再結成後とは? わかりやすく解説

再結成後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 06:57 UTC 版)

ダムド」の記事における「再結成後」の解説

1978年春に解散したダムドであるが、早くも夏頃にはキャプテンラット再集結し、後に呼応したヴァニアンと一緒にMOTORHEADレミー・キルミスターベース加え一時的にDOOMEDもしくは「Motordamn」名義活動その後、元CHELSEAのヘンリー・バドゥスキーを経て新たなベースにアルジー・ワードを加えて本格的にダムド再結成した。つまり結局はブライアンワード入れ替わりキャプテンギター担当するようになっただけではあるが、今まで楽曲ソング・ライティング大部分担っていたブライアン抜けたことで、結果的にバンドの音楽性転換し以前よりもポップ色を強めることになった1979年Chiswick Recordsから発表したシングルラヴ・ソング」が本国イギリス大ヒットし、その勢いのままアメリカツアー敢行帰国後に3rdアルバムマシンガン・エチケット』をリリースした。この作品からは多数の曲がシングルカットされており、ダムドベストアルバムとの呼び声も高い。 1980年ベースワード解雇され後任にポール・グレイが迎えられた。そして、10月4thアルバムブラック・アルバム』をリリースバンドの音楽性はより多様になり、サイケデリック・ロック的な要素強まったこの頃から、キャプテンソロ活動重きを置き始める。 1981年サポートメンバーとしてローマン・ジャグ(キーボードギター)が参加、後に正式加入する新たに契約したレコード会社ことごとく倒産するなどの不運続きバンド存続危ぶまれる時期ではあったが、なんとか翌1982年にはアルバム『ストロベリーズ』をリリースする。しかし、翌年1983年2月ポール脱退(後にUFO加入)ジャグ紹介で、ブライン・メリックがベーシストとして急遽加入する1984年キャプテンソロ活動専念のために脱退ローマンギター担当バンド活動区切り時期迎えたキャプテン脱退後ダムドは、ヴァニアン色を強めたゴシック・ロック風の作風へと転換する。そして、1985年MCAレコードからアルバムファンタスマゴリア』をリリース続いて1986年1月英国歌手バリー・ライアンのヒット曲Eloise』をカバーしリリース英国シングル・チャート3位(映画の話では2位?)を記録!!4月待望初来日をはたし、12月には7目のアルバムとなる『エニシング』をリリースした1988年には、当時現行メンバー初期オリジナルメンバーブライアンキャプテン加えた編成ライブ行った。その模様は、1989年発表されライブアルバム『ファイナル・ダムネイション』に収められている。 1990年には1度休止するが、デイブローマンブラインとのゴス・ロカビリー・バンド デイブ・ヴァニアン&ザ・ファントムコード(Dave Vanian and the Phantom Chords)を結成1990年〜1999年頃迄活動1991年にはオリジナルメンバー再集結してアメリカツアー行い又、来日もしているがブライアン途中で離脱来日公演は『The Black Alaum』のメンツ行われた(ポール1度目復帰) 1993年ラット主導元にデイブギターにアラン・リー・ショー、もう1人ギターにクリス・ドリモア、ベースにムース・ハリスを加えて再編。元々は別プロジェクトで演る予定だったがダムド移行する。ただ当時、他の現行メンバー(主にキャプテン)に話が通ってなかった事や、積もり積もった不平不満浮き彫り出した事等が原因後々永きに渡る(主にラットとの)対立へと発展1994年4月には、このメンツでの来日公演おこなわれた1995年11月9年ぶりのオリジナルアルバムとなる『I'm Alright Jack & the Beanstalk』(『Not of This Earth』)リリース。この作品日本の東EMIから持ち掛けられ、バンド外部ライターによる楽曲も多い。又この頃にヴァニアンとキャプテン再会し和解果す。それからラット側と音源権利等のことで揉めたようで、結果1996年ラット脱退キャプテン再加入キャプテンソロにも協力していたキーボードのモンティー・オキシー・モロン、ドラムにはギャリー・ドレッドフルが加入。但しドラムは、その後スパイク・T・スミス加入して時期有ったベースにはポール復帰していたが再び脱退し、後にデイブの妻になるパトリシア・モリソンが新たに加わる。 1999年には新しドラマーとしてキャプテンソロにも参加していたENGLISH DOGS元メンバーピンチ加入因みにスパイクENGLISH DOGS元メンバー(ピンチ後任)だった。 そして2001年9thアルバムGrave Disorder』をリリース。それから数年後デイブパトリシアの間に子供生まれた事も有りパトリシア脱退2004年MONKS OF SILENCEENGLISH DOGS等で活動をしていたスチュ・ウエストが加入メンバー久し振りに固まり2005年には来日し小規模なツアー行った2008年11月に約7年ぶりとなる10thアルバム『So, Who's Paranoid?』をリリース。しかし、前作Grave Disorder』同様、国内盤発売されていない2011年結成35周年アニバーサリー・ツアーを開催し翌年来日公演2015年2010年MOTORHEADレミードキュメンタリー映画極悪レミー』を撮ったウェス・オーショスキー監督作品バンド·ドキュメンタリー映画地獄に堕ちた野郎ども英語版)』が公開公開からまもなくして元メンバーブライン(ブリン)が他界する2017年スチュ脱退後任にはポール3度目復帰を果たす。但し翌年ツアーでは一部不参加その時はジョン・プリーストリーがサポート参加する。 2018年、11thアルバムEvil Spiritsリリース英国アルバムチャート7位を記録デビュー40数年目にしてアルバムが初のチャート10位内に入る!! 2019年10月27日にロンドンパラディウムで行われたライブ最後にドラムピンチ脱退2020年翌年2021年7月ツアーオリジナル·ラインナップ行われる事が発表現時点では7月の5公演のみの予定だったが、2022年2月開催変更された。

