再結成後
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1978年春に解散したダムドであるが、早くも夏頃にはキャプテンとラットが再集結し、後に呼応したヴァニアンと一緒にMOTORHEADのレミー・キルミスターをベースに加え一時的に「DOOMED」もしくは「Motordamn」名義で活動。その後、元CHELSEAのヘンリー・バドゥスキーを経て、新たなベースにアルジー・ワードを加えて本格的にダムドは再結成した。つまり結局は、ブライアンとワードが入れ替わり、キャプテンがギターを担当するようになっただけではあるが、今までの楽曲のソング・ライティングの大部分を担っていたブライアンが抜けたことで、結果的にバンドの音楽性は転換し、以前よりもポップ色を強めることになった。 1979年にChiswick Recordsから発表したシングル「ラヴ・ソング」が本国イギリスで大ヒットし、その勢いのままアメリカツアーを敢行。帰国後に3rdアルバム『マシンガン・エチケット』をリリースした。この作品からは多数の曲がシングルカットされており、ダムドのベストアルバムとの呼び声も高い。 1980年、ベースのワードが解雇され、後任にポール・グレイが迎えられた。そして、10月に4thアルバム『ブラック・アルバム』をリリース。バンドの音楽性はより多様になり、サイケデリック・ロック的な要素も強まった。この頃から、キャプテンはソロ活動に重きを置き始める。 1981年、サポートメンバーとしてローマン・ジャグ(キーボード兼ギター)が参加、後に正式加入する。新たに契約したレコード会社がことごとく倒産するなどの不運が続き、バンドの存続が危ぶまれる時期ではあったが、なんとか翌1982年にはアルバム『ストロベリーズ』をリリースする。しかし、翌年1983年2月にポールが脱退(後にUFOに加入)ジャグの紹介で、ブライン・メリックがベーシストとして急遽加入する。 1984年、キャプテンがソロ活動専念のために脱退。ローマンがギターを担当。バンドの活動は区切りの時期を迎えた。キャプテン脱退後のダムドは、ヴァニアン色を強めたゴシック・ロック風の作風へと転換する。そして、1985年、MCAレコードからアルバム『ファンタスマゴリア』をリリース。続いて1986年1月に英国の歌手バリー・ライアンのヒット曲『Eloise』をカバーしリリース。英国シングル・チャート3位(映画の話では2位?)を記録!!4月に待望の初来日をはたし、12月には7枚目のアルバムとなる『エニシング』をリリースした。 1988年には、当時の現行メンバーと初期オリジナルメンバーのブライアンとキャプテンを加えた編成でライブを行った。その模様は、1989年に発表されたライブアルバム『ファイナル・ダムネイション』に収められている。 1990年には1度休止するが、デイブはローマン、ブラインとのゴス・ロカビリー・バンド デイブ・ヴァニアン&ザ・ファントムコード(Dave Vanian and the Phantom Chords)を結成。1990年〜1999年頃迄活動。 1991年にはオリジナルメンバーが再集結してアメリカツアーを行い又、来日もしているがブライアンは途中で離脱。来日公演は『The Black Alaum』のメンツで行われた(ポール1度目の復帰) 1993年、ラット主導の元にデイブとギターにアラン・リー・ショー、もう1人のギターにクリス・ドリモア、ベースにムース・ハリスを加えて再編。元々は別プロジェクトで演る予定だったがダムドに移行する。ただ当時、他の現行メンバー(主にキャプテン)に話が通ってなかった事や、積もり積もった不平不満が浮き彫り出した事等が原因で後々、永きに渡る(主にラットとの)対立へと発展。 1994年4月には、このメンツでの来日公演もおこなわれた。 1995年11月、9年ぶりのオリジナルアルバムとなる『I'm Alright Jack & the Beanstalk』(『Not of This Earth』)リリース。この作品は日本の東芝EMIから持ち掛けられ、バンド外部のライターによる楽曲も多い。又この頃にヴァニアンとキャプテンが再会し、和解を果す。それからラット側と音源の権利等のことで揉めたようで、結果1996年にラットが脱退、キャプテンが再加入。キャプテンのソロにも協力していたキーボードのモンティー・オキシー・モロン、ドラムにはギャリー・ドレッドフルが加入。但しドラムは、その後スパイク・T・スミスが加入してた時期も有った。