歴代メンバー(正式に在籍した経歴があるもの総て)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 18:51 UTC 版)
「ジェファーソン・エアプレイン」の記事における「歴代メンバー(正式に在籍した経歴があるもの総て)」の解説
※スターシップに在籍したメンバーは、スターシップ (バンド)を参照。 ポール・カントナー (Paul Kantner) - ボーカル、ギター (1965年-1984年、1989年、1992年-2016年) ※2016年死去エアプレイン中期から実質的にバンドのオーガナイザーとなり、1984年から脱退していた時期を除いて現在までの中心人物。自身は独特のスタイルを持つが、新しいサウンドを導入することについては、意外な程許容範囲の広いプロデュース感覚を持つミュージシャンでもある。エアプレインから大幅に変化してさらに商業的成功を収めた、1970年代のジェファーソン・スターシップも、各メンバーの能力を的確に活かすことができた彼の手腕によるところが大きい。しかし、自身のスタイル自体を変えることを要求された1980年代の変化は受け入れることができず、バンド脱退に至った。 ルーツはフレッド・ニールなどに憧れた根っからのフォーキーであり、1960年代から1970年代のロック・レジェンド、詩人、作家、ユニークな12弦ギター奏者。サイエンスフィクションを愛し、ここからスターシップのコンセプトも生み出された。クロスビー、スティルス&ナッシュ、グレイトフル・デッドをはじめとするカリフォルニア州のアーティストに広い人脈を持ち、彼らとの交流から数々の作品を生み出した。2016年に死去。 マーティ・バリン (Marty Balin) - ボーカル、アコースティックギター(1965年-1971年、1975年-1979年、1993年-2008年) ※2018年死去ソロでレコード・デビュー、フォーク・グループ「タウン・クライアーズ」での活動等を経て、1964年、クラブ「マトリックス」を開設、ポール・カントナーとの出会いからエアプレインを結成。独特なハイトーンボイスを持つシンガー。R&Bも好み、初期のエアプレインでウィルソン・ピケットの「In The Midnight Hour」、1970年頃にはシル・ジョンスンの「You Wear Your Dresses Too Short」をカバーしている。1971年に一時脱退し、サンフランシスコ・バンドの「グルートナ (Grootna)」をプロデュースし、自身のバンドである「ボデイシャスDF (Bodacious DF)」でアルバムを発表した後、ジェファーソン・スターシップに復帰。ソロ転向後は1981年に「ハート悲しく」(日本ではオリコン洋楽シングルチャートで1981年10月19日付から7週連続1位を獲得)などのヒットを放った。ジェファーソン・スターシップにヒット曲を提供した友人、ジェシ・バリッシュのアルバム2枚でプロデューサーも務めている。ソロ・キャリアでの成功もおさめたが、セッション・ミュージシャンを従えた完全なソロ・シンガーとしての道は行かず、常に気心知れたバンドで歌うことを選んだ。結局、1993年よりジェファーソン・スターシップに再合流し、ソロ活動も並行して継続。画家としても制作活動をしている。ベイリン、ないしベーリンと表記されることが多かったが、実際の発音はバランとバリンの間であり、本稿ではバリンで統一した。2018年に死去。 ヨーマ・カウコネン (Jorma Kaukonen) - ギター、ボーカル (1966年-1972年、1989年)同じクラブに出入りしていたカントナーに誘われてエアプレインに参加。厳密には、彼とバリン、カントナーの3人がオリジナル・メンバー。1969年にジャック・キャサディとともにホット・ツナを結成。1990年に再結成して現在も活動を続ける。平行してソロ活動も精力的に行なう。また、ギター・キャンプを運営してギターを教える活動も行なっている。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第54位、2011年の改訂版では削除された。 ボブ・ハーヴェイ(Bob Harvey) - ベース (1965年)ごく初期に在籍したベーシスト。アップライトベースを使いオーソドックスなブルーグラスやフォーク・スタイルのバッキング演奏をした。レコーディング以前にジャック・キャサディに交代した。 ジェリー・ペロクィン (Jerry Peloquin) - ドラム (1965年)ごく初期に在籍したドラマー。軍隊のバンドでドラムを担当した経歴を持ち、自身はジャズのバックグラウンドを持つと伝えられる。レコーディング以前にスキップ・スペンスに交代した。 シグニー・トリー・アンダーソン (Signe Toly Anderson) - ボーカル (1965年-1966年) ※2016年死去結成時の女性ボーカリストでフォーク/ジャズにバックグランドを持つスタイル。歌唱力も優れていたが、ファースト・アルバムを発表した直後、子育てに専念するために引退・脱退。 ジェファーソン・スターシップTNGでは何度かステージに登場している。2016年に死去。 ジャック・キャサディ (Jack Casady) - ベース (1966年-1972年、1989年、1992年-2000年)エアプレイン以前はリード・ギタリストだったが、カウコネンに請われてベーシストとして参加。エアプレイン解散後も、カントナーとの交流は続いてKBC BANDやジェファーソン・スターシップTNGにも参加した。2000年以降は、サザン・グループのガヴァメント・ミュールにゲスト参加していたが、現在はホット・ツナをメインに活動を続けている。 アレックス・スキップ・スペンス (Alex Skip Spence) (en)- ドラム (1965年-1966年) ※1999年死去カナダ出身。本名アレクサンダー・スペンスと表記される場合もある(アレックスはアレクサンダーの愛称)。先祖にはネイティブ・アメリカンの血脈があり、カリフォルニア州には父親がある航空機製造メーカーに就いたことから少年期に家族で移住している。ニックネーム「スキップ」は、類い希な音楽の才能と破天荒な人柄(破綻者)に由来する。