スターシップ期とは? わかりやすく解説

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スターシップ期(1985年 - 1989年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/22 13:55 UTC 版)

スターシップ (バンド)」の記事における「スターシップ期(1985年 - 1989年)」の解説

デイヴィッド・フライバーグ(英語版)はこの裁判沙汰の後もバンド残りアルバムフープラ』の最初セッション参加している。しかし彼はこのセッション満足することができなかった。というのもキーボードパートをフライバーグを差し置いて、すべてピーター・ウルフ(『ニュークリア・ファーニチャー』のセッション参加後、『フォロー・アップ・ツアー』のツアーの短い期間だけバンド加入)が演奏したため。。結局フライバーグはバンド辞め残った5人によって『フープラ』が仕上げられることになった1984年から1986年末までに行われたライブセッションでは、ガブリエル・カトーナが、サポートメンバーとしてキーボードサックス演奏したアルバムフープラ』は1985年10月発売された。このアルバムからはNo.1ヒットが2曲生まれている。まず最初にバーニー・トーピンマーティン・ペイジデニス・ランバート、ピーター・ウルフらの作曲グラミー賞受賞プロデューサーであるビル・ボトレル(英語版)のエンジニアリング、そしてボトレルとジェイスン・マーツ(英語版)のアレンジによる「シスコはロック・シティ」である。もう一曲は「セーラ英語版)」だった。このアルバム全米最高7位まで上昇しプラチナディスクとなった。そしてこのアルバムからはさらにもう2曲、シングル曲発売している。「トゥモロー・ダズント・マター・トゥナイト」と「ビフォー・アイ・ゴー」である。それぞれ最高26位、68につけている。バンドは、オリジナル・メンバーによるジェファーソン・スターシップ1975年に『レッド・オクトパス(英語版)』を発売して以来、ここにきてようやくNo.1ヒット出したのだった1987年初頭、「愛はとまらない原題:w:Nothing's Gonna Stop Us Now)」が映画マネキン』の主題歌となり、No.1ヒットとなる。しかし、ヴィデオには、グレイス・スリックミッキー・トーマス2人ギターのクレイグ・チャキーソを加えた3人だけが出演している。この当時、この曲がNo.1になったことで、グレイス・スリックは、「『ビルボードホット100』の第一位獲得した曲を歌う歌手の中で最も年長女性歌手となったスリックはこの時47歳だった(この記録シェール1999年に「ビリーヴ」を52歳歌うま破られなかった)。翌1988年には、「ワイルド・アゲイン」(ビルボードシングルチャート73位まで上昇した)が映画カクテル』で使用されている。 スターシップ2枚目のアルバム『ノー・プロテクション(英語版)』が発売されるまでに、ベースキーボード担当していたピート・シアーズが、音楽性の変化に不満を抱きバンド脱退シアーズ脱退後ジェファーソン・エアプレインの前バンドメンバーのジョーマ・コーコネン、ジャック・キャサディと共にバンド「ホット・ツナ(英語版)」で10年キーボード担当した。 この『ノー・プロテクション』は、このアルバムの中で最も有名なシングル「愛は止まらない」がチャートで1位に輝いた後にやっと発売されゴールドディスク獲得している。「愛は止まらない」に続いて「イッツ・ノット・オーヴァー」(最高第9位)、「ビート・パトロール」(最高第46位)が発売されている。アルバム最後に収録された「今夜はミュージックナイト(Set the Night to Music)」は、1991年ロバータ・フラックアルバムナイト・トゥ・ミュージック』においてフラックマキシ・プリーストデュオカヴァーされ、全米6位の大ヒットとなる。『ノー・プロテクション』のプロモーション・ツアーには、シアーズ後任としてブレット・ブルームフィールドが正式メンバーとして加わりまた、フライバーグ以来正式メンバーであるキーボーディストとしてマーク・モーガンが加入した1988年グレイス・スリックが、再結成されたジェファーソン・エアプレインに加わるため、スターシップ脱退再結成ジェファーソン・エアプレイン1989年アルバム1枚発表しその後スリック音楽業界から引退する。カントナー、シアーズ、フライバーグがジェファーソン・エアプレイン辞め新たに入れ替わって残っていたメンバー達は皆、彼女より十歳以上若い人間ばかりだったのである今日に至るまで、スリックは「年寄りロックンロール舞台上がってダメ」を守っている。 ミッキー・トーマス一人リード・ボーカルとして、刷新された顔ぶれスターシップ1989年8月に『ラヴ・アマング・ザ・カニバルズ(英語版)』を発売しツアー行ったものの、以前のように高い評価を得ることはできなかった。1989年9月24日ライブのためにペンシルヴァニア州スクラントン滞在していた際に、ドニー・ボールドウィンとの激し口論の末、ミッキー・トーマス頭蓋および顔面の手術を余儀なくされるほどの重傷負ったこの手術の結果トーマス頭蓋骨には2枚のチタンプレートが埋め込まれた。ボールドウィンはこの事件の後即座にバンド解雇された。ツアー残り日程は、トーマス回復しライヴを行うことができるようになるまで延期された。

※この「スターシップ期(1985年 - 1989年)」の解説は、「スターシップ (バンド)」の解説の一部です。
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