロックなギターが絡む、アグレッシブなアレンジ。すべての要素が絡み合い、デビューにふさわしい、エネルギーに満ち溢れた力強い楽曲」 作曲者の特徴通り、既存楽曲のフレーズを多く流用している。一聴してわかる部分ではtrf・Every little thing・エレファントカシマシの有名曲、バッキングトラックの細部も含めるとさらに多くの流用・焼き直しが散見できる。 本曲に関し、メンバーは次のように語っている。浜崎香帆「この曲は仲間の絆や新しい扉を開ける人たちに向けてのメッセージソングになればいい」。小林晏夕「今の私たちの心情が歌詞に書かれているような気がした。どことなく先代のいいところがエッセンスとして入っている。これから歌い続けることで私たちの色に染め上げていきたい」。上西星来「私はタイトロープっていう言葉が気に入ってる。夢をかなえるためには、安全な道を通って、楽にいけるわけがない。その道筋をタイトロープに例えてるのがいいなって思います」。
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音楽性と歌詞
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「JOY (スターリンのアルバム)」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
実験的に作詞をしてた。既存の文章や新聞を歌詞にしたのも"何でも歌詞になり得るんだ"という実験の見本。 遠藤ミチロウ, 遠藤ミチロウ全歌詞集完全版「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました。」1980 - 2006より ザ・スターリン時代のパンク・ロックサウンドとは一線を画す内容となっている。芸術総合誌『ユリイカ9月臨時増刊号 総特集*遠藤ミチロウ1950-2019』においてライターの行川和彦は、遠藤のソングライティングに関して「ザ・スターリン解散以降の音楽活動を踏まえたユーモラスなポップ感が曲にも音にも歌詞にも表れている」と表記した他、ザ・スターリン在籍時の遠藤からは想像もつかないアルバムタイトルであり皮肉にも思えると指摘したが、「サウンドは正直でポジティヴな響きが迫ってきて当時のミチロウの意気込みが伝わってくる」と表記している。 1曲目の「誰だ!」に関して、いぬん堂こと赤牛戸圭一は「(復活の一曲目という事が)何か暗示的な気がする」と語り、マガジン・ファイブ代表の菅野邦明は未来志向的であり好奇心を示すエネルギーのある曲であると発言、遠藤は電気グルーヴのシングル「誰だ! (Radio Edit)」よりも先にリリースされた事を指摘している。ライターの行川は当時の遠藤の覚悟が叩き込まれた曲であると指摘し、「パーカッシヴかつグルーヴィなアップ・テンポ」の曲であると表記している。 2曲目の「包丁とマンジュウ」のタイトルの意味は、男性器と女性器の比喩であると遠藤は述べている。また、「マンジュウ」は鹿児島県では実際に女性器を指す言葉である事から放送禁止歌にされたという。さらに遠藤は料理好きであり饅頭好きのため「単純に俺の好きなものを二つ並べたんだけどね」とも語っている。ライターの行川は「曲調もコミカル」と表記している。 4曲目の「インターナショナル」は、1988年ソウルオリンピックにて発生したドーピングによるベン・ジョンソンの金メダル剥奪を報じた新聞記事をそのまま歌詞にしている。これはザ・スターリン時代の曲「先天性労働者」がカール・マルクスによる共産党宣言を歌詞にした事と同様であり、遠藤によると「なんでも歌詞になり得るんだ」という実験であったという。また、吉本隆明の「作品がなくても批評できるんだ」という言葉に影響された部分もあると語っている。ライターの行川は遠藤も学生運動に参加した際に歌ったとされる社会主義や共産主義の労働歌を思わせると指摘した上で「痛快だ」と表記した。冒頭のナレーションは当時日本テレビ所属アナウンサーであった小倉淳が担当している。
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音楽性と歌詞
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「ブルース (UNICORNの曲)」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
西川は「この曲ほど歌詞はラクだったのはなかったですね」と述べたほか、表題曲とカップリング曲で歌詞の対比があることから「“コンセプタル”なシングルですよね」とも述べている。音楽誌『別冊宝島724 音楽誌が書かないJポップ批評22 ユニコーン&奥田民生の摩訶不思議(ロック・マジック)』においてライターの西岡ムサシは、本作がUNICORNの労働者ソングの中でも一際異彩を放つ作品であると指摘し、平成の「ヨイトマケの唄」(1965年)であると例えている。ベース・ラインはチューバによって演奏されており、西岡は1920年代のハーレムにおけるハーレム・ルネサンス当時を彷彿させる演奏であると述べたほか、奥田の歌声を始めとして「曲全体のムードがブルージーだ」と述べている。
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音楽性と歌詞
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この世で一番、悲しい話であり、ひとつのラブ・ソングでもある。 奥田民生, ARENA37℃ 1989年5月号 本作は単身赴任をテーマにした楽曲であり、音楽誌『ARENA37℃』1989年5月号においてライターの藤野洋子は、「怒涛のごとくスピーディーで骨太なサウンドを聴かせる」楽曲であると述べている。西川幸一はこれまでに本作の布石となるような楽曲は存在したと述べた上で、本物のオーケストラを導入する展開となった経緯に関して、「極端に行こうと、オレらのバラけた音楽指向というものをね、もっと極端に極めようじゃないかと」と述べている。 当時メンバーが懇意にしていたレコード会社の社員が人事異動となったことから歌詞のテーマが決定された。奥田は本作制作時にミュージカルのドタバタとしたイメージを想定しており、そのためにオーケストラの導入が決定されたと述べている。ミュージカルでは一つ一つの出来事を歌にして繋いでおり、それらが繋がって壮大な物語となっているが、一つの楽曲を単体で聴いた時に特別なことを歌っていないことから、奥田は本作にも近いものを感じていたために人事異動の歌として作詞することとなったと述べている。
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音楽性と歌詞
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「キミに100パーセント/ふりそでーしょん」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
キミに100パーセント TVアニメ『クレヨンしんちゃん』のために制作された曲で、同番組の15代目のオープニングテーマ。同番組の歴代の主題歌では使用期間が最長であり、2012年10月19日の放送分から2018年6月29日の放送分まで6年間使用された(なお、2017年7月7日の放送分で一時中断され、2017年10月13日の放送分から再起用した)。子供にも親しみやすい歌詞には「素直な気持ちを人に伝える大事さ」が込められており、それをポップで可愛らしいメロディに乗せている。なお、きゃりーは元々『クレヨンしんちゃん』の熱烈なファンであり、しんちゃんのズボラな性格は自分に通じるところがあると語っている。リリース直前の1月25日には、TVアニメでペリー来航ならぬ『きゃりー来航だゾ』という回が放送され、きゃりーが本人役として劇中に登場した。映画のオープニングとしては、『バカうまっ!B級グルメサバイバル!!』、『ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』、『オラの引越し物語 サボテン大襲撃』、『爆睡!ユメミーワールド大突撃』、『襲来!!宇宙人シリリ』、『爆盛!カンフーボーイズ〜拉麺大乱〜』の6作品にて使われた。 ふりそでーしょん きゃりーが1月29日に20歳となるのを記念して制作された曲。卒業ソング、バースデーソング、バレンタインソングなどは世に多いが、成人式ソングは珍しい。歌詞には“こどもから大人になる心境”や“生まれてきた感謝のキモチ”が込められており、それを疾走感のある爽快なメロディに乗せ、演奏は前作までに比べると大人びたサウンドで、きゃりーは明るさを前に出して歌っている。特に、普段は感情を抑えた歌い方をするキャリーだが、この曲では2番の歌詞の「ありがとう みんなに会えて」というくだりで観客へ語りかけるように歌うという。きゃりーは「曲ラストがちょっと切ない …(中略)… 少女と大人の狭間を歌ってる感じ」と語っている。
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音楽性と歌詞
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「虹色モザイク/ENJOY!! ENJO(Y)!!」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