本来はギタリストで、エアプレイン加入前は西海岸のフォーク・クラブ、コーヒーハウスを渡り歩きその中、ごく初期のクイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスで活動していたことがあるとも言われている(クイックシルヴァーの歴史においては、ほとんど重要視されていない)。ハイスクールのブラスバンドやアマチュアR&Rバンドでドラムスを叩いていた経験がある程度だったが、バリンに「君は僕のバンドのドラマーだ」と言われてドラムを担当することになった。この時、本人はギタリストだとしか自己紹介せず、バリンも彼の経歴は全く知らずに誘ったという。ジェファーソン・エアプレイン脱退後、モビー・グレープに参加、のち一人多重録音(ドラムスも担当)した1971年ソロ・アルバム『Oar(en)』を発表する。1999年に死去。 グレイス・スリック (Grace Slick) - ボーカル、ピアノ (1966年-1979年、1981年-1988年、1989年)マトリックスに出演していたバンド、グレート・ソサエティから引き抜かれてライブ・デビュー。アルバムは『シュールリアリスティック・ピロー』(1967年)から参加。以降、バンドを象徴する重要人物になり、女性ロックスターの草分け的存在。また、常にエキセントリックな言動が注目を浴びた。数々のアルバムで聴かれるピアノも独特なセンスが光り、強力なバッキングは聴き物。ジェファーソン・スターシップTNGでは、1995年・2001年とステージに登場しているが、原則的には音楽界からは引退して画家などの活動をしている。 2005年発売DVD、ジェファーソン・エアプレインのアンソロジー・ドキュメンタリー『フライ〜ジェファーソン・エアプレイン・ストーリー』内のインタビューでは「親はドイツからの移民一族、銀行家 (または銀行員)の家庭に育った。メンバー達とは『一緒に寝た』がマーティ・バリンとは交渉関係は無かった。親友か(肉親の)弟みたいな存在だった」と述懐していた。 マーティ・バリン (Marty Balin)とポール・カントナー (Paul Kantner)の姓名はドイツ系縁の名字で、バンドの主導権を握る3人がほぼ偶然からドイツ系移民末裔だった。 スペンサー・ドライデン (Spencer Dryden) - ドラム (1966年-1970年) ※2005年死去全盛期ジェファーソン・エアプレインのリズムセクションを支えた実力派ドラマーで、喜劇王・チャップリンの甥。ジャズ出身らしいシャープなドラミングがバンドサウンドに特色を与えた。脱退後はグレイトフル・デッドのスプリンター・バンドであるニュー・ライダース・オブ・パープル・セイジに参加してカントリーロックを長らく演奏。元クイックシルヴァーのジョン・シポリナとも活動を共にした。1989年の再結成ジェファーソン・エアプレインには不参加。KBCバンドや現在のジェファーソン・スターシップのライブにはゲスト参加したことがある。2005年に死去。 パパ・ジョン・クリーチ (Papa John Creach) - ヴァイオリン (1971年-1975年、1992年-1994年)友人だったジョーイ・コヴィントンに紹介されて加入。フィドラーのいるバンドと言えばカンサスやイッツ・ア・ビューティフル・デイも思い出されるが、こちらはブルース/カントリー/ジャズなどのルーツ・ミュージックが得意な黒人フィドラーが西海岸バンドに参加というのがユニークだった。並行してホット・ツナや自分のバンド、ズールーでも活動。現在、第一線で活躍するブルーズ・ギタリスト、ケブ・モ(ケビン・ムーア)は、かつてズールーの一員だった。1992年から1994年の死去まで、現ジェファーソン・スターシップTNGに参加。クリーンヘッド・ヴィンスンやスリム・ゲイラードなどの有名ブルーズ/ジャイヴ・ミュージシャンとの交流もあり、若い頃の録音も残っている。 ジョーイ・コヴィントン (Joey Covington) - ドラム、ボーカル (1970年-1972年) ※2013年死去スペンサー・ドライデンの後任としてエアプレインに参加。バンドが望んだ、よりロック的でタイトなリズムをもたらした。エアプレインを辞めた後も、サンフランシスコのミュージシャンなどと活動を続けている。2013年に死去。 ジョン・バーベイタ (John Barbata) - ドラム、ボーカル (1972年-1979年)タートルズや、クロスビー、スティルス&ナッシュとの活動などを経て、エアプレインに参加したロック・ドラマー。伝説のL.A.スワンプバンドLAゲッタウェイ(通称)での活動も知られる。西海岸らしいカラっとした音色で端正なビートを叩き出す。交通事故で1978年に活動休止。現在は、自分のバンドでローカルな活動をしている。 グレイグ・チャキーソ (Craig Chaquico) - ギター (1974年-1992年)ハイスクール在籍中にプロとして初レコーディングを経験、1971年からカントナー&スリックのプロジェクトに参加。エアプレインが運営するグラント・レーベル所属のバンド、ジャックトレイラー&スティールウインドに在籍してレコードもリリース。カントナーに才能を認められ、後に19歳でジェファーソン・スターシップに加入。個性的でカラフルなギターワークでバンドに新風を吹き込んだ。スターシップ解散後はソロに転向し、アコースティック・アルバムを精力的に発表してグラミー賞ノミニーとなっている。自己のバンドでライブ活動も行なっている。 ピーター・カウコネン (Peter Kaukonen) - ベース、ギター (1974年)ヨーマ・カウコネンの実弟で、グラント・レーベルからソロ作品をリリース、カントナーのプロジェクト経てジェファーソン・スターシップ初期のツアーに参加した。1989年の再結成エアプレイン・サマーツアーにはギタリストとして参加、1990年代からジェファーソン・スターシップTNGのツアーではジャック・キャサディの代役として度々登場している。近年もシンガーソングライターとして、ソロ・アルバムをインディペンデントからリリースしている。 ピート・シアーズ (Pete Sears) - ベース、キーボード (1974年-1987年)ニッキー・ホプキンス等と同じく英国から西海岸に渡って来たミュージシャンのひとり。