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再結成後 (2002年 - 現在)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/10 14:32 UTC 版)

ダーク・エンジェル (バンド)」の記事における「再結成後 (2002年 - 現在)」の解説

2002年、ジーン・ホグランらを中心に10年ぶりにライブ活動再開。しかし創設メンバー不参加であった2005年、ロン・ラインハートが健康を害した影響もあり、活動停止する2013年創設メンバー ジム・ダーキンが復帰し活動再開翌年からは、アルバム制作にも着手し始める。 2016年、『THRASH DOMINATION 16』にて初来日公演デビュー30周年記念しカナダにて4thアルバムTime Does Not Heal』の完全再現ライブ実施

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再結成後 (2005年 - 現在)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/16 09:40 UTC 版)

ラーズ・ロキット」の記事における「再結成後 (2005年 - 現在)」の解説

2005年13年ぶりに「ラーズ・ロキット名義ライブ活動再開し、『THRASH DOMINATION 05』にて来日公演も果たす。この頃模様翌年映像作品としてリリースした2008年17年ぶりの6thアルバムLeft for Dead』を発表2011年-2012年結成30周年記念したライブ企画大々的に行う。以降は、解散宣言が無い事実上活動停止2014年創立メンバー ヴィクトル・アグネロが白血病により死去2018年10月23日ベーシストのウィリー・ラングがバイク事故により死去

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再結成後(2016年-)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/07 22:06 UTC 版)

エスコルブト」の記事における「再結成後(2016年-)」の解説

活動休止から17年後の2016年ガラン中心としてバンド再結成された。現在のメンバーは、ベース・リードボーカルのアリ・カラニャ、ギター・バックボーカルのナティ・ペナダス、ドラムガランである。

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再結成後(2016年-)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/07 22:06 UTC 版)

エスコルブト」の記事における「再結成後(2016年-)」の解説

ナティ・ペナダス - ギター・バックボーカル。在籍期間2016年から現在。 アリ・カラニャ - ベース・リードボーカル。在籍期間1995年から1999年2016年から現在。 パコ・ガラン - ドラム在籍期間1982年から1999年2015年から現在

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再結成後 (1992年 - 現在)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/08 14:51 UTC 版)

マーシフル・フェイト」の記事における「再結成後 (1992年 - 現在)」の解説

その後ハンクは「フェイト」を脱退し、「ZOZER MEZ」というプロジェクト開始する一方キングも、バンドとしての「キング・ダイアモンド」が活動停止状態になっていた。キングハンクマイケル、ティミの4人が再び集まり、「キング・ダイアモンド」のメンバーだったスノーウィ・ショウ(ドラム)を迎えて1992年復活新たにメタル・ブレイド・レコーズ」と契約し1993年9年ぶりの3rdアルバム『イン・ザ・シャドウズ』を発表した本作には、「メタリカ」のドラマーである同郷ラーズ・ウルリッヒゲスト参加。 しかしその後、ティミが家庭の事情脱退後任シャーリー・ダンジェロ迎え、『ドント・ブレイク・ジ・オース』以来傑作と言える4thアルバムタイム』(1994年)を発表するが、その後スノーウィ脱退し、ビャーネ・T・ホルム加入。更にマイケル脱退し6thアルバム『デッド・アゲイン』(1998年)では、元キング・ダイアモンド〜ミメント・モーライのマイク・ウィードが加入メンバー流動的になっていった。そして7thアルバム『9』(1999年)を最後に再び解散キング掛け持ちしていた「キング・ダイアモンド」に専念しハンクは「フォース・オブ・イーヴル」というバンド結成シャーリーは「アーチ・エネミー」に加入2008年キングは公のコメントで「少なくとも私の中で、バンド終わっていない」と、活動再開する含み残した2011年12月7日カリフォルニアフィルモア行われたメタリカ30周年記念コンサートにおいて、キングハンクマイケル、ティミの4人は再び集まり、彼らと共にメタリカの『ガレージ・インク収録の「マーシフル・フェイト」を演奏した2019年より、シャーリーを除く解散時ラインナップ加えて、ティミが再び復帰した上で活動再開するも、ティミがまもなく癌を患っていることが判明したため、療養時の代役としてジョーイ・ヴェラ迎えて活動行っていた。しかしながら、ティミはステージ復帰を果たさぬまま、病状悪化のため同年11月4日61歳死去した

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再結成後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 10:43 UTC 版)

アーマード・セイント」の記事における「再結成後」の解説

1999年アンスラックス一時活動休止中合間ブッシュは、当時フェイツ・ウォーニング」に在籍していたヴェラ共同で、アーマード・セイント再結成企画かつてのメンバー集結し2000年9年ぶりのアルバム『レヴェレイション』をリリース。これは短期間活動のみに止どまり、またそれぞれ本業の道に戻っていった。 2005年アンスラックスは、1980年代全盛期ラインナップ復活計画。その煽り離脱せざるを得なかったブッシュは、再びアーマード・セイント復帰企図し、翌年ライブ活動再始動をする。その後アルバムの制作再開し2010年10年ぶりのアルバム『ラ・ラザ』をリリースこれまで一時的な再結成に過ぎなかったバンドは、完全なる復活遂げる。以降ライブなど中心にコンスタント活動続けている。

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