当CDシングルは「可愛さ1500% おバカさ1500%の両A面」となっており、南波一海は「どちらの方向にも振れるのが彼女たちの強み」と評価している。 「虹色モザイク」は、「好き」という感情を相手に伝える曲。もしくは、その感情を伝えることができずにいる気持ちを歌った曲。アップアップガールズ(仮)は、それほど数は多くないものの何曲か恋愛ソングを歌っているが、どれも片想いを表現した曲であり「虹色モザイク」も片想いの曲である。メンバーの佐藤綾乃は(グループ名に)「(仮)が付いていて完璧ではないから恋も片想いなのかな?」と推測している。 音楽のジャンルとしては、南波一海によれば「ドラムンベースのリズムを基調としたアップテンポな」ものとなっているが、南波は「泣かせモード」の楽曲であるとも評価している。PandaBoYは「冬っぽさある」トラックであると説明している。振り付けには、会場にいるファン一人一人を指さす部分があり、振り付けを担当した竹中夏海はその部分について「1人ずつ指さして、ガッツリ心を捕まえて」と指導した。 「ENJOY!! ENJO(Y)!!」は、ギャルがテーマとなっている曲で、見た目がギャルっぽい佐藤が曲の最初の部分のセリフを担当するなど「佐藤綾乃曲」となっている。サウンドプロデュースを担当したmichitomoによれば「比較的おバカな、リアルな女子高生の雰囲気を目指した」曲であり、ビジュアル的にそのイメージに合うのは佐藤だという。 音楽のジャンルとしてはEDMを基調に、ユーロビート、トランスを取り入れたものとなっており、dwango.jpは「パーティーチューン」と表現している。歌詞中には「ENJOY」という言葉が96回含まれており「ごきげんなアホ・ソング」となっている。振り付けにはラインダンスが含まれており、女性自身は「アプガの曲線美(?)が映える」と評価している。また、曲の最後には尻を叩く振りがあるが、これはメンバーの佐保明梨がふざけてやっていたものが採用されたものである。
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「"B"ORDERLESS」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
氷室は本作に関して、ロサンゼルスに居住し始めてから13年経った事で、自身の身体に残っている日本人の血と、アメリカの文化圏で生活する事で身に着けた要素をうまく融合させる事、あるいは今までの作品よりもロック・テイストを注入しなくてはならないとの目的で制作したと述べている。また、松井五郎とTAKUROが制作した歌詞に関しては、両者とも全く異なるタイプであると述べ、松井はキュビズムのようにストーリー性よりもあらゆる角度から一つの物事を語ったものが多く、TAKUROは一貫したストーリーがあり感情移入しやすいものになっていると氷室は述べている。また両者に歌詞を依頼した事により、「コントラストがついて面白いアルバムになったと思います」とも述べている。 音楽情報サイト『TOWER RECORDS ONLINE』にて音楽ライターの田中大は本作の音楽性を、「(氷室の)真骨頂とも言うべきパワフルなサウンドが連発」とした他、「燻し銀のブルース・フィーリング」、サイケデリック・ロックのよう浮遊感、「精緻なアンサンブル」などが聴きどころであると述べた他、松井やSPIN、TAKUROによる歌詞の世界観もポイントであると述べている。
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音楽性と歌詞
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「初恋 (宇多田ヒカルの曲)」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
「初恋」は、ドラムやベースといったリズム楽器が一切入っておらず、基本的にボーカル、ピアノ、ストリングスで構成されている。サビの三連符を軸とした譜割りも特徴的。また、この曲には(歌声の入らない)間奏がなく、川谷絵音はこれについて、宇多田の歌声とメロディの畳み掛けがヒットの要因となっていると分析した。 批評家/ライターのimdkmは自著「リズムから考えるJ-POP史」で本楽曲に言及。活動再開後の宇多田の歌詞では五七/七五調が以前により意識的に用いられているとしたうえで、本楽曲「初恋」では、「詞が持つこうした七五調の音韻律に対する譜割りのリズムの緊張が最大に達している」と指摘する。そして2番のサビ〈 うるさいほどに高鳴る胸が ~ 私に知らせる これが初恋と 〉を例に挙げ、この4行では「7・7/7・7/7・7/8・8」の律が守られているといい、また「そのメロディはこうした律を覆い隠すように一音一音伸縮させている。」と指摘している。 作詞家のいしわたり淳治は、この曲の歌詞について、その一説<もしも あなたに出会わずにいたら 誰かにいつかこんな気持ちに させられたとは思えない>を挙げ、「一回聞いただけで意味が分かるけれど、あまり聞いたことがない表現」「このような『どれくらい好き?』の答えとして、とても秀逸なキラーフレーズが連打されている」と分析。また、「初恋」は、「(宇多田が)日本語の面白さに気付いてから書いた歌詞だと思う」とコメントした。「初恋」の歌詞について、宇多田はインタビューで「恋の始まりとも終わりともとれるように書いています。初恋というのは、それを自覚した瞬間から、それ以前の自分の終わりでもあるので。」と語っている。ロッキング・オンの高橋智樹は、本楽曲の歌詞について「『柄にもなく』、『竦む足』といった語感や、その後に登場する《もしもあなたに出会わずにいたら/誰かにいつかこんな気持ちに/させられたとは思えない》といった散文調の表現は、どこかポップスのリリックの定石から逸脱したものにも映る。」と指摘し、「ポップスとしてのギリギリの抽象性すらも排し、『音楽家・宇多田ヒカル』というひとりの人間の生き様に厳然とフォーカスを合わせている。」と語った。
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「(仮)は返すぜ☆be your soul/Party! Party!/ジャンパー!」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
「(仮)は返すぜ☆be your soul」は、大森靖子作詞によるリアルでブラックなアップアップガールズ(仮)のメンバーの心情が描かれた楽曲。これまでにアップアップガールズ(仮)がリリースしてきたような素直な意思を示している楽曲とは異なり、ダークな世界観が表現されている。楽曲にはセリフが含まれているが、セリフもダークな内容になっており、セリフ部分のレコーディングは、ダークで狂った雰囲気を出すためにレコーディングブースを暗くして行われたという。音楽のジャンルとしてはEDMで、歌詞の内容と合わせて「狂気の世界観」を表現している。ダンスもこれまでのアップアップガールズ(仮)の楽曲とは異なった印象を与えるものであり、サビの部分には「(仮)=借り」を投げ返す振り付けがある。 「Party! Party!」は、fu_mouによる「アプガが持つ熱量を笑っちゃうくらいエピックに!」をテーマとしたパーティソング。ドワンゴジェイピーは「「アイドルとしての原点」に立ち返」った「王道なアイドルソング」と述べている。振り付けはアップアップガールズ(仮)のグッズの「第二章(仮)新(仮)ブレード」(キングブレード)を使用したもので、曲の途中でキングブレードの色を切り替えている。 「ジャンパー!」は、アップアップガールズ(仮)への楽曲提供が今回で7曲目となるPandaBoYによる楽曲。PandaBoY制作の楽曲にはこれまでにも歌詞が多いものがあったが、当楽曲はそれらにも増して歌詞が多く譜割りが難しくなっている。また、PandaBoYによる最近の楽曲はテンポが抑えられている楽曲が多くなっていたことなどから、「ジャンパー!」はアップテンポな楽曲となった。ドワンゴジェイピーは「中毒性の有るダンスミュージック」と評している。ダンスもジャンプが多く激しいものになっており、振り付け師の竹中夏海は「この曲、自分で振り付けしたけど、私は歌って踊れなかった」とコメントしている。
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音楽性と歌詞
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「街路樹 (アルバム)」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
僕は今回の事件を通して何かを伝えたいと思っていたから、これがマスコミに発表されたからとか、世間に知れ渡ったからとか、だから社会的責任を感じて歌を作るっていうんじゃなくて、今回のことで感じた社会的な責任をどういうふうにして歌にしていくのか、それが僕自身の社会的責任だと思っています。 尾崎豊, 週刊プレイボーイ 1988年 尾崎は本作の歌詞に関して、前作までよりも少ない言葉で多くの事を表現できたと述べた他、重さではなく深さが追求できた第一歩目の作品でもあると述べている。またライターの落合昇平は本作の歌詞に関して、より内面へと比重を移しており短い言葉でそれらを描き出すスタイルに行き着いていると述べた他、「何かに向かって作られたアルバムというよりも何かに向かおうとして転々とした足跡が集められたアルバムというのがその印象」と述べている。コ・プロデューサーであった樫原は、完成したばかりの歌詞を見た感想として「ニューヨークから帰ってきた影響なのか、どうにも哲学的な匂いが色濃くなっている」と述べ、尾崎の事を尊重しつつも日本のメジャーシーンにおいて商品化するのは困難であると忠言した他、歌詞があまりに抽象的すぎる場合は「これじゃ何を書いてるんだかわからないよ!」と声を荒げた事もあったという。また樫原は須藤が如何に尾崎に厳しく指導し時に修正を命じていたのかを痛感したと述べている。 『KAWADE夢ムック 尾崎豊』にて音楽ライターの松井巧は、前作まで参加していた西本明が担当した「理由」を除き編曲者が変更された事を指摘した上で「一聴してサウンドの印象が変わっている」と述べ、ギターシンセサイザーやエレクトリックパーカッション、デジタルシンセサイザーなどの80年代の記号性を持ったサウンドが後退したと指摘し、「よりオーソドックスな音色で全篇埋め尽くされている」と主張した。