1960年代にはレ・フルール・ド・リスに一時期在籍。ロッド・スチュワートとの仕事でも知られ、ジャーニー結成以前のニール・ショーン、ドラマーのグレッグ・エリコとHappy Birthdayというトリオを組んだこともあるが、このユニットは実質的にほとんど活動しないまま空中分解している。サンフランシスコの名シンガー、キャシ・マクドナルドのソロにも参加。1973年、グレースの1stソロアルバムからファミリーに加わり、ジェファーソン・スターシップのメンバーになる。また、コパーヘッドで元クイックシルヴァーのギタリスト、ジョン・シポリナと活動したこともある。あらゆるキーボード類、ベース、ギターを弾きこなし、作曲/アレンジにも優れる。近年は、一時期Hot Tunaに正式参加したり、ジェファーソン・スターシップTNGのライブにゲスト参加したりしている。 ミッキー・トーマス (Micky Thomas) - ボーカル (1979年-1984年)南部出身で、黒人ゴスペルシンガーのバックコーラスなどを経て、エルヴィン・ビショップ・バンドで活躍。スリック、バリンの後釜としてジェファーソン・スターシップに参加。1985年頃、ピーター・セテラが抜けたシカゴ参加の打診も受けたが実現しなかった。近年では自己のスターシップ以外に、プロジェクト=オーヴァー・ジ・エッジ(2004年)のCDにも参加している。 エインズレー・ダンバー (Aynsley Dunber) - ドラム (1979年-1982年)名門ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ出身で、ジェフ・ベック・グループやジャーニーにも在籍していた英国人の名ドラマー。ジャーニー脱退後、ピート・シアーズの推薦でジェファーソン・スターシップに参加。 脱退後は、英国バンド中心の活動に戻り、ホワイトスネイクに参加、度々とりざたされたレッド・ツェッペリン再編成の話題では参加も噂された。近年は再編されたアニマルズのライブに参加している。 ティム・ゴーマン (Tim Gorman) - キーボード、ボーカル (1985年-1987年、1990年-1995年)1980年代のザ・フーに参加、1985年KBC BAND参加。1992年ジェファーソン・スターシップTNG参加。ニッキー・ホプキンスやピート・シアーズを思わせるピアノプレイが秀逸。 スリック・アギラー (Mark "Slick" Aguilar) - ギター、ボーカル (1985年-1987年、1990年-2012年、2014年)ジェファーソン・スターシップTNGのリードギタリスト。マイアミのスタジオ・ミュージシャン出身で、KC&ザ・サンシャイン・バンドなどに参加。1980年代にバリンのソロ、デヴィッド・クロスビー等と活動。1985年KBC参加以降、カントナー、バリンの右腕として活動を共にしている。病気療養のため2012年よりツアーには不参加だったが、2014年8月のライブに客演。 ブレット・ブルームフィールド (Blett Bloomfield) - ベース (1988年-1990年、1992年)1987年、グレイス・スリックのソロ・アルバムに参加した後、ピート・シアーズが抜けたスターシップに参加。1992年には再編成スターシップに一時参加した。 マーク・モーガン (Mark morgan) - キーボード (1988年-1990年)ピート・シアーズの脱退後、スターシップに参加。 ダービー・グールド (Darby Dould) - ボーカル (1992年-1995年、2008年)サンフランシスコで人気のあった、ワールド・エンタテインメント・ウォー(World Entertainmennt War)から、ポール・カントナー&フィーメイル・シンガーズ・プロジェクトに参加した後、ジェファーソン・スターシップTNGに。ライブ・アルバム『Deep Space/Virgin Sky』でCDデビュー。その後脱退するが『ウィンドウズ・オブ・ヘヴン』にもトラック8でゲスト・ボーカルとして参加。近年再びライブに登場し、ダイアナ・マンガーノとのツインボーカルも復活している。 プレイリー・プリンス (Prarie Prince) - ドラム (1992年-2008年)ジェファーソン・スターシップTNGから参加。通算7人目で、一番長くドラマーの座についている。かつてジャーニーのメジャー・デビュー以前の前身バンドであったゴールデン・ゲート・リズムセクションに在籍。サンフランシスコのニュー・ウェイヴ・グループであったThe TUBESのオリジナルメンバー。ジェームズ・ギャングやディープ・パープルのギタリストだったトミー・ボーリンのファースト・ソロ・アルバムにも参加。トッド・ラングレンのサポートでも活動。現在は、リック・オケイセック抜きでトッド・ラングレンをフロントマンに据えて再結成したニュー・カーズのアルバム/ツアーにも正式参加しているなど、多彩な活動歴を持つ。なお、再結成カーズへの加入に伴い、現在は正式メンバーではないが、時折ジェファーソン・スターシップTNGのライブにもゲスト出演している。 ダイアナ・マンガーノ (Diana Mangano) - ボーカル (1993年-2008年)1993年に開催されたWoodstock-Mexicoでジェファーソン・スターシップTNGのシンガーとしてデビュー。カントナーにデモ・テープを渡してファンからメンバーになった。当初はダービー・グールドとのツインボーカルでステージに立ったが、ダービー脱退後はメインボーカルとなる。 ゲイリー・キャンブラ (Gary Cambra) - キーボード (1995年-1996年)ジェファーソン・スターシップTNGから参加。西海岸では、TV番組の音楽監督としても知られる人物。 T・ラヴィッツ (T Lavitz) - キーボード (1996年-1998年)ジェファーソン・スターシップTNGから参加。スティーヴ・モーズ(現ディープ・パープル)が在籍していたディキシー・ドレッグスの元メンバー。
※この「歴代メンバー(正式に在籍した経歴があるもの総て)」の解説は、「ジェファーソン・エアプレイン」の解説の一部です。
