再結成以後
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1988年、パーシーとパーソンズが再合流、シャム69が再結成される。この二人以外のメンバーは流動的で、実態としてはバンドではなくプロジェクトであった。初期の荒々しい音楽性は影を潜め、ラップなども取り入れた多彩な音楽性を提示した。だが、初期の代表曲の再録だけのアルバムを発表したり、前のアルバムに収められた曲を次のアルバムにも収録するといった手法が、ファンや音楽メディアから批判の対象となることもあった。1990年には来日公演も実現している。 2005年、パーシーがジョン・ライドンと殴り合いの喧嘩をしたと報じられる。 2006年、初期シングル『Hurry Up Harry』が2006 FIFAワールドカップのイングランド応援歌『Hurry Up England』の元曲として採用され、注目を集めたが、その矢先にパーシーが脱退。デイ21(Day 21、かつてシャム69がライヴで用いた変名)に移る。パーソンズはティム・Vを新ヴォーカリストに迎え、シャム69を存続させた。 2011年、パーシーが出戻り、さらにトレガンナも再加入してシャム69が再建されたが、全盛期メンバーの出戻りに押し出される格好となったティム・Vら元メンバーは、最初期のギタリストであるニール・ハリスを加え、同じくシャム69を名乗って活動している。
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