また同書にて詩人の和合亮一は、本作を「街角の雑踏を求めて止まない欲望の根源を、厳密に見つめ続けてきた彷徨の記録である」と述べ、冒頭の3曲は大都会での孤独感が表されており、「時」では大人という自身のアンチテーゼに向けて歩み寄ろうとする意志が感じられると述べている。さらに同書にて映画評論家の北小路隆志は、前作から始まったアレンジの多様性や音楽的な高い完成度への意欲が継承されていると述べた他、初期作品にあった社会への憎悪は影を潜めていると述べている。音楽誌『別冊宝島1009 音楽誌が書かないJポップ批評35 尾崎豊 FOREVER YOUNG』においてフリーライターの河田拓也は、本作リリース時が尾崎の暗黒時代と語られる事が多い事に触れた上で、実は最も成熟した時期だったのではないかと推測し、「自分の感情を理性的に分析していく中で、彼が本来希求してやまない優しさや温かさから遠ざかる気がして混乱したり、内省を深めるほど聴き手と通じ合うことが難しくなる孤独やジレンマを感じていただろう」と述べている。音楽誌『別冊宝島2559 尾崎豊 Forget Me Not』において音楽評論家の遠藤利明は、前年に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故の影響によりRCサクセションやTHE BLUE HEARTS、佐野元春などが反核ソングを発表していたが、尾崎の「核 (CORE)」はストレートなメッセージソングではないと指摘しピアノやブルースハープで始まる静かな冒頭から激しいバンドサウンドへと展開する約9分の大作であると述べ、また「街路樹」は「オーケストラやコーラスも加わった壮大な曲調」、「紙切れとバイブル」は軽快なロックンロール調、「・ISM」や「COLD WIND」はハードロック的なギターの厚みやノリの重さがあると述べている。
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音楽性と歌詞
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音楽誌『PATi・PATi』1987年11月号にてインタビュアーは、それまでの尾崎の曲は歌詞の内容が暗澹たるものでも比較的聴きやすい曲調であったのに対し、本作はボーカルの荒々しさやアコースティック・ギターやピアノの音も優しくなく曲全体が暗澹たる構成になっていると指摘、それに対し尾崎は「ヘヴィーである事を受け入れられる心の余裕みたいなもの」や不安感や怯えのような事を最初に歌いたかったと述べている。また歌詞中の「愛してる」という箇所について尾崎は、1人の人間に対して伝える時の自身の「愛してる」という言葉は、本作の曲調のようにヘヴィーなものであるとも述べ、自身の中に「愛してる」という言葉が在り続けた事が本作制作の要因となったとも述べている。またB面曲である「街角の風の中」についてサウンド的に本作と対極にあると指摘された尾崎は、本作も「街角の風の中」も歌詞を並べてみれば「きっとそのふたつは対して違うことにはならないと思う」と述べている。 尾崎がデビュー当時から本作を演奏してきた理由は、「個人の愛」こそが世界を包める唯一のものであり、イデオロギーとしての平和や愛だけでは足りないという認識を確認するためであったという。そのために初披露から3年経た時点でのリリースを決定したのではないかと推測されている。書籍『盗んだバイクと壊れたガラス 尾崎豊の歌詞論』にて著者の見崎鉄は、本作リリース後に尾崎が覚醒剤取締法違反によって逮捕された事から、本作では覚醒剤による幻覚症状のような歪みや不安感を感じさせる内容になっていると指摘している。見崎は本作において街からの疎外感がそれまで以上に強い言葉で描かれていると指摘した他、終盤に唐突に「反戦」「反核」という言葉が登場する事に関して二つの要素があると述べ、一つは「反戦」や「反核」といった大きな問題の前に人々は日常生活を成立させなければならないという事、もう一つは歌詞中の人物が怯えている対象が不明瞭であり、それこそが核戦争による死の恐怖によるものであると思わせる仕掛けとなっていると解釈している。
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音楽性と歌詞
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音楽誌『別冊宝島724 音楽誌が書かないJポップ批評22 ユニコーン&奥田民生の摩訶不思議(ロック・マジック)』においてライターの内田和世は、本作の歌詞に関して「『すばらしい日々』という大きく振りかぶったタイトルとは相反する切ない歌詞」と述べ、音楽性に関しては「半音を多用した流れるようなメロディで淡々と歌われていく」と述べている。内田は本作を「ユニコーン後期に多く見られる、いつまでも心に残り、いつまでも歌い継がれていくような、どこかスタンダードな魅力を持つ奥田民生独特の曲調が美しい」と述べ、コミカルな曲調の曲がある一方で本作のような曲が存在することがUNICORNの魅力であると総括している。音楽情報サイト『CDジャーナル』では、「悲痛な歌詞が印象的で、矢野顕子もカヴァーした名曲」であると記載されている 歌詞の解釈に関して、解散前のラストシングルとなったことから、奥田からバンドを脱退した西川へあてたメッセージソングとされる。UNICORN関連の執筆が多かったライターの宇都宮美穂は、バンドを解散する奥田がデビュー前の素の奥田に捧げた歌という解釈を取っている。
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音楽性と歌詞
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選び難いっていうの? 各自いろいろ出してたから、どれをやってどうすればいい作品になるのかっていう部分がすごく楽しみだった。完成形が楽しみになる曲が揃ってたから。 阿部義晴, ARENA37℃ 1993年6月号 本作に関して堀内は「ハデだとかワイルドだなとか。力強い印象を持った、バンドな感じもすごくあったし」と述べ、手島は「味わい深いものが出来そうだなっていう予感があった」と述べ、奥田は「全体的にハデな感じだったよな。自分の曲も早くてハデなものだった」と述べている。また奥田は「寺田」で演奏していた曲も収録していると述べている。本作では脱退した西川によるドラムプレイが8割を占めているが、残りの2割を河合誠一マイケルが担当している。当初は西川の代わりに奥田がドラムスを担当する案が持ち上がったが、ブレイニーの前でプレイすることで下手だと思われることを嫌いドラムス担当を断ったという。 音楽誌『別冊宝島724 音楽誌が書かないJポップ批評22 ユニコーン&奥田民生の摩訶不思議(ロック・マジック)』においてライターの市川誠は、CD裏ジャケットには4人のメンバーが暗闇に向かって歩いているイラストが掲載されていることを指摘した上で、本作には「バンドとしてのまとまりはなく、曲ごとに各メンバーがイニシアチブを取ったものを集めて、ユニコーンの名前をつけたにすぎない」と述べ、ビートルズにおける『ホワイト・アルバム』(1968年)のようであると述べている。また同誌にて音楽解説者の榊ひろとは、本作収録曲の全15曲の内、奥田の制作曲が6曲でありフルアルバムでは初めて奥田以外のメンバーによる制作曲が半数を超えたことを指摘、残りの9曲の内訳が阿部の制作曲が3曲、堀内の制作曲が2曲、手島の制作曲が2曲、堀内と阿部の共作が1曲、奥田と西川の共作が1曲であると紹介している。また榊は「金銀パールベイビー」はロカビリー調、「オールウェイズ」はフォークロック、「素浪人ファーストアウト」はロックンロール、「月のワーグナー」はクラシカルなバラード、「8月の」は「ポップだが朴訥とした佇まいを聞かせる」と紹介している。 書籍『114+4 UNICORN写真+作品集』にてライターの宇都宮美穂は、UNICORNが過去作においてコミカルでありながらリスナーを啓蒙するような歌詞を制作していたことに触れた上で、本作の歌詞は突然の変化であり「バンドの存在が危うくなったこのときに、とうとう歌詞で本音を吐いた」と述べている。宇都宮は過去作の歌詞が「つぶやき」であったとしたら本作の歌詞は「叫び」に近いと例えており、「胸痛くなる言葉がいくつもあった」と述べたものの、「その叫びに涙はなく、あくまでもクールな質感に仕上げたのが、曲の力であった。字面だけ読んでいたら、救われない歌詞も目立つのに、音と一緒に流れるとき、それはたくましく、凛々しい、ロックンロール以外の何者でもなかった」と述べ、「どこまでも曲のクオリティーにこだわってきた、その成果が結実したとも言える」と総括した。
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音楽性と歌詞
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尾崎は本作と同名の小説『LOVE WAY』を上梓しており、後に短編集『普通の愛』(1991年、ISBN 9784041867013)に収録された。小説の内容は現実から逸脱したい主人公による覚醒剤体験を綴ったものとなっている。ノンフィクション作家である吉岡忍は著書『放熱の行方』において、歌詞の内容が非常に難解であり、前述の小説を読んだ後であれば多少の理解は可能であると述べている。吉岡は本作の歌詞の解釈として、誰もが究極の愛を求めるがその過程で欲望や矛盾に捉われて善意が相手を傷つけ期待した事は裏切られる、真実など安易に掴む事はできないがそれが人間の生きざまであると述べている。 書籍『地球音楽ライブラリー 尾崎豊』においてライターの落合昇平は、本作が尾崎が見つめている最新の「地図」であると位置付け、その地図上には何一つ確かな物がなく、心は何かが不足し常に満たされず、意味は形を失って愛は卑小なものと化していくという内容であり、「(だとしても)生きていくすべては愛しいものだ」というメッセージが歌われていると述べている。また星によるサウンドアレンジが、タイトなままであるが次第に熱を帯びてくると表現し、「前傾姿勢をとった尾崎の形を伝えている」と述べている。 音楽誌『別冊宝島1009 音楽誌が書かないJポップ批評35 尾崎豊 FOREVER YOUNG』においてフリーライターの河田拓也は、星勝のアレンジによって尾崎がデビュー以前に音楽性として持っていたフォークソングのようなルーツに立ち返り、井上陽水のアルバム『氷の世界』(1973年)収録曲の「氷の世界」を目指したかのようであると指摘した。また、「畳みかけるような言葉のリズム感と、微妙に垢抜けないデジタルビートの組み合わせが妙に生々しく新鮮で、インパクトはあった」とも述べ、歌詞の内容は「人は誰も愛を求めているが、欲望に翻弄され引きずられる。けれどそうした愚かさも生きていくための過程であり、その姿はいじらしく愛しい」と要約している。