「歴代メンバー(正式に在籍した経歴があるもの総て)」を含む「ジェファーソン・エアプレイン」の記事については、「ジェファーソン・エアプレイン」の概要を参照ください。
歴代メンバー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 06:35 UTC 版)
「ブダペスト弦楽四重奏団」の記事における「歴代メンバー」の解説
第1ヴァイオリン エミル・ハウザー(Emil Hauser, 1893年 - 1978年、在籍:1917年 - 1932年) ヨーゼフ・ロイスマン(Josef Roismann, 1900年 - 1974年、在籍:1932年 - 1967年) 第2ヴァイオリン アルフレート・インディヒ(Alfred Indig, 在籍:1917年 - 1920年) イムレ・ポガニー(Imre Pogany, 1893年 - 1975年、在籍:1920年 - 1927年) ヨーゼフ・ロイスマン(Josef Roismann, 1900年 - 1974年、在籍:1927年 - 1932年) アレクサンダー・シュナイダー(Alexander Schneider, 1908年 - 1993年、在籍:1932年 - 1944年、1955年 - 1967年) エドガー・オッテンバーグ(Edgar Ortenberg, 1900年 - 1996年、在籍:1944年 - 1949年) ジャック・ゴロデツキー(Jac Gorodetzky, 1913年 - 1955年、在籍:1949年 - 1955年) ヴィオラ イシュトヴァン・イポリ(Istvan Ipolyi, 1886年 - 1955年、在籍:1917年 - 1936年) ボリス・クロイト(Boris Kroyt, 1897年 - 1969年、在籍:1936年 - 1967年) チェロ ハリー・ソン(Harry Son, 1880年 - 1940年頃、在籍:1917年 - 1930年) ミッシャ・シュナイダー(Mischa Schneider, 1904年 - 1985年、在籍:1930年 - 1967年)第2ヴァイオリンのアレクサンダー・シュナイダーの兄。
※この「歴代メンバー」の解説は、「ブダペスト弦楽四重奏団」の解説の一部です。
「歴代メンバー」を含む「ブダペスト弦楽四重奏団」の記事については、「ブダペスト弦楽四重奏団」の概要を参照ください。
歴代メンバー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 08:26 UTC 版)
ジョーイ・ラモーン Joey Ramone - ボーカル (1974–1996)本名:ジェフリー・ハイマン、1951年5月19日 - 2001年4月15日 ジョニー・ラモーン Johnny Ramone - ギター (1974–1996)本名:ジョン・カミングス、1948年10月8日-2004年9月15日 ディー・ディー・ラモーン Dee Dee Ramone - ベース (1974–1989)本名:ダグラス・コルヴィン、1952年9月18日 - 2002年6月5日 トミー・ラモーン Tommy Ramone - ドラム (1974–1978)本名:トマス・アーデライ、1949年1月29日 - 2014年7月11日 ハンガリー・ブダペスト出身。2014年7月11日、ニューヨークの自宅で胆管がんのために死去。オリジナルメンバー最後の生き残りであった。 マーキー・ラモーンMarky Ramone - ドラム (1978–1983, 1987–1996)本名:マーク・ベル、1956年7月15日- リッチー・ラモーン Richie Ramone - ドラム (1983–1987)本名:リチャード・ラインハート、1957年8月11日- C・J・ラモーン C.J Ramone - ベース (1989–1996)本名:クリストファー・ジョン・ウァード、1965年10月8日- エルヴィス・ラモーン Elvis Ramone – ドラム (1987)本名:クレム・バーク、1954年11月24日- 「ブロンディ」のドラマー。ライヴに2度参加したのみ。 ジョーイ・ラモーン(Vo) 1987年 ジョニー・ラモーン(G) 1977年 ディー・ディー・ラモーン(B) 1977年 C・J・ラモーン(B) 1991年 トミー・ラモーン(Ds) 2008年 マーキー・ラモーン(Ds) 2011年
※この「歴代メンバー」の解説は、「ラモーンズ」の解説の一部です。
「歴代メンバー」を含む「ラモーンズ」の記事については、「ラモーンズ」の概要を参照ください。
歴代メンバー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 16:12 UTC 版)
※加入順→背番号順で列挙。 加入時期背番号名前よみニックネーム生年月日血液型卒業(脱退)時期所属事務所備考1975年9月(第1期) 売豆紀一 みずき はじめ ミルキー 1975年10月? 劇団日本児童 レコードデビュー前に脱退。 10 森井信好 もりい のぶよし ノンノン 1965年3月25日 1978年3月 劇団いろは 初代リーダー(卒業まで兼安とダブル就任) 11 秋葉 あきば アッキー 1976年3月 劇団若草 下の名前は不明。 18 世利一弘 せり かずひろ パセリ 1967年8月22日 B 1981年3月 劇団ひまわり 20 兼安博文 かねやす ひろふみ カネゴン 1964年10月24日 A 1980年3月 劇団いろは 初代リーダー(1978年4月より単独) 21 西野正一 にしの しょういち ショーチャン 1965年9月6日 A 22 大沢総一郎 おおさわ そういちろう オートン 1967年9月3日 O 1981年3月 劇団いろは 二代目リーダー(1980年4月~) 30 前田裕介 まえだ ゆうすけ マメダ、ユースケ 1966年7月10日 O 1980年3月 劇団日本児童 35 芹沢康久 せりざわ やすひさ プリンスハゲ 1965年6月1日 O 1978年3月 劇団いろは 『3年B組金八先生』(TBSテレビ)に梅原明役として出演。 