再結成ジェファーソン・エアプレイン
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「ジェファーソン・エアプレイン」の記事における「再結成ジェファーソン・エアプレイン」の解説
カントナーはKBC解散後、ヨーマ・カウコネン、ジャックキャサディと共に「Hot Tuna with Paul Kantner」としてツアーを行い、これが次の再編劇の幕開けとなる。1988年、ここに引退したはずのグレイス・スリックも加わり、エアプレインの4人が16年ぶりに顔を合わせた。そして1989年にはマーティ・バリンも参加を承諾し、かつてのドラマーだったスペンサー・ドライデンを除く全盛期の5人でジェファーソン・エアプレイン再結成が実現した。これは、スリックを含むメンバーでバンドにもうひと華咲かせようと望んだカントナーが奔走して実現したリユニオンであり、決してレコード会社主導のイベントではなかった。アルバム『Jefferson Airplane』は最高85位、シングル「Planes」「Summer Of Love」はチャートインを果たせなかったが、全米ツアーは成功を収める。東海岸でも数度のアリーナ公演をソールドアウト、地元ゴールデンゲイト・パークでは65,000人を動員するが、その直後にまた活動停止した。ホット・ツナ再始動に向けて動き始めたヨーマ・カウコネンとジャック・キャサディの再びの脱退が直接の原因になったとされる。ちなみに、カントナーの初来日となるはずだった「日本公演は中止」になっている。 このように1985年から1989年にかけては、かつての仲間同士が裁判沙汰になったり、再び手を組んだりという離合集散の動きが激しく、これに対して産業ロックのスターシップに残ったメンバーは激怒したといわれる。1989年のスターシップのアルバム『Love Among The Cannibals』は彼等を皮肉ったタイトルであるとトーマスはインタビューで語っていた。1989年、「スターシップ」「再結成ジェファーソン・エアプレイン」2グループが併存する形になった。
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