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音楽性と歌詞
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歌詞は「軍門に下るのか」「君はYesと言うのか」など複数の人物が議論を交わしているような仕上がりになっており、「僕は嫌だ」という特徴的な台詞が登場する。作曲したバグベアは「僕は嫌だ」の部分について、「言葉は「僕は嫌だ!」では無かったですけど、作曲段階でもちろん入れていました。ラジオでもそこが決め手となったと秋元先生が仰ってくれていて、固定概念にとらわれず、叫びを入れて良かったと思っております」と語っている。 元立憲民主党代表の枝野幸男は、「反骨的な内容がいい」と評価している。
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「CLOUDY HEART」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
歌詞は氷室京介がかつて同棲していた女性との失恋がテーマとなっている。1985年6月25日渋谷公会堂で行われたBOØWY初の大ホール・ワンマンコンサートのMCで、氷室が上京した際に学校を中退して連れ立った女性の話がなされ、アルバイトを始めても3日と持たず辞めてしまった氷室は同棲していた女性の収入に頼って生活していた事、その女性が氷室の元を去った事から本作が制作されたとの逸話を述べている。この女性との交際について「イカしたママゴトだったと思います」等語り、氷室の年齢より1歳下である事が明かされた。BOØWYのマネージャー土屋浩(紺待人)もこの女性について自著で記述している。音楽関係者の話によると、氷室は21歳で高校の同級生と結婚している。 ファン投票で選曲されたベスト・アルバム『BOØWY THE BEST "STORY"』(2013年)では1位を獲得。高橋まことはロックンロールバンドらしい楽曲の「ONLY YOU」(1987年)や「Marionette」(1987年)を予想し、意外な結果だがなるほどなと思ったと語っている。同作がリリースされた頃、高橋は60代に差し掛かっていたが、ファンも年齢を重ね、歩んできた人生に染みる楽曲ということもあるのだろうと高橋はインタビューで語った。BOØWY現役の当時まだ30代前半だった高橋も年齢と共に「CLOUDY HEART」の歌詞の分からなかった側面に気づくようになった。なおこのインタビューによると、1983年または1984年の夏、このバンドがまだ売れない頃に夏休みも組み込まれた四国ツアーを行い、氷室が車中で何か書いている様子に高橋が声をかけると「“CLOUDY HEART”の詞をさぁ…」と返答し、「ROCK'N ROLL」の題名であった頃のインチキ英語ではレコーディングできないからと、「CLOUDY HEART」の歌詞を氷室が一生懸命書いていたのを高橋は覚えていた。 元々「CLOUDY HEART」というタイトルではなかった事を知らないエンジニアのマイケル・ツィマリングが、「この曲はとても“CLOUDY HEART”という感じがする」と発言し、ディレクターの子安次郎は大変驚いたと述べている。著述家・樋口毅宏によると、口語体を使用する「CLOUDY HEART」の歌詞は、つんくが影響を受けている。
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音楽性と歌詞
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「PINK BLOOD」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
本楽曲は、タイトなサウンド・プロダクションや複雑で沈み込むようなビートを特徴としたR&Bナンバーである。オルタナティブ・R&Bとも説明されている。浮遊するエレクトロサウンドや少しジャジーな雰囲気について、前前作「誰にも言わない」やアルバム『Fantome』収録の「ともだち」との類似が指摘されている。そのメロウさについてPhileWebのライター・高橋敦は、「音量を上下させるトレモロや音を左右に動かすパンニングなど、いわゆる『揺れもの』エフェクトの多用、その揺らぎによって生み出されているところも大きい」と述べている。 また「宇多田印」のコーラスパートでは、リズムを強調するような無機質で独特の譜割りとそれを強調するエディットが施されている。 楽曲の構成面では、現代のポップスらしくコンパクトにまとめた上で、その終盤に日本のポップスでいうところのサビに当たるような盛り上がりが配置されている。 歌詞の面では、「他者と自己の関係のバランスの中でなかなか自分というものに比重がいっていない傾向にあった私が、自分がそれまで依存していたものを断ち切っていって自分で自分を肯定しアイデンティティを探していく」というイメージが表現されている。またこれは宇多田にとって特別な歌詞だったといい、「『何か見えるぞ新しいものが』っていうものを感じた」と述べている。
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音楽性と歌詞
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「働く男」というテーマに関して西川は、奥田が商社マンとして働いてみたいという願望があったことから本作を制作したと述べている。それに対して奥田は「大迷惑」から着想を得て本作を制作したと述べている。また、奥田は制作当時からことあるごとに本作を「自信作だ」と述べている。音楽誌『別冊宝島724 音楽誌が書かないJポップ批評22 ユニコーン&奥田民生の摩訶不思議(ロック・マジック)』においてライターの川口瑞夫は、奥田が自身と折り合いを付けて外向きに制作した曲であると述べ、また「かなり混沌とした印象を受ける曲でもある」と指摘、さらに初めて聴いた感想は「エスノファンク」であったと述べている。川口は歌メロのコードから外れて行こうとする各パートの演奏が特徴であると述べ、それにも拘わらずポップな曲であることから「ユニコーンの面白さと危うさが凝縮されているともいえる」と述べている。 本作を収録したシングルはすべて会社のことをテーマとした楽曲が収録されているが、堀内はたまたまであったと述べ、西川は後でその事実に気が付いたという。カップリング曲である「CSA」はパンク・ロック調の激しい曲であり、バンドの所属事務所である「CSA(CSアーティスツ)」の住所・電話番号・社名がそのまま歌詞になっている。後半の「CSA」のシャウトはメンバー全員によるものだが、なぜか1人ずつ上半身裸になり、スタジオのブース(通常演奏を行うスペースの外)でレコーディングを行った。「ロック幸せ」 は西川が初めて作詞、作曲、リードボーカルを担当した曲であり、手島から3コード、JUN SKY WALKER(S)の森純太からアレンジを教わって制作された。ボーカルも西川が担当しているほか、手島のボーカルが逆相で収録されている。手島は以前から川西は声の通りがよく、ボーカルに向いていると思っていたという。ライブで披露される際は、ドラムは奥田が担当した。UNICORN名義で西川がリードボーカルを担当するのは1993年の解散まで「ロック幸せ」のみであったが、再結成後のアルバム『シャンブル』(2009年)には西川が作詞、作曲およびボーカルを担当した「キミトデカケタ」が収録された。
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音楽性と歌詞
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「BEAT EMOTION」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