47 新敷浄 しんしき きよし ヘンシン 1966年6月1日 O 1980年3月 劇団日本児童 56 古川武生 ふるかわ たけお イカちゃん 1965年4月2日 1978年3月 劇団いろは 66 野田利明 のだ としあき ノーマン 1976年3月 劇団日本児童 72 長谷川淳史 はせがわ あつし アッチャン 1967年1月31日 B 1980年3月 劇団日本児童 姉は『3年B組金八先生』(TBSテレビ)に瀬戸克江役として出演していた長谷川純代。 1976年3月(第2期) 11 酒井晃 さかい あきら ヒラメ 1966年11月26日 A 東京音楽学院 15 前田陽介 まえだ ようすけ デブリンマン 1968年9月16日 O 1981年3月 劇団日本児童 1期メンバー・前田裕介の弟。 27 山崎圭一 やまざき けいいち ヤセヤマ 1967年7月27日 AB FMG 1981年8月3日、神奈川県で海水遭難事故のため死去。享年14。武田久美子はアイドルとしてデビューする前の堀越学園中等部時代に山崎圭一と交際していたことを2005年の著書「くみこの掟」と2016年5月放送のTBS「7時にあいましょう」にて語っている。 88 東原稔 ひがしはら みのる トンバラ 1965年8月18日 O 1980年3月 90 岩田浩一 いわた こういち コーチャン 1966年3月19日 A 1977年10月(第3期) 12 田村勲 たむら いさお コフ、ツリマユゲ 1968年3月15日 A 1981年3月 東京音楽学院 19 高橋秀典 たかはし ひでのり タコ、テンタコルズ 1968年6月26日 AB 劇団日本児童 28 山崎公彦 やまざき きみひこ チビヤマ 1969年2月19日 AB FMG 2期メンバー・山崎圭一の弟。 1978年10月(第4期) 16 伊藤光 いとう ひかる ピカ 1970年1月27日 AB 解散時メンバー 劇団ひまわり 三代目リーダー(1981年4月~) 33 玉川康司 たまがわ こうじ タマチャン 1970年1月19日 A 劇団日本児童 45 小倉一夫 おぐら かずお モグ 1970年3月5日 A 東京音楽学院 73 酒井新一郎 さかい しんいちろう チビシン 1969年10月21日 B ボンド 1980年8月(第5期) 23 中垣一巳 なかがき かずみ カンミカン 1971年6月21日 55 石井隆一 いしい りゅういち ハンバーグ 1981年5月 64 菊池晋 きくち すすむ スーチャン 1980年11月(第6期) 10 倉形敏正 くらがた としまさ 11 山元泰三 やまもと たいぞう ゲンゴロウ 1973年9月30日 解散時メンバー 17 藤田裕二 ふじた ゆうじ 1981年5月 29 飯田吉信 いいだ よしのぶ ピッケル 1972年3月26日 解散時メンバー 30 佐藤美樹晴 さとう みきはる 1981年5月 1981年5月(第7期) 15 柳英徳 やなぎ ひでのり ボケヤナギ 1972年5月15日 解散時メンバー 東京音楽学院 25 金子真也 かねこ しんや キンコ、ネコ 1971年5月25日 1981年12月 劇団ひまわり 62 渡辺弘樹 わたなべ ひろき ガッチャマン 1971年11月6日 解散時メンバー 69 六浦誠 むつうら まこと ロク 1971年9月14日 劇団日本児童 解散後は俳優として芸能活動を継続したが、現在は引退。 75 野口将 のぐち まさる ウマヅラ 1971年7月3日 88 富樫寛 とがし ひろし トカゲ 1972年3月7日 1981年12月 NHK大河ドラマ『春の波涛』などに出演。 90 岩崎基亘 いわさき もとのぶ 頭デッカチ 1971年7月29日 99 山本日出一 やまもと ひでかず 太平洋 1972年3月28日 『3年B組金八先生スペシャル』(1986年・TBSテレビ)に生徒役として出演。
※この「歴代メンバー」の解説は、「ビッグ・マンモス」の解説の一部です。
「歴代メンバー」を含む「ビッグ・マンモス」の記事については、「ビッグ・マンモス」の概要を参照ください。
歴代メンバー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 07:01 UTC 版)
「Falcom Sound Team jdk」の記事における「歴代メンバー」の解説
かつて在籍したメンバーを含む。かっこ内はファルコム在籍時の名前。{}は当時のあだ名。 石川三恵子 - 初代リーダー 川合将明 天門(白川篤史){白蔵} まつもとひろし(松岡博文) - 2代目リーダー 高橋俊弥 中島タケオ(中島勝){マサル} 金田直樹{キム} 綱島貴博{タカ坊} 新井智 園田隼人{S} - 3代目リーダー 小原要 松村弘和 みらゐ(石橋渡) 服部麻衣子 村山貴英 宇仁菅孝宏 デッドボールP(竹下遼){たけたけ} 籾山紗希{モミコ} 大崎政範 萩生田朋克 橋本鍾愛 古口駿太郎
※この「歴代メンバー」の解説は、「Falcom Sound Team jdk」の解説の一部です。
「歴代メンバー」を含む「Falcom Sound Team jdk」の記事については、「Falcom Sound Team jdk」の概要を参照ください。
歴代メンバー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 09:47 UTC 版)
ポール・トンプソン (Porl Thompson) - ギター、キーボード、サックス(1976年-1978年、1983年-1993年、2005年-2009年) 前身バンド、イージー・キュアー時代からメンバーで、ロバートの義弟(妻がロバートの妹)。ギターのみならず、鍵盤楽器、管楽器を自在に操る。ジミー・ペイジを敬愛し、自身のギタープレイにも強い影響を受けているという。一時期キュアーを抜けてペイジ・プラントに在籍していたこともある。2005年から2度目の復帰を果たした。また、画家としても活動しており、CDのアートワークデザインも手掛けている。 ローレンス・トルハースト (Laurence Tolhurst) - ドラムス、キーボード (1976年-1989年) オリジナル・メンバー。通称ロル。ロバートとは6歳の時からの幼馴染。初めはドラムを担当していたが、アルバム『ポルノグラフィー』の制作を経て、ドラマーとしての限界を感じ、1983年にキーボードに転向。