ベースにはポールも復帰していたが再び脱退し、後にデイブの妻になるパトリシア・モリソンが新たに加わる。 1999年には新しいドラマーとしてキャプテンのソロにも参加していたENGLISH DOGSの元メンバーのピンチが加入。因みにスパイクもENGLISH DOGSの元メンバー(ピンチの後任)だった。 そして2001年、9thアルバム『Grave Disorder』をリリース。それから数年後にデイブとパトリシアの間に子供が生まれた事も有りパトリシアは脱退。 2004年にMONKS OF SILENCEやENGLISH DOGS等で活動をしていたスチュ・ウエストが加入。メンバーも久し振りに固まり2005年には来日し、小規模なツアーを行った。 2008年11月に約7年ぶりとなる10thアルバム『So, Who's Paranoid?』をリリース。しかし、前作『Grave Disorder』同様、国内盤は発売されていない。 2011年、結成35周年アニバーサリー・ツアーを開催し、翌年に来日公演。 2015年、2010年にMOTORHEADレミーのドキュメンタリー映画『極悪レミー』を撮ったウェス・オーショスキー監督作品のバンド·ドキュメンタリー映画『地獄に堕ちた野郎ども(英語版)』が公開。公開からまもなくして元メンバーのブライン(ブリン)が他界する。 2017年、スチュ脱退。後任にはポールが3度目の復帰を果たす。但し翌年のツアーでは一部不参加。その時はジョン・プリーストリーがサポート参加する。 2018年、11thアルバム『Evil Spirits』リリース。英国アルバムチャート7位を記録。デビュー40数年目にしてアルバムが初のチャート10位内に入る!! 2019年10月27日にロンドンパラディウムで行われたライブを最後にドラムのピンチが脱退。 2020年、翌年の2021年7月のツアーでオリジナル·ラインナップで行われる事が発表。現時点では7月の5公演のみの予定だったが、2022年2月に開催が変更された。
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再結成後 (2002年 - 現在)
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「ダーク・エンジェル (バンド)」の記事における「再結成後 (2002年 - 現在)」の解説
2002年、ジーン・ホグランらを中心に、10年ぶりにライブ活動を再開。しかし創設メンバーは不参加であった。 2005年、ロン・ラインハートが健康を害した影響もあり、活動を停止する。 2013年、創設メンバー ジム・ダーキンが復帰し活動を再開。翌年からは、アルバム制作にも着手し始める。 2016年、『THRASH DOMINATION 16』にて初来日公演。 デビュー30周年を記念し、カナダにて4thアルバム『Time Does Not Heal』の完全再現ライブを実施。
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再結成後 (2005年 - 現在)
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「ラーズ・ロキット」の記事における「再結成後 (2005年 - 現在)」の解説
2005年、13年ぶりに「ラーズ・ロキット」名義でライブ活動を再開し、『THRASH DOMINATION 05』にて来日公演も果たす。この頃の模様を翌年に映像作品としてリリースした。 2008年、17年ぶりの6thアルバム『Left for Dead』を発表。 2011年-2012年、結成30周年を記念したライブ企画を大々的に行う。以降は、解散宣言が無い事実上の活動停止。 2014年、創立メンバー ヴィクトル・アグネロが白血病により死去。 2018年10月23日、ベーシストのウィリー・ラングがバイク事故により死去。
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再結成後(2016年-)
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「エスコルブト」の記事における「再結成後(2016年-)」の解説
活動休止から17年後の2016年、ガランを中心としてバンドが再結成された。現在のメンバーは、ベース・リードボーカルのアリ・カラニャ、ギター・バックボーカルのナティ・ペナダス、ドラムのガランである。