俺達、いろんなラブ・ソングを送り続けてきたわけじゃん。今回は、その中でも極上のラブ・ソングだよ。 氷室京介, ARENA37℃ 1986年12月号 リリース当時、音楽誌『ギターブックGB』1986年12月号のインタビューにおいて氷室は、BOØWY結成当時の瞬発力を表現したいと述べた他、BOØWYのデビュー時にはセックス・ピストルズを始めとしたパンクムーブメントが終了し、スクイーズなどのメロディがはっきりとしたバンドが出現した時期であった事もあり、この時期にあえてそれらの要素を取り入れた作品を目指して制作した事を述べている。また、布袋の意向によりT・レックスのような曲が収録されている事を述べた他、BOØWYのルーツとなった音楽を裸になって表現した作品であるとして、前作が「オシャレに着飾ったアルバム」であるとした場合、本作は「“肌”の部分が強いね。“肌で感じさせよう” みたいな」とも述べている。高橋は自著『スネア』において、本作は前作の揺り戻しが背景としてあった上で制作された事を述べ、「今の自分たちがゴリゴリでシンプルな8ビートである “BEAT EMOTION” を刻むとこうなるんだ」という事を提示する作品であった事を述べている。また高橋は前作が氷室の色が強い作品で、本作は布袋の色が強い作品であると述べている。 音楽誌『別冊宝島1322 音楽誌が書かないJポップ批評43 21世紀のBOØWY伝説』にて音楽評論家の今井智子は、BOØWYの楽曲は「キレよく短いギター・イントロで印象的に始まり、テンポよく展開していくものが多い」とした上で、「B·BLUE」はその代表例であると主張した。今井はBOØWYの楽曲はイントロや中盤のギターソロが冗長でない事から布袋がバンドとして必要な要素を良く理解していたからではないかと推測し、本作の音楽性は前作よりもライブアルバム『“GIGS” JUST A HERO TOUR 1986』の雰囲気を受け継いだものであると主張した。その他にも、「ONLY YOU」は歌から始まるイントロが抜群であるとした他、「RUNAWAY TRAIN」はブルースロックにニュー・ウェイヴ風のアレンジを施したような曲、「BEAT SWEET」はグラマラスなコーラスが入り布袋のギターが見事であるとし、「NOISE LIMITTER」のアウトロで挿入される「レトロなカーニバル・サウンド」に関しては「布袋の得意技」であると主張、さらに「SUPER-CALIFRAGILISTIC-EXPIARI-DOCIOUS」は「サウンド・コラージュのようなテンポ感や奇抜な展開に布袋節が全開だ」とも主張した。 大量の作詞を抱えた氷室は「いきなりこんなに詞書けそうもねぇよ」と述べ、レコーディングが終了してスタジオ内で麻雀をしていた松井恒松と高橋まことに対して憤慨した様子で「お前ら暇だろ? この曲の歌詞書けよ」と依頼したと高橋は述べている。音楽誌『別冊宝島1322 音楽誌が書かないJポップ批評43 21世紀のBOØWY伝説』にて今井は、松井による「WORKING MAN」や「RAIN IN MY HEART」は「氷室スタイルを参考に生真面目な熟慮の跡が窺える」とした他、高橋による「DRAMATIC? DRASTIC!」は「天然なノリそのまま」と主張した。
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音楽性と歌詞
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「恋」のコード進行の一部は、ジャクソン5(左)「ABC」やシュープリームス(右)「ヒート・ウェイヴ」からの影響が指摘されている。 「恋」は、ソウルミュージックやダンス・ミュージック、ファンク、歌謡曲の要素を持つ、オリエンタルでアップリフティングなダンス・ポップソングである。ヤマハミュージックメディアと『毎日新聞』によると「恋」は4分の4拍子のビートであり、BPMは158とされている。ロッキング・オン・ジャパンの小池宏和は、曲中で使用された楽器についてストリングスやマリンバを挙げている。また、イントロには二胡が使われている。リアルサウンドの黒田隆憲によると、「恋」のキーはAとされ、曲のコード進行はイントロの前段がDMaj7 / G7(9)ーF#m7 / A7(9) ーDmaj7 / G7(9)ーF#m7 / A7(9)。後段がDMaj7 / G7(9)ーF#m7 / A7(9)ーBm7 ・C#m7 / DMaj7ーBm7onE。サビはA / C#m7ーF#m7 / C#m7ーDMaj7 / C#m7ーBm7・C#m7 / E7sus4ーA / C#m7ーF#m7 / A7ーBm7ーBm7onEとなっている。黒田は「恋」のコード進行の中でも、Bm7→C#m7 →DMaj7の箇所はジャクソン5「ABC」やシュープリームス「ヒート・ウェイヴ」の持つソウルっぽさが見て取れると指摘している。さらに『“ミソミソラ〜ソミド、レ、ミ”という、強烈な中毒性を放つ「ヨナ抜き音階」のメロディが、この曲の肝である。』と述べており、加えて『Aメロ、Bメロ、そしてサビと、メロの音数も変化し、それによって楽曲のスピード感をコントロールしているのも注目すべきポイントだ。』と語っている。 「恋」の歌詞は、特定の条件・対象に限定されない、同性や異性、LGBTまた二次元に対する恋といった多様化した「恋愛のスタイル」について歌われた、星野曰く「すべての恋に当てはまるラブソング」である。楽曲の「君の元へ帰るんだ」の段までの歌詞は、曲の制作中にふと訪れた古い団地の風景に心を奪われたことに着想を得ている。星野はこの時の状況について『王様のブランチ』でのインタビューにおいて次のように語っている。「ご飯の匂いがしたんですよ。どこかの家から香るメシの匂いがすごく好きで、でも何を作ってるのかわからない」さらに当時自身が多忙であったこともあり「心がグーッとなってたんですけど、開放されたようなホッとした気持ちがして」とも語り、その際の心境、その景色から感じたことが歌詞にされているのだという。加えて、星野は歌詞で歌われている"恋"の対象について音楽ジャーナリスト高橋芳朗とのインタビューの中で以下のように語っている。 「 (前略)恋愛のスタイルというものがどんどん多様化していますよね。異性でも同性でもその他にももっといろんなスタイルがあって。今まで当たり前だと思われていたものが古くなって、塗り変わっていく時代だと思うんです。あと、僕は物語や虚構の世界を愛している人たちが大好きだから、本来実在しないものに対して恋をしたり、それによってそのひとの人生が充実していたとしたら、それが一般的に呼ばれる恋や愛と一体なにが違うんだって思っていて。それも含めてフィットする歌をつくれないかって考えたときに、「夫婦を超えてゆけ」って言葉が思いついたんです 」 —星野源(音楽ジャーナリスト・高橋芳朗とのあいだでのインタビューより) また星野は「夫婦を超えてゆけ」というフレーズを思いついた際に「あ、もう大丈夫だ」みたいな気持ちにもなれたという。上記の発言を踏まえ、インタビュアーの高橋は「LGBT、性的マイノリティへの理解を求める動きが広がってきた最近の社会情勢を踏まえた(略)いまの時代に求められているラブソングとはどういうものなのか、そこに非常に意識的につくられている曲」であると指摘している。あわせて、歌詞中の「夫婦を超えてゆけ」という言葉についても、「いままで聞いたことのないような新鮮な言葉の組み合わせでナチュラルに曲に溶け込ませている」と指摘している。音楽ジャーナリストの柴那典も歌詞「夫婦を超えてゆけ」について、「やっぱりこの曲のキャッチーさを象徴しているのは〈夫婦を超えていけ〉というパンチラインだと思うのだ。(略)いろんな恋の関係を肯定しているように受け取れる。使っている言葉自体はとても平易なのに、すごく奥の深い一節だ。」と指摘している。
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「僕が僕であるために (曲)」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
プロデューサーである須藤晃は、尾崎が自分自身を懸命に描写した曲が「街の風景」であり、この曲から歌を歌い始めた尾崎が社会との折り合いの付け方、両親に対する思いや自身の弱さを克服するにはどうしたら良いのかについて結論を出した曲が本作であると述べている。尾崎はジャクソン・ブラウンのアルバム『孤独なランナー』(1977年)に影響され「街の風景」や「ダンスホール」などを制作したが、これらの曲にはない第三者的な視点が本作では描写されていると須藤は述べ、またその視点が次作となる『回帰線』(1985年)に受け継がれているとも述べている。 歌詞中にある「勝ち続けなければならない」という箇所に関して、尾崎は負けず嫌いであり努力家でもあったと須藤は述べている。当初はピアノが弾けずギター演奏も下手であった尾崎だが、須藤が「どんなに有名な野球の選手だって、最初からホームランを打っていたわけじゃないだろう。ひたすら練習する事で、克服してきたんだよ」と告げると、尾崎は後に様々な楽器が演奏できるようになったという。また須藤は「街の風景」を制作した頃の尾崎は自身しか見えていない純粋で傲慢な子供であったと述べ、本作を制作した頃には周囲の大人達と自身を比較した表現や周囲の人間から見た自身の姿を描くようになっており、「いい意味でも悪い意味でも歌がプロっぽくなっている」とした上で「愛の消えた街」と比較して同一人物が制作した曲とは思えないほど落ち着いていて余裕がある曲であると述べている。 須藤は新聞社の人間などから本作は須藤が制作したのではないか、ブルース・スプリングスティーンの曲を須藤が解釈して尾崎に伝え、それを基に尾崎が制作したのではないかと疑問を投げかけられた事があると述べている。それに対し須藤は17歳の少年が何を歌うのかという点のみに興味があり、尾崎が自身の表現で歌う事を望んでいたためにそのような事は全くないと否定している。須藤はアルバム『十七歳の地図』の中で本作が最も尾崎らしい曲であるとも述べている。
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「ファッションモンスター」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
表題曲は、前作までのポップなメルヘン調から大きく方向転換した、ハイテンポでロックなテイストのエレクトリック・チューン。サビでキャッチーなリフレインを効かせ、万人受けするポップス志向が窺える。 メロディーの一部はジューシィ・フルーツの『ジェニーはご機嫌ななめ』の影響が窺える。 歌詞は自由な生き方への共感を歌い、きゃりー自身は「最初はみんなから怖がられてるモンスターなんだけど、自分の気持ちを自由に表現するうちにどんどん人気者に変わっていくというストーリーなんです!!!」と紹介している。 桑田佳祐は自身のラジオ番組「桑田佳祐のやさしい夜遊び」内の企画「桑田佳祐が選ぶ2012年邦楽ベスト20」で表題曲を3位にしている。