1989年に解雇されたが、その解雇を不当として、1993年にバンドを訴えた(結果は敗訴)。Presenceというバンドを経て、その後はロバートとも仲直りして、妻と共にLevinhurstというバンドで活動を行っている。 マイケル・デンプシー (Michael Dempsey) - ベース (1976年-1979年) オリジナル・メンバー、初代ベーシスト。『スリー・イマジナリー・ボーイズ』ではジミ・ヘンドリックスのカバー曲、「Foxy Lady」でメインボーカルを取っている。 マシュー・ハートリー (Matthieu Hartley) - キーボード (1979年-1980年) セカンド・アルバム『セブンティーン・セコンズ』における淡い色彩表現に一役買った。 フィル・ソーナリー - ベース (1983年-1984年) 「The Lovecats」~『ザ・トップ』期のベーシスト。『ポルノグラフィー』のプロデューサーでもある。1988年-1992年、ジョニー・ヘイツ・ジャズにボーカルとして加入。 アンディ・アンダーソン (Andy Anderson) - ドラムス (1983年-1984年) 『ザ・トップ』期のドラマーだったが、来日の際に飲酒が原因でトラブルを起こし、解雇された。 ボリス・ウィリアムス (Boris Williams) - ドラムス、パーカッション (1984年-1994年) バンドの黄金期を支えたドラマー。恋人であるCaroline Crawleyとのバンド・Babacarの活動のため、キュアーを脱退した。脱退後も『グレイテスト・ヒッツ』のアコースティック・セッションに参加したりと、友好的な関係を続けている。 ペリー・バモンテ (Perry Bamonte) - キーボード、ギター、6弦ベース (1990年-2005年) 通称テディ。元はロバートのツアー・ギターローディー。ロジャー脱退に際しキーボード奏者として参加。1995年にロジャーが復帰すると晴れてギター担当となった。ポールの後釜ということで、そのテクニックに対し厳しい意見も聞かれたが、音楽に対する真摯な姿勢は好感を持たれていた。2005年に突然ロバートから解雇を宣告され、バンドを去った。
※この「歴代メンバー」の解説は、「ザ・キュアー」の解説の一部です。
「歴代メンバー」を含む「ザ・キュアー」の記事については、「ザ・キュアー」の概要を参照ください。
歴代メンバー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/07 04:59 UTC 版)
「アルビレックスチアリーダーズ」の記事における「歴代メンバー」の解説
2006-07 メンバー チームリーダー 栗山由美 コーディネーター 山岸克予 クリニックディレクター 清水咲里 スクールディレクター 堀文子 横山未来 鳥羽真美子 石田良美 金井景子 三浦環 森由美子 伊藤聡美 長澤由美 今村ちひろ 笠原亜希子 小泉縁 廣瀬祐子 斎藤世意子 佐藤未帆 篠原恵理 清水栄里 中條鈴 長濱恵美子 野屋敷有里 林さおり 細島祥子 松永貴子 山岸千乃 2007-08 メンバー チームリーダー 堀文子 鳥羽真美子 金井景子 森由美子 横山未来 石田良美 伊藤聡美 長澤由美 有働 絵津子 林 さおり 田辺 佳織 遠藤 尚子 今村ちひろ 清水栄里 篠原恵理 江村 舞佳 島田 若枝子 小野 綾子 坂上 郁美 上原 正美 可児 暁恵 (都合により途中脱退) 2008 - 09メンバー チームリーダー 有働絵津子 コーディネーター 長澤由美 スクールディレクター 堀文子 金井景子 森由美子 伊藤聡美 篠原恵理 今村ちひろ 清水栄里 田辺佳織 島田若枝子 江村舞佳 山岸千乃 田中聡子 塚田理恵子 (都合により途中脱退) 五十嵐万未 (都合により途中脱退) 2009 - 10メンバー ※( )内は在籍年数。無印は新メンバー。 チームリーダー 有働絵津子(4) スクールディレクター 堀文子(7) 森由美子(6) 篠原恵理(4) 今村ちひろ(4) 田辺佳織(4) 田中聡子(2) 廣瀬祐子(2) 遠藤尚子 南真理子 樋口佳代 橘沙織 石郷岡雅代 山本あい花 本間文香 2010 - 11メンバー ※( )内は在籍年数。無印は新メンバー。 チームリーダー 遠藤尚子(2) 有働絵津子(5) 篠原恵理(5) 今村ちひろ(5) 廣瀬祐子(3) 田中聡子(3) 樋口佳代(2) 橘沙織(2) 石郷岡雅代(2) 山本あい花(2) 菊池由美 2011 - 12メンバー ※( )内は在籍年数。無印は新メンバー。 チームリーダー 遠藤尚子(3) サブリーダー 山本あい花(3) 橘沙織(3) 南真理子(2) 安藤美和 大澤真弓 渡邊尚子 森千翔 石垣敬愛 今井綾乃 小倉祥子 サテライトメンバー 中野景子(6) サテライトメンバー 庭野佳織(5) サテライトメンバー 菊池由美(2) サテライトメンバー 今井里見(2) 2012 - 13メンバー ※( )内は在籍年数。無印は新メンバー。 チームリーダー 山本あい花(4) 橘沙織(4) 南真理子(3) 大澤真弓(2) 渡邊尚子(2) 石垣敬愛(2) 小倉祥子(2) 石坂杏美 古俣佳苗 石川由利菜 サテライトメンバー 森千翔(2) 2013 - 14メンバー ※( )内は在籍年数。無印は新メンバー。 チームリーダー 大澤真弓(3) サブリーダー 石川由利菜(2) 橘沙織(5) 小倉祥子(3) 小林桃子 田中千尋 棚橋笑里夏 吉田彩乃
※この「歴代メンバー」の解説は、「アルビレックスチアリーダーズ」の解説の一部です。
「歴代メンバー」を含む「アルビレックスチアリーダーズ」の記事については、「アルビレックスチアリーダーズ」の概要を参照ください。
歴代メンバー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 07:58 UTC 版)
「強がりセンセーション」の記事における「歴代メンバー」の解説
