東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件とは? わかりやすく解説

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東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/10 17:02 UTC 版)

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(とうきょう・さいたま れんぞくようじょゆうかいさつじんじけん)とは、1988年昭和63年)から翌1989年平成元年)にかけて日本関東地方埼玉県東京都)で相次いで発生した4件の誘拐殺人事件警察庁により、広域重要事件117号に指定された。


注釈

  1. ^ 団地の東約300 mには入間川が、約150 m地点には霞川がそれぞれ流れていたが、Aは家族らにより、普段から川には近づかないよう厳しく注意されており、また近隣住民や通園していた幼稚園の園長からも、Aは注意深い性格で、一人で遠くに出掛けるようなことは考えられなかったという証言がなされている[4]
  2. ^ カメラの印画紙は当初、1981年以降販売されていたF1-10シリーズ、もしくは1984年から販売されていたF1-800シリーズと見られていた[7]。後に詳細な鑑定を行った結果、F1-10型(当時、既に生産終了していたカメラにしか使えなかった)であることが判明している[8]
  3. ^ Cが失踪した12月9日は金曜日である。
  4. ^ 今田勇子とは、「『勇子・今田』=“Yuuko Imada”→“Yuuka Imada”=『誘拐魔だ』のアナグラム」という説や、「今だから言う」などという説が、当時の犯罪分析専門家などのコメントとして報道された。
  5. ^ 今田勇子とは、「『勇子・今田』=“Yuuko Imada”→“Yuuka Imada”=『誘拐魔だ』のアナグラム」という説や、「今だから言う」などという説が、当時の犯罪分析専門家などのコメントとして報道された。
  6. ^ Bが帰宅した時点では家は無人だったが、14時30分ごろに当時9歳だったBの姉(長女:小学4年生)が帰宅した際は玄関にランドセルが置いてあり、家は施錠されていなかった[14]
  7. ^ この団地ではC失踪から約1か月前の11月17日午後、小学1年生の女児が白いワゴン車に乗った男により、車に誘い込まれそうになる事案があった[18]。男は白い軽ワゴン車に乗っており、メガネを掛けていた[16]
  8. ^ 現場は「少年自然の家」の建物から下に約30 m下った場所、かつ斜面の下を通っている県道青梅秩父線から約10 m登った場所である[19]。同地点は飯能市街から県道青梅秩父線を秩父市方面に向かった約20 kmの山中(標高約600 m)で、飯能市と横瀬町の境付近にある「正丸峠」から南西に約1 km下った地点だが、周囲には少年自然の家以外に大きな施設はなく、冬季は通行車両も比較的少なかった[19]
  9. ^ 宮沢湖霊園は埼玉県立奥武蔵自然公園の東南端に位置する霊園で[23]、光西寺(川越市)が管理している[24]東飯能駅から北東約2.5 km離れた小高い丘にある[25]。最寄りの県道からは約150 m[23]、もしくは約500 mほど入った奥まった位置に所在する[26]。1980年(昭和55年)に造成された霊園で[27]、敷地面積は約2万 m2、墓は約1,000基(いずれも1989年6月当時)[26]。同霊園の市道からの入口には事件の2、3年前に暴走族の侵入を防ぐため、シャッター状の鉄柵が設置されており、管理事務所員が出勤する9時ごろに開門して帰宅する17時ごろに閉門していたが[23]、夜間に訪れる墓参者のため施錠はされていなかった[25]。霊園の管理人は遺体発見の前日(10日)夕方には簡易トイレ脇には何もないことを確認した上で、同日夜には霊園の門を全開にしたまま帰宅しており、10日夜から11日朝にかけては霊園内に自由に出入りできる状態になっていた[28]
  10. ^ それ以前に発生したバラバラ殺人事件で最年少の被害者は、1957年(昭和32年)4月2日に東京都中野区で殺害された中学1年生の男子生徒(当時12歳)である[31]。この被害者は犯人の事務員(当時31歳)宅に誘い込まれ、いたずらされて殺害され、ナタなどで遺体をバラバラに切断され、床下に遺棄されていた[31]。子供が犠牲になったバラバラ殺人事件は、D事件が同事件以来だった[32]
  11. ^ この時宮崎は被害女児の父親に威嚇されて怯えながら何度も謝ったが許してもらえなかった。この時宮崎はとたんに臆病な性格になっていたが後に取り調べで大峯警部補から威嚇されても顔色一つ変えなかったため演技の可能性がある。
  12. ^ 現場は多摩川に並行する「吉野街道」から約30 m入った杉林で、付近は夏になると多摩川近くのキャンプ客で賑わうが、夜になると真っ暗で車はほとんど通らない場所である[35]
  13. ^ 現場は変電所端のハイキングコースから徒歩30分ほどの場所にある、林道から沢へ向かって約50 m下った場所[38]
  14. ^ 被告人から上告審判決に対する判決訂正申立が行われた場合、申立を棄却する決定書が被告人の下に送達された時点をもって判決が確定する[74]
  15. ^ この証言は2005年に『格闘する読売ウイークリー編集部』でなされたが[85]、当該記事は2023年時点で既に削除されている。
  16. ^ 劇中では同事件以外にも、オウム真理教による一連の事件和歌山毒物カレー事件に関連する人物などもモデルとなって登場する。

出典

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  5. ^ a b c d 『埼玉新聞』1989年2月7日朝刊社会面15頁「Aちゃん失跡事件 「異様」「人間じゃない」 住民ら怒りあらわ 県警 不審者洗い出しに全力」「大胆さにショック 捜査本部、再び拡充へ」(埼玉新聞社) - 縮刷版109頁。
  6. ^ a b 『埼玉新聞』1989年2月7日朝刊3版一面1頁「行方不明のAちゃん自宅前に骨片入り段ボール 入間 中に幼児のあごも 犯行におわすメモ残す」(埼玉新聞社) - 縮刷版95頁。
  7. ^ a b c 『埼玉新聞』1989年2月10日朝刊2版一面1頁「女児失跡・誘拐殺人事件 歯の別人鑑定、白紙に Aちゃんの可能性も 県警、捜査の基本線変わらず」「カメラは富士写製」(埼玉新聞社) - 縮刷版143頁。
  8. ^ a b 『埼玉新聞』1989年2月18日朝刊2版一面1頁「Cちゃん宅にも犯行声明? 12月下旬届く 「死」など新聞活字コピー」(埼玉新聞社) - 縮刷版259頁。
  9. ^ 『埼玉新聞』1989年2月8日朝刊3版一面1頁「女児失跡、誘拐殺人事件 遺骨はAちゃんではない 歯の鑑定から断定 Bちゃんとも異なる 第4の犯行?なぞ深まる」(埼玉新聞社) - 縮刷版111頁。
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  14. ^ a b c d 『読売新聞』1988年10月5日東京朝刊第14版第一社会面31頁「埼玉・入間川沿い 幼女また失跡 飯能の小1が帰宅後 12キロ下流の入間市では8月末に4歳園児 いずれも月曜、関連追及」(読売新聞東京本社) - 縮刷版237頁。
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