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基本的にはやっぱり一風変わっていたい願望があるし。でも無理して変えるんじゃなくて、削ぎ落していく方が自分では楽というか。だから、結果的にこうなって凄く満足している。 櫻井敦司, 音楽と人 1995年6月号 本作はロックバンド的な音作りではなくテクノ的な音作りを目指して制作されており、2枚目のアルバム『SEXUAL×××××!』(1987年)の収録曲である「ILLUSION」のような従前におけるバラードの代わりに、聴かせるアンビエントとして制作されたのが「Loop」であると今井は述べている。制作時の心境について今井は6枚目のアルバム『狂った太陽』(1991年)の頃に近いものであったと述べ、また『darker than darkness -style 93-』(1993年)においてギターサウンドを追求していたためにそれとはまた異なるもの、ヘビーなだけでなくもう一捻りの要素を試行錯誤していたと述べている。本作ではアンビエントやインダストリアルなどバンド形式とは相反する表現が増加しているが、バンド形式が足枷になっていないか問われた今井は「それで演るから面白い感じになるんじゃないですか。だからこのアルバムに関してもそういう事感じてませんよ」と述べている。インタビュアーからSCHAFTでは自由自在な表現が出来るものの、バンド形式では制限があるためにアバンギャルドになりすぎないブレーキの役割を果たしているのではないかと問われた今井は肯定はしなかったが、BUCK-TICKが2人組のユニットであるとしたら制作する音は変化するだろうとも述べている。本作収録曲の内、「唄」や「love letter」などのロックテイストの強い曲ばかりになると古典的なものを目指していると誤解される恐れがあったため、テクノとバンドサウンドの融合を目指すことになったと今井は述べているが、今井自身は古典的なロックの作品を全く聴いておらず興味本位でギターサウンドを追求した結果が偶然古典的なロックサウンドのようになったとも述べている。 櫻井は「唄」が制作された時点から「BUCK-TICKらしくないものを作りたい」と公言、「唄」のデモテープを聴いた櫻井は今井について「アイツ自身の変わろうとする意志が見えた」と述べていた。それに関し今井も「思いっきり変化をつけた」と述べ、ギターリフも自然に制作出来たと述べている。櫻井は前作を踏襲することが自身にとって許せないことであったと述べ、完全燃焼を目指して作詞を行ったと述べている。本作以前は自身の知らない言葉は使用しないという制限を設けていたが、本作において櫻井は「何でもあり」の状態で自身を型にはめずに制作したと述べている。本作収録曲において櫻井は数曲で作詞に行き詰まっており、「見えない物を見ようとする誤解 全て誤解だ」はメンバーとの音合わせの際に「違うな」と思ったことから1日で書き直しを行い、「限りなく鼠」は支離滅裂であると述べたほか、「愛しのロック・スター」では第三者を中傷していると捉えられる恐れから悩み、DER ZIBET所属のISSAYにボーカルを依頼した際も「死にそうな声で電話してきた」と後に言われたと述べている。当時大槻ケンヂがPTSDに悩まされていたことを受け、櫻井も紹介された精神病院で診察を受けたところ医者から「超鬱だ」と診断されたと述べている。また、星野による制作曲はイメージをつかみ取れず作詞が難航したとも述べている。その他、本作の制作には五木寛之の著書『生きるヒント』(1993年 - 1997年)が参考になったとも述べている。 書籍『BUCK-TICK ~since 1985-2011~ 史上最強のROCK BAND』では本作の音楽性に関して、「それまでのBUCK-TICKが培ってきた多様な音楽的要素を、考えうるあらゆる化学反応のよって爆発させたかのような、実に多面的で壮大な“音の宇宙”だった」と記されているほか、「『狂った太陽』より彼らが用い始めた電子音楽の要素を一層大胆に取り入れたアルバム」であるとも記されている。
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音楽性と歌詞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:11 UTC 版)
「ペンパイナッポーアッポーペン」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
曲は嬰ハ短調で、BPMは136。ピコ太郎のボーカルは、F♯3からC♯5。プロデューサーの古坂大魔王がこだわったのは「まぬけなテンポ」だった。古坂は、お笑いのネタやコミックソングはBPM120-140に集約していることを突き止め、お笑いは早い縦ノリではなく、横ノリだと考えた。試しにBPM150にしたが速すぎ、BPM120だと遅すぎたという。イントロは「まぬけさを出す」ことにこだわりローランド・TR-808のカウベルを使用。「携帯電話を意識した音」にこだわりディストーションをかけた音にした。スマートフォンは最初から歪んでいる為、それは自分がかけたい音ではなかったため、ディストーションをかけるように依頼した。「声を聞かせる為の曲作り」の工夫として、同じリズムを繰り返している。音数を減らすと勢いが減る為、疾走感の為にハイハットの音を入れている。
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音楽性と歌詞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 15:08 UTC 版)
本作は過激で前衛的なビートとオルガン、ベースを軸にしたアンサンブルが特徴的な楽曲である。またドラマチックな展開をみせるビート・メイクも本楽曲の特色であり、ドラムンベースとスピーディなスリップを融合させたようなビートで楽曲の幕を開けると、サビではハーフ・タイムに移行。2番へのブリッジではいわゆる2ビート系の疾走感あるフィールや8ビートを織り交ぜている。そしてラストのサビではメロディのリズムにユニゾンした半ばフリー・パートのような一節を経て2ビートで駆け抜ける。 星野によると本曲の歌詞は「映画の物語の世界とシアター、そこからさらに劇場の外、言ってみれば日常生活をシームレスにつなぐ歌詞」「虚構と現実の境界線を曖昧にする歌詞」で「ある意味ではメタ的に映画体験そのものを歌っている歌詞」である。
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音楽性と歌詞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 18:52 UTC 版)
ノンフィクション作家である吉岡忍は著書『放熱の行方』にて、尾崎がニューヨークに滞在していた際に制作された歌詞は「犯罪」「麻薬」「移民」「ホームレス」「ヤッピー」などの記号的な要素が増えている事を指摘している。吉岡は尾崎のデビュー曲である「15の夜」(1983年)やその後の「卒業」(1985年)などでは記号化された対象と現実とのずれをはっきりと指摘した他、現実と記号と尾崎自身の関係性が正確に読み取れる内容であったとも指摘したが、ニューヨーク滞在時の事を記した文章からは尾崎と記号のみが描かれており、「脈絡のない記号の羅列と、自閉的な孤独感だけがある」と述べている。吉岡は囁くような始まりと呟くようなメロディーの終盤には引き込まれるが、「引き込まれたまま、横滑りしていくような気がする。はぐらかされた気分になる」と述べ、本作には「あまり惹かれない」と否定的な見解を述べている。 ライターである見崎鉄は著書『盗んだバイクと壊れたガラス 尾崎豊の歌詞論』において、歌詞の一節が収監中の心情を描いたように読み取れると指摘し、本作を事件と関連付けて理解した者が多いのではないかと推測している。またニューヨーク滞在時の孤独感と収監中の孤独感には通ずる部分があったのではないかとも推測している。見崎は本作はネガティブな言葉に満ちているが、暗闇の中に太陽という救いを見出していると述べ、槇原敬之が1999年に覚醒剤所持により逮捕され、翌年に復帰第一弾としてリリースしたアルバムが『太陽』(2000年)であり、表題曲であった「太陽」が絶望の中の希望を意味する内容であった事を指摘している。 音楽情報サイト『CDジャーナル』では、「復活の意欲と出所後に結婚した夫人への愛が感じられる、ゆったりしたロック・ナンバー」であると記されている。
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音楽性と歌詞
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「PANIC ATTACK」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
特にコンセプトってもんは立てなかったけど、前よりもいい音で。あとは楽曲、とにかくいいもん作れば間違いないですからね! それがすべて形となった面白いアルバムが作れたと思います。 奥田民生, ARENA37℃ 1988年8月号 本作では初めてメンバー全員が作詞を手掛けている。「ペケペケ」に関して川西は、哲学や人生、政治などを題材にしたくないことから色物の歌詞として制作しており、歌詞中の男のイメージは奥田であると述べている。また、当初「ペケペケ」は仮題であったが、ライターの星野京子の要望によってそのまま正式タイトルとして採用されることになった。「シンデレラ・アカデミー」に関して堀内は、色物っぽい歌詞であるが作詞に関しては現実的ではないものを好んでいるため、歌詞中の登場人物の具体的なモデルは存在しないと述べている。「ツイストで目を覚ませ」に関して手島は、歌詞中の人物のイメージは自身であると述べた他、「噂じゃ町のドラ息子」という箇所が文法上問題があり、ドラ息子という言葉は2人称であり噂という言葉は3人称であることから、正しくは「町じゃ噂のドラ息子」とすべきであったと述べている。 書籍『114+4 UNICORN写真+作品集』にてプロデューサーである河合誠一マイケルは、本作からUNICORNの「3の線指向」が始まったと述べ、次作『服部』(1989年)へと至るプロセスで、ユーモアだけでなくロック的なテーマから5人を解き放ってしまったかのようであるとして、「ほんとに楽しくなりました」と述べている。同書にてライターの宇都宮美穂は、前作の歌詞に関して「悪い冗談みたいだと私は思う」と述べた上で、本作の歌詞は同じく悪い冗談でありながらもセンスのきらめきを見せていると述べた他、無意味な歌詞でありながらも「なんだかクスリと笑わせられる、"VOW"みたいな歌詞だな」と思わされたと述べている。 音楽誌『別冊宝島724 音楽誌が書かないJポップ批評22 ユニコーン&奥田民生の摩訶不思議(ロック・マジック)』においてライターの川口瑞夫は、英語タイトルの曲と日本語タイトルの曲がほぼ半々になっていることを指摘し、前作『BOOM』が全曲英語タイトルで次作『服部』が全曲日本語タイトルになっていることから本作は「両者を足して割ったような印象」と述べている。また、日本語タイトルの曲はサウンド面も含めた上で『服部』のイメージが強いとも述べている。川口は本作でコミカルな要素が強いのは「ペケペケ」のみであるとした上で、歌詞の語尾が「~のだ」で終わることからバカボンのパパのようであると指摘した他、チープなインド音楽風のアレンジなどから「この曲がその後のユニコーンの方向性を決定付けたと言ってもいい」と述べ、奥田による「脇役がいないバンドを目指した」との言葉から堀内に歌わせるというアイデアが出たのではないかと推測している。