(卒業順) 名 前よ みニックネーム加入期担当カラー卒業日備考笹木都々華 ささき つづか つーちゃん 一期 .mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{} 黄色 2014年9月14日 卒業後、同事務所の気まぐれパンデミックを経て仮面女子(白羽都々華名義)に加入するも諸事情により退所。ドリームセンセーションで『Dear Future』に出演したのを最後に芸能活動を引退した。 蒼井ちひろ あおい ちひろ ちいぴょん 一期 水色 2015年2月15日 卒業後、BiSH(セントチヒロ・チッチ名義)のメンバーとして活動中。 辻本あや つじもと あや あやりん 一期 ピンク 2015年2月15日 卒業後、Send☆Charmを経てQ-pitch(槙田あや名義)のリーダーとして活動中。 鈴森玲奈 すずもり れいな れいちゃん 二期 水色 2015年8月12日 卒業後、ドリィムアビリティ(黒崎智花名義)を経てLunariaで活動するも諸事情により退所。ドリームセンセーションで『Dear Future』に出演したのを最後にアイドル活動を引退した。 瑞月杏樹 みづき あんじゅ あんじゅ 二期 ピンク 2015年8月6日 卒業後、暗黒姫を経てソロシンガーとして活動中(相川陽菜名義)(あんじゅ名義) 松本百合愛 まつもと ゆりあ ゆりあん 二期 赤 2015年11月14日 卒業後、ラストクエスチョン加入も怪我により退所 手術リハビリを経てマタタvv(YURIA名義)で活動中。 上條笑果 かみじょう えみか えみけ 一期 オレンジ 2016年1月10日 卒業後、女優(井上果歩名義)として活動中。 藤井睦 ふじい むつみ むっちゃん 三期 黄緑→ オレンジ 2017年2月28日 卒業後、ザ・バーレスクにて活動中。 市川結愛 いちかわ ゆあ ゆあぴょん 一期 紫→ 赤 2017年3月31日 卒業後、姉妹グループ「手羽先センセーション」に復帰、その後卒業しソロとして活動。2018年4月にアイドル卒業ライブ、11月にはラストリリースイベントを開催。2019年8月に芸能活動を再開した。 山本なほ やまもと なほ なほてぃ 二期 黄→ 水色 2017年7月8日 卒業後、ソロ活動を経てマタタvv(NAHO名義)で活動中。 水原ゆうい みずはら ゆうい ゆうゆ 三期 青→ 黄色 2017年12月25日 広瀬みのり ひろせ みのり みのりん 四期 ミントグリーン 2017年12月25日 卒業後、Fullfull☆Pocketで活動中。 嶋宗凜 しまむね りん りんりん 五期 オレンジ 2017年12月25日 卒業後、女優として舞台への出演や、ソロシンガーとして活動中(現在は小湊一凜またはICHICA名義) 丸谷あさひ まるたに あさひ あさひまる 五期 パープル 2018年2月18日 卒業後、エモップ(エモクルスコップ)を経て(2018年7月でエモップ活動中止)同事務所のイベントなどに出演していたが2019年5月に退所した。2019年11月よりAiDOLOXXXYで活動。2020年7月に同グループを卒業し、芸能活動を引退した。 染矢みさき そめや みさき みーたん 五期 レッド 2018年4月17日 卒業後、舞台への出演などを経て2020年2月より福岡ソフトバンクホークス公式チアチームのハニーズで活動中(Misaki名義) 木村美陽 きむら みよ みよぱん 四期 ピンク 2018年4月17日 卒業後、一旦は同事務所を退所したが2018年8月に復帰し、イベントなどに出演している。
※この「歴代メンバー」の解説は、「強がりセンセーション」の解説の一部です。
「歴代メンバー」を含む「強がりセンセーション」の記事については、「強がりセンセーション」の概要を参照ください。
歴代メンバー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/14 04:07 UTC 版)
「フジテレビビジュアルクイーン」の記事における「歴代メンバー」の解説
※選出時の芸名を記す。 1992年 高橋里華、稲尾律子、寺田光希 1993年 内田有紀、田中広子、遠藤美佐子、遠野舞子、青木美津子 1994年 稲森いずみ、吉野公佳、雛形あきこ、木内あきら 1995年 華原朋美、榎本加奈子、遊井亮子、秋本祐希 1996年 山田まりや、青木裕子、稲田千花、黒田美礼 1997年 藤崎奈々子、吹石一恵、嘉門洋子、柳明日香 1998年 安西ひろこ、鮎川なおみ、柴田あさみ、中沢純子 1999年 吉井怜、内藤陽子、濱松咲、高以亜希子 2000年 周防玲子、一戸奈未、川村亜紀、桜井裕美、三津谷葉子、金子さやか 2001年 浅見れいな、小向美奈子、宮地真緒、椎名法子 2002年 市川由衣、香里奈、沢尻エリカ、鎗田彩野
※この「歴代メンバー」の解説は、「フジテレビビジュアルクイーン」の解説の一部です。
「歴代メンバー」を含む「フジテレビビジュアルクイーン」の記事については、「フジテレビビジュアルクイーン」の概要を参照ください。
歴代メンバー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 01:20 UTC 版)
第1ヴァイオリン1969年-1981年 原田幸一郎 (創設メンバー) 1981年-1995年 ピーター・ウンジャン 1995年-1996年 アンドリュー・ドース(英語版) 1996年-2002年 ミハイル・コペルマン(英語版) 2002年-2013年 マーティン・ビーヴァー 第2ヴァイオリン1969年-1974年 名倉淑子(創設メンバー) 1974年-2013年 池田菊衛 ヴィオラ1969年-2013年 磯村和英(創設メンバー) チェロ1969年-2000年 原田禎夫(創設メンバー) 2000年-2013年 クライヴ・グリーンスミス 2011年11月、創設以来のヴィオラ奏者である磯村和英と2代目第2ヴァイオリン奏者の池田菊衛が2013年6月をもって、東京クヮルテットから退団することが発表された。池田と磯村は退団後も各々で音楽活動を続ける予定で、磯村は「情熱と刺激に満ちた日々でした。数々の素晴らしい室内楽の名曲を永遠に演奏し続けられると思ってきましたが、つい最近になってそれはちょっと無理なんだと気がつきました。世界中を飛び回って演奏することがだんだん辛くなってきたのです」と、また池田は「37年に亘って支え続けて下さった仲間やお客様に心から感謝致します。室内楽は私の喜びであり、これからは演奏活動と後進の指導に残りの人生を捧げられたらと思っています」と語っている。新メンバーは2012年に発表される予定だったが、第1ヴァイオリン奏者のビーヴァー、チェロ奏者のグリーンスミスの熟考の結果、東京クヮルテットは2013年6月をもってその歴史を終えることになった。