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再結成後(2016年-)
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「エスコルブト」の記事における「再結成後(2016年-)」の解説
ナティ・ペナダス - ギター・バックボーカル。在籍期間は2016年から現在。 アリ・カラニャ - ベース・リードボーカル。在籍期間は1995年から1999年、2016年から現在。 パコ・ガラン - ドラム。在籍期間は1982年から1999年、2015年から現在。
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再結成後 (1992年 - 現在)
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「マーシフル・フェイト」の記事における「再結成後 (1992年 - 現在)」の解説
その後ハンクは「フェイト」を脱退し、「ZOZER MEZ」というプロジェクトを開始する。一方のキングも、バンドとしての「キング・ダイアモンド」が活動停止状態になっていた。キング、ハンク、マイケル、ティミの4人が再び集まり、「キング・ダイアモンド」のメンバーだったスノーウィ・ショウ(ドラム)を迎えて、1992年に復活。新たに「メタル・ブレイド・レコーズ」と契約し、1993年に9年ぶりの3rdアルバム『イン・ザ・シャドウズ』を発表した。本作には、「メタリカ」のドラマーである同郷のラーズ・ウルリッヒもゲスト参加。 しかしその後、ティミが家庭の事情で脱退。後任にシャーリー・ダンジェロを迎え、『ドント・ブレイク・ジ・オース』以来の傑作と言える4thアルバム『タイム』(1994年)を発表するが、その後スノーウィも脱退し、ビャーネ・T・ホルムが加入。更にマイケルも脱退し、6thアルバム『デッド・アゲイン』(1998年)では、元キング・ダイアモンド〜ミメント・モーライのマイク・ウィードが加入。メンバーは流動的になっていった。そして7thアルバム『9』(1999年)を最後に再び解散。キングは掛け持ちしていた「キング・ダイアモンド」に専念し、ハンクは「フォース・オブ・イーヴル」というバンドを結成、シャーリーは「アーチ・エネミー」に加入。 2008年、キングは公のコメントで「少なくとも私の中で、バンドは終わっていない」と、活動を再開する含みを残した。 2011年12月7日、カリフォルニアのフィルモアで行われたメタリカの30周年記念コンサートにおいて、キング、ハンク、マイケル、ティミの4人は再び集まり、彼らと共にメタリカの『ガレージ・インク』収録の「マーシフル・フェイト」を演奏した。 2019年より、シャーリーを除く解散時のラインナップに加えて、ティミが再び復帰した上で活動を再開するも、ティミがまもなく癌を患っていることが判明したため、療養時の代役としてジョーイ・ヴェラを迎えて活動を行っていた。しかしながら、ティミはステージ復帰を果たさぬまま、病状悪化のため同年11月4日に61歳で死去した。
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再結成後
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「アーマード・セイント」の記事における「再結成後」の解説
1999年、アンスラックスが一時活動休止中の合間にブッシュは、当時「フェイツ・ウォーニング」に在籍していたヴェラと共同で、アーマード・セイントの再結成を企画。かつてのメンバーが集結し、2000年に9年ぶりのアルバム『レヴェレイション』をリリース。これは短期間の活動のみに止どまり、またそれぞれ本業の道に戻っていった。 2005年にアンスラックスは、1980年代全盛期のラインナップ復活を計画。その煽りで離脱せざるを得なかったブッシュは、再びアーマード・セイント復帰を企図し、翌年にライブ活動で再始動をする。その後アルバムの制作も再開し、2010年に10年ぶりのアルバム『ラ・ラザ』をリリース、これまで一時的な再結成に過ぎなかったバンドは、完全なる復活を遂げる。以降ライブなどを中心に、コンスタントな活動を続けている。
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