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音楽性と歌詞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/26 21:26 UTC 版)
「Umbrella (清水翔太のアルバム)」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
この作品では清水がこれまでの人生の中で聴いてきた音楽の影響を受けており、R&B、ソウル・ミュージック、ジャズ、ヒップホップ、ファンクといったジャンルが同様にこのアルバムの中でも表現されている。また、アルバム収録楽曲の殆どはデモ音源に忠実に仕上がっている。しかし、「Soulmate」を含め2、3曲はアレンジャーの手により大きくアレンジが変わっている。トラック1の「Diggin' On U」、トラック5の「One Last Kiss」の2曲で清水はラップを行っている。「Diggin' On U」は清水なりのヒップホップであると同時にヒップホップへのリスペクトが込められており、『B=PASS』のインタビュアー土屋恵介は同曲について「ソウルフルなR&B」と表現している。「One Last Kiss」はイントロにレコードの針のノイズの音声が加えられており、ヴァースとコーラスではピアノの音色を主軸に4つ打ちのリズムにのせ、清水がラップとキックを行っている。『CDジャーナル』はこの楽曲を「ヒップホップ・ソウル風ナンバー」と表現している。トラック6の「Love Story」ではオートチューンが使用されている。トラック7の「Rainy Day's Morning」ではウッドベースを基軸にしたジャズ・テイストな表現を用いている。トラック8の「UNHAPPY」については、清水は自分なりのR&Bに対してアプローチを行った楽曲だと語った。『BARFOUT!』はこの楽曲を「バッド・ガール系の楽曲」と呼んでいる。トラック11の「My Love」においてはギター1本でほかの音を一切省いたアンプラグドで録音されている。 歌詞について、清水はアルバムを通して「愛からくる何かを守ろうとする気持ち」というものを大切にしたと話している。このことは複数のインタビュアーに指摘されており、エキサイトのインタビュアー・猪又孝はアルバム収録曲について、デビュー・シングルの「HOME」を含め、ラヴ・ソングの中でも特に哀しみを含んだ表現や失恋について歌った歌詞の楽曲が多いとコメントした。FLYING POSTMAN PRESSは、「愛」、「LOVE」という言葉をすごく大切にしていると指摘した。またオリコンのインタビュアー・三沢千晶は、アルバム全楽曲を通して穢い表現の言葉がひとつもないと指摘。更に歌詞中の表現について、詞の内容が「UNHAPPY」な状況にあっても「LOVE」な言葉で溢れているとも指摘している。このアルバムで沢山の「LOVE」を表現したかったと清水が語るとおり、アルバムは「With You」、「One Last Kiss」、「Love Story」、「Rainy Day's Morning」、「LOVIN U」、「「アイシテル」」、「My Love」と収録曲13曲のうち、その楽曲の多くをラヴ・ソングが占めている。
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音楽性と歌詞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 07:01 UTC 版)
最初、ユニコーンは自分たちのバンド・カラーがないところから始まって、結局、要らないやという話になってですね(笑)。 奥田民生, 月刊カドカワ 1993年7月号 音楽誌『ARENA37℃』1987年10月号にてライターの金子貴昭は、本作の音楽性をニュー・ウェイヴやハードロック、パンク・ロックなどの様々な要素が入っているが、メロディーはポップであり「まるでロックのヤミナベ」であると例えている。奥田は自らの音楽のルーツがビートルズであると述べた上で、パンク・ロックやハードロックにはメロディーがないと感じた事から自身でメロディーを制作することを検討。また本作のコンセプトについてメンバーは「リズムがハード、旋律がポップ。これが基本です」とも述べている。同誌1987年11月号にてライターの渡辺末美は奥田の歌唱について、曲によっては大澤誉志幸やケラリーノ・サンドロヴィッチ(有頂天)、あいざき進也や西田昌史(EARTHSHAKER)のようであると例え、「かなり豊かな声と声量と、何色もの色を持つ声質。愛くるしくて、切なくて、ハードなのだ」と述べている。 音楽誌『別冊宝島724 音楽誌が書かないJポップ批評22 ユニコーン&奥田民生の摩訶不思議(ロック・マジック)』においてライターの川口瑞夫は、UNICORNの作品の中でも最もフュージョンや16ビート色が強く出ており、これは笹路および河合の趣味性が反映された結果であると推測している。また奥田は上京後に「サウンド面で目の前が開けた」と述べており、上京後に制作された「Game」は転調やリズムチェンジを織り込んだ楽曲となっている。同年にはBOØWYやBARBEE BOYS、レベッカなどが人気となっていたが、川口は「16ビートをきちんと消化吸収したユニコーンのアレンジ・演奏力は同時代のバンド群の中でもズバ抜けていた」と述べている。また同書にて音楽ライターの菅岳彦は、小説家であれ音楽家であれ、処女作にはそのアーティストのすべてが内包されている事例が多い事に触れた上で、「ことユニコーンに限っては、“その後のユニコーン”を予感させる要素は、ほとんどないと言ってもいい。あえて言うなら、奥田民生がヴォーカルをやってるという点ぐらい」と述べている。また菅は、UNICORNは結成から間を置かずにオーディションに合格し、レコード会社の青田買い的な行為によって短期間でメジャーデビューした事で、「プロとしてデビューしてからバンドとしての体制を整えて行ったバンドだった」として、デビュー当時のUNICORNの印象は同じく「SDオーディション」によってメジャーデビューしたレベッカのボーイズ版であったと述べている。 書籍『114+4 UNICORN写真+作品集』にてライターの宇都宮美穂は、奥田による「歌詞なんてどうでもいいんですよ。曲さえよければ」という発言を引用した上で、本作の歌詞について「なんという無意味な言葉の羅列ぶり」と表現した。デビュー当時の奥田が21歳という年齢ゆえ様々な経験も浅く、書くべき素材がなくまた歌詞に本音を託すタイプでもないため、本作のような世界観の歌詞になったのではないかと推測した上で、「悪い冗談みたいだと私は思う」と総括した。
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音楽性と歌詞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 08:27 UTC 版)
僕らはすべてロックンロールだと思っています。ロックンローラーがやれば全部、ロックンロールなんです。 奥田民生, ARENA37℃ 1990年10月号 本作には「働く男」「いかんともしがたい男」「スターな男」とタイトルに「男」が付けられた曲が3曲収録されている。メンバーはこれを男三部作と呼び、奥田はタイトルを付ける上で利便性が高いために多く使用したと述べた他、ドラマーの西川幸一は「働く男」が奥田、「スターな男」が阿部、「いかんともしがたい男」が手島いさむであると例えている。「フーガ」は結婚をテーマとして楽曲であるが、制作したベーシストの堀内一史は自身の結婚観ではないと述べている。「スターな男」は阿部の理想であるとメンバーは述べており、同居人が必要であるとメンバーは阿部に進言している。「リンジュー マーチ」は一度手島に作詞が依頼されたが、手島が書けなかったために奥田が作詞を行うこととなった。「エレジー」に関して奥田は、「あれはただのおたくのイメージで作ったわけじゃなくて、そういう人ですよね。洋服もダサくてね、純粋さ故にひねくれてしまう、その人」と述べている。「スライム プリーズ」のイントロにはTBS系特撮テレビドラマ『ウルトラセブン』(1967年 - 1968年)とイギリスの特撮テレビ番組『サンダーバード』(1965年 - 1966年)のオープニングテーマからサンプリングされた音源が使用されている。これはレコーディング中に『漫画大全集』というCDを聴いたことから懐かしさのあまりサンプリング音源として使用されることとなった。また、「スライム プリーズ」は当初はソウルミュージック寄りの曲であったが、最終的にはハウス調の曲となった。 音楽誌『別冊宝島724 音楽誌が書かないJポップ批評22 ユニコーン&奥田民生の摩訶不思議(ロック・マジック)』において音楽評論家の安田謙一は、収録曲に対しそれぞれ「命果てるまで」は「昭和を引きずっているラブ・ホテルの内装を描く」、「フーガ」は「北欧のエレキ・インスト風なギターが涼しい」、「ロック幸せ」は「後の未曾有の不況を予言した」、「ケダモノの嵐」は「ニューロックの夜更け」、「エレジー」は「当時まだ記憶に新しかったM君事件を想起させる」、「自転車泥棒」は「Whiteberryにもカヴァーされた」、「富士」は「8分の6拍子の中期ビートルズ的」と述べた他、前半の7曲でメンバー全員の自作曲が出揃うことを指摘している。また後半の曲に対して、「リンジュー マーチ」は「スタックス・ソウル風」、「スライム プリーズ」は「さまざまな音源の闇鍋ソウル」、「CSA」は「愛社(所属事務所)精神に満ちたハードコア」、「いかんともしがたい男」は「再び中期ビートルズ風」、「夜明け前」は「寝ぼけ声のアカペラで始まる」、「働く男」は「シングル化も頷ける優れた編曲」、「スターな男」は「ロックンロール大団円」とそれぞれ述べ、「『ニッチ・ポップ』の見本市のような一枚」と総括し「最高傑作」であると主張した。