※この「歴代メンバー」の解説は、「東京クヮルテット」の解説の一部です。
「歴代メンバー」を含む「東京クヮルテット」の記事については、「東京クヮルテット」の概要を参照ください。
歴代メンバー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/17 09:33 UTC 版)
雲井 千賀子(くもい ちかこ、本名・太野千賀子、1929年(昭和4年) - ) 福岡県小倉市(現:北九州市)の生まれ。浪曲の初代京山華千代の門下になる。オリジナルメンバー、程なく脱退。 日吉川 トキコ(ひよしがわ ときこ、本名・寺田徳恵、1948年(昭和23年)2月9日 - ) 千賀子の後任で、音痴振りを弄られる役どころ。脱退後は漫才師に転じ、中田みゆき・ゆきみのゆきみを経て、園ひとみの名で夢乃タンゴとのコンビで永年活躍した(松竹芸能所属)。 日吉川 良子(ひよしがわ よしこ、本名・前田(旧姓・前山)志代子、1946年(昭和21年) - ) 和歌山県日高郡の生まれ。スミ子の後を承け参加、初期の芸名は日吉川ヨシコ。アコーディオン担当。1970年(昭和45年)10月に落語家の二代目桂枝雀と結婚し1971年(昭和46年)8月に脱退、米朝一門のホール落語の下座三味線を担当。第2期ジョウサンズには参加していない。
※この「歴代メンバー」の解説は、「ジョウサンズ」の解説の一部です。
「歴代メンバー」を含む「ジョウサンズ」の記事については、「ジョウサンズ」の概要を参照ください。
歴代メンバー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 05:11 UTC 版)
「ミッドナイト・エクスプレス (プロレス)」の記事における「歴代メンバー」の解説
"ラヴァーボーイ" デニス・コンドリー("Loverboy" Dennis Condrey)(1981年 - 1987年、1987年 - 1989年) "ラヴィシング" ランディ・ローズ("Ravishing" Randy Rose)(1981年 - 1983年、1987年 - 1989年) "PYT" ノーベル・オースチン("P.Y.T." Norvell Austin)(1981年 - 1983年) "ビューティフル" ボビー・イートン("Beautiful" Bobby Eaton)(1984年 - 1990年) "スウィート" スタン・レーン("Sweet" Stan Lane)(1987年 - 1990年) ( )内は在籍期間。5選手ともサイズ的には決して大型ではなかったものの、いずれも職人肌の試合巧者であり、各々別のタッグチームにおいても実績を残している。
※この「歴代メンバー」の解説は、「ミッドナイト・エクスプレス (プロレス)」の解説の一部です。
「歴代メンバー」を含む「ミッドナイト・エクスプレス (プロレス)」の記事については、「ミッドナイト・エクスプレス (プロレス)」の概要を参照ください。
歴代メンバー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/06 03:30 UTC 版)
年度メンバー備考2006年(第1期生) 浅岡志保、大谷ゆり、杏那美夏(あんな みか) 2007年(第2期生) 外咲来未(とさき くみ)杏那美夏松田亜衣 途中、外咲来未が病気治療の為に脱退。第1期生の浅岡志保が復帰し第2期卒業までMCを務めていた。 2008年(第3期生) 杏那美夏、ますあや、暮羽優奈(くれは ゆな) 杏那美夏が3年連続。 2009年(第4期生) 布施曜子(ふせ ようこ)ますあや秋葉ミキ 2010年(第5期生) ますあや南まこと、鴻上聖奈(こうがみ せな) 2011年(第6期生) ますあやizumi(いずみ)日野礼香(ひの れいか) この年は例年より1ヵ月遅れの4月5日にメンバー発表が行われた。日野は2014年度の日本レースクイーン大賞でグランプリに選ばれている。 2012年(第7期生) ますあや南友香(みなみ ともか)渡辺順子 ますあやが5年連続。この年からコスチュームはメンバーがデザインしたものとなった。 2013年(第8期生) 岩田明子高塚麻奈高家望愛(こうけ のあ) 応募総数100人の中から選出。発足以来初めてメンバー全員が総入れ替えとなる。高家は平成生まれとしては初のクレインズメンバーとなった。 2014年(第9期生) 高家望愛安藤麻貴山本捺生(やまもと なつき) 高家望愛が2年連続。初めてメンバー全員が平成生まれになった。 2015年(第10期生) 安藤麻貴、はるま、湯浅あきな 安藤麻貴が2年連続。 2016年(第11期生) 湯浅あきな、はるま、村井瑞稀(むらい みずき) 湯浅あきな、はるまが2年連続となり、初めてメンバー1名のみが入れ替わる結果となった。 2017年(第12期生) 村井瑞稀永原芽衣(ながはら めい)夏江花(なつえ はな) 村井瑞稀が2年連続。初めてメンバー全員が1990年代生まれになった。この年の衣装デザインは鴻上聖奈が担当。 2018年(第13期生) 村井瑞稀茜音里奈(あかね りな)藤間すず(とうま すず) 村井瑞稀が3年連続。 2019年(第14期生) 柊みずほ(ひいらぎ みずほ)城戸ひなの(きど ひなの)相田美優(あいだ みゆう) 2013年以来のメンバー総入れ替え。柊は北海道出身者としては暮羽優奈以来11年ぶりのクレインズメンバーとなる。 2020年(第15期生) 高橋真以(たかはし まい)城戸ひなの蒼井じゅの(あおい じゅの) 城戸ひなのは2年連続。 ますあや(2008 - 2012年メンバー) 日野礼香(2011年メンバー) 渡辺順子(2012年メンバー) 南友香(2012年メンバー) 岩田明子(2013年メンバー) はるま(2015 - 2016年メンバー) 夏江花(2017年メンバー)
※この「歴代メンバー」の解説は、「クレインズ」の解説の一部です。
「歴代メンバー」を含む「クレインズ」の記事については、「クレインズ」の概要を参照ください。
- 歴代メンバーのページへのリンク