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音楽性と歌詞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 08:41 UTC 版)
「JUST ONE MORE KISS」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
パッと聴いて「ああ、BUCK-TICKだなあ」って思っちゃうような曲ですね。シングルだから特別なことをやろうと思ってなかったっていうか……このメロディーだったら売れるかなとか、こうやったらウケるかなっていうのはなかった。 今井寿, B-PASS 1988年11月号 ヤガミは自著『ヤガミ・トール自伝「1977」』において本作が当初からCMソングとしてタイアップおよびシングルとしてのリリースが決定していたと述べており、レコード会社側からシングル用の曲を制作するように依頼されていたことを明かしている。ヤガミは同著にてシングルとして依頼されたもののそう簡単には制作できるものではないと主張した上で、今井が本作を制作したことに関して「この時かな、俺が初めて今井の才能を感じたのは。すげぇな、こいつって」と述べている。他のメンバーは「シングル曲としては地味なのでは」と思っていたそうであるが、桜井の歌詞と歌が乗った時点で「大化けした」との感想を持ったという。櫻井は本作の歌詞について「退廃的なラブソング」であると述べており、今井とは逆にシングルであることを意識して、キャッチーで耳に残る単語やフレーズを多く取り入れるようにしたという。 櫻井は「トキメキは帰らない」という歌詞に関して、2人の男女が当初知り合った時の感情を長く交際している内に忘れてしまうことが切ないと感じたことから書いたと述べ、「イメージと現実の世界のかけらをひとつのシーンにまとめたのがこの詞なんです」とも述べている。また、「JUST ONE MORE KISS」というタイトルは今井が制作したフレーズを聴いてすぐに思いついた言葉であると櫻井は述べている。 4枚目のアルバム『TABOO』(1989年)において、本来は最終曲は「TABOO」となる予定であったが、櫻井が「あの曲が最後だと死んじゃうよ。苦しいよ」と反対したために本作が最終曲として収録されることとなった。また、櫻井は本作を「とてもいい曲」とした上で最後にプレゼントとして収録したとも述べたほか、1988年のBUCK-TICKの軌跡を標した1曲であるとも述べている。
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音楽性と歌詞
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「YES (BRADIOのアルバム)」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
OKミュージックのインタビューアーは本作の全体的な音楽性について「『FREEDOM』以上にもっと自由になった」と述べており、真行寺は「保守的にならず、自分からグルーヴを作り出そうという動きが多かった」とインタビューの中で述べている。また、大山も「ドラムとベースの仕掛けにギターが応戦したり、逆に面白くなるのを狙って無視するなど、グルーヴ研究会のようだった」と振り返っている。 2曲目「スキャット・ビート」について、酒井は「ヤスと刺激しあうような意思のあるグルーヴを最初に出すことができ、遊ぶモードに入っていけた気がした」と振り返っている。 1曲目「Funky Kitchen」と7曲目「Shout To The Top」についてはラップが取り入れられた。また、「Shout To The Top」の歌詞は真行寺の経験を基にして執筆されており、自分自身をもっと出すことの大切さについて歌われている。 3曲目「Sexy Lover」は当初はあまり色気のある歌ではなかったが、藤井の助言により、現在のような形になった。 9曲目「INAZUMAジャケット」について大山はかなりふざけた感じの楽曲だとし、「バンドのキャパシティが上がった結果、自分がもともと好きだったエモやパンクを採り入れることができた」とbarksとのインタビューの中で話しており、同席していた酒井も「『Sparkling Night』の逆バージョンで、かなりハチャメチャな感じになっている」と話している。 barksのインタビューアー・村上孝之の「ニューウェイヴのようだ」というコメントに対し、酒井は肯定しつつも、ニューウェイヴにすることは意識していなかったと話している。 『INAZUMAジャケット』の歌詞は、少年から大人に成長する中で形を変えて現れる「見えない敵」と戦う人々を応援する内容となっている。
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音楽性と歌詞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/09 05:33 UTC 版)
「我慢」はバンドのメンバー伊澤一葉と椎名林檎によって制作されており、伊澤が作曲、椎名が作詞を行っている。また、編曲はバンドメンバーによって行われている。更に「能動的三分間」のシングル盤によれば、この楽曲のBPMは128で、曲はリッスン・ジャパンによれば"オルタナティヴなギターが炸裂するナンバー"となっている。また、この楽曲は曲の途中で転調し、ピアノを主旋律としたラテン音楽風のメロディーに変化している。更にそのメロディーから再びオルタナティヴサウンドに戻るという構成となっている。リッスン・ジャパンはこの部分について更に突っ込んで"ブラジル音楽っぽい展開"だと指摘、言及した。 歌詞は「怒り」と「我慢」という2つのテーマについて歌われている。また、この楽曲の最大の特徴でもある歌詞は全篇にわたって関西弁で構成されている。関西弁のアイデアは楽曲の作曲者である伊澤一葉が思いつき椎名に依頼したもので、伊澤はオフィシャル・インタビューの中で、"林檎ちゃんが関西弁で歌ってるところがすごく聴きたくて。絶対かわいいだろうなと思ったんです。それと、メロディが変わってるんで、絶対、林檎ちゃんしか歌えないような曲だと思ったし。"と依頼の経緯とその理由について語っている。
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音楽性と歌詞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/31 07:58 UTC 版)
「春が来て僕たちはまた少し大人になる」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
「春が来て僕たちはまた少し大人になる」は、「卒業と新しい未来への旅立ち」をテーマとした卒業ソング。さんみゅ〜は、メンバーの新原聖生が中学校を卒業し、長谷川怜華・西園みすず・京極友香・小林弥生が高等学校を卒業するタイミングであり、メンバーの状況と同曲のテーマが重なっている。また、同曲は「悲しい別れと、新しい出会いへの希望」をテーマとしたラブソングでもある。これまでのさんみゅ〜の楽曲では、メンバーが歌う際笑顔であることが多かったが、同曲では切ない表情を端々に見せている。一方、曲調はこれまでの方針である「80年代王道アイドルサウンド」を踏まえたものとなっている。メンバーの西園みすずは「私たちのカラーを全面に出せた、お気に入りの1曲」と自己評価している。
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音楽性と歌詞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 09:41 UTC 版)
「IMAGE DOWN」の記事における「音楽性と歌詞」の解説
歌詞の内容は複数の異性と付き合う尻軽な10代の少女を揶揄したものとなっており、パンク色の強かった時期に制作されたためパンク・ロックを思わせる仕上がりとなっている。曲が完成した初期の頃は歌詞が異なり、「かっこいいわねマリーの彼氏と」の出だしと「自慢じゃないけどいつでも私は」の出だしの二つのバージョンが存在する。 アルバム『MORAL』は当初日本フォノグラムからリリースされる予定であったが、歌詞やファッションなどがレコード会社から問題視された。パンク・ロック色が強く、歌詞のイメージが汚いとレコード会社側がリリースをためらっていたため、1981年の夏に全てのレコーディングが終了しているにも関わらず、同年に『MORAL』はリリースされなかった。高橋の自著『スネア』によれば、本作の歌詞が特に問題視され、様々なレコード会社からリリースを断られたと記されている。結果として本作は歌詞の書き直しが行われたが、それでもレコード会社の了承は得られなかった。最終的にはビクター音楽産業からリリースされることが決定した。
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