昭和
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注釈
出典
- ^ 昭和天皇は父・大正天皇の病状を受け1921年(大正10年)11月25日に「摂政宮」に就いている。
- ^ 昭和天皇は1989年(昭和64年)1月7日午前6時33分に崩御し、皇太子明仁親王(現・上皇)が同時刻に直ちに皇位継承。同日中に元号を改める政令が新天皇の署名によって公布され、同政令の附則の施行期日の定めに基づき、昭和は同日午後12時を以て幕を閉じ、翌1月8日午前0時を以て平成と改元された。
- ^ 1947年(昭和22年)の旧皇室典範の廃止・日本国憲法及び現皇室典範の施行によって、元号に関する条文が削除され、元号は法的根拠を消失した。しかし、その後も慣習として昭和の年号は公私を問わず広く使用され続けた結果、1979年(昭和54年)の元号法の制定に至った。
- ^ 「明治」は11度目の正直=選から漏れた元号案、最多は40回、時事ドットコム、2019年2月2日15時19分。
- ^ 「昭和改元の詔」の日付は大正15年12月25日であり、同じ日に公布された大喪使官制(昭和元年勅令第1号)の日付は昭和元年12月25日となっている。
- ^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店〈岩波新書355〉1959年 32ページ
- ^ 第1回は1927年(昭和2年)5月28日「居留民保護」の名目で出兵。第一次大戦以来山東省には日本の各種の権益が多く、多くの日本人も居留していた。徐州に迫っていた国民政府軍(国民革命軍)の阻止が主目的で在った。第2回は1928年(昭和3年)4月19日に一次出兵と同じ目的で一個師団を投入した。しかし、中国統一や民族運動に譲歩していた英米とは違って、日本は中国の民族運動を抑えるためであった。5月3日には居留民殺傷という理由で済南城を攻撃し占領した。第3回は9日後の1928年(昭和3年)5月9日にさらに一個師団を増派し、合わせて15,000の大群で華北を抑えた。(遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 39と44-45ページ)
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久20頁〜21頁
- ^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 78-79ページ
- ^ 反対は日本のみ、ほかにシャム(タイ)のみが棄権
- ^ 飛行機、戦車、火砲などの近代装備の大幅な充実
- ^ 武蔵、大和などの世界最大の戦艦や航空母艦の建艦
- ^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 135-137ページ
- ^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 136ページ
- ^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 169ページ
- ^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 171ページ
- ^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 172ページ
- ^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 172-174ページ
- ^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 239ページ
- ^ もういちど読む山川日本戦後史18頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久94頁
- ^ “1947年9月19日 「天皇メッセージ」伝えられる”. 沖縄県公文書館. 2019年4月23日閲覧。
- ^ “天皇メッセージ”. 沖縄県公文書館 (1947年9月19日). 2019年4月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月23日閲覧。
- ^ 『図説 日本史通覧』291頁大型本2015年3月黒田 日出男(監修)帝国書院編集部(編集)
- ^ もういちど読む山川日本戦後史26頁
- ^ 『図説 日本史通覧』290頁大型本2015年3月黒田 日出男(監修)帝国書院編集部(編集)
- ^ もういちど読む山川日本戦後史25頁
- ^ もういちど読む山川日本戦後史30頁
- ^ もういちど読む山川日本戦後史16頁
- ^ 朝鮮戦争と日本の関わり―忘れ去られた海上輸送― (PDF) 防衛研究所戦史部石丸安蔵
- ^ 竹島領有権問題について 自民党領土に関する特別委員会委員長石破茂 2006年(平成18年)5月16日
- ^ もういちど読む山川日本戦後史40頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久100頁〜101頁
- ^ ビデオの『日本の記録の12巻〜映像100年史星条旗の下』説明→民主化の内容ではアメリカ合衆国のニューディール政策より大きな政府を目指す革新政策であった
- ^ 『日本の記録の12巻〜映像100年史 星条旗の下での民主化』
- ^ もういちど読む山川日本戦後史21頁
- ^ 『図説 日本史通覧』292頁大型本2015年3月黒田 日出男(監修)帝国書院編集部(編集)
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久88頁〜89頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久102頁〜103頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久120頁〜121頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久140頁上段
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久140頁下段
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久136頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久140頁
- ^ もういちど読む山川日本戦後史102頁
- ^ もういちど読む山川日本戦後史130頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久142頁
- ^ “あのとき!1967年 非核の誓い、国会答弁”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2009年3月7日) 2011年4月3日閲覧。
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久180頁〜181頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久146頁〜147頁
- ^ もういちど読む山川日本戦後史139頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久194頁〜195頁
- ^ もういちど読む山川日本戦後史134頁
- ^ 『もういちど読む山川日本戦後史』104頁老川 慶喜【著】
- ^ 耐久財の変容、中央調査社
- ^ 台所・厨房機器の保有率の推移、中央調査社
- ^ 民俗学がわかる事典―読む・知る・愉しむ [単行本] 新谷 尚紀 (著)232頁
- ^ 民俗学がわかる事典―読む・知る・愉しむ [単行本] 新谷 尚紀 (著)233頁
- ^ 『もういちど読む山川日本戦後史』121頁老川 慶喜【著】
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久148頁〜149頁
- ^ a b 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久272頁〜273頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久154頁〜155頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久210頁〜211頁
- ^ 民俗学がわかる事典―読む・知る・愉しむ [単行本] 新谷 尚紀 (著)218頁
- ^ a b 『もういちど読む山川日本戦後史』120頁老川 慶喜【著】
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久144頁〜145頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久220頁〜221頁
- ^ 『もういちど読む山川日本戦後史』107頁老川 慶喜【著】
- ^ 『もういちど読む山川日本戦後史』117頁老川 慶喜【著】
- ^ a b 『もういちど読む山川日本戦後史』119頁老川 慶喜【著】
- ^ 『もういちど読む山川日本戦後史』118頁老川 慶喜【著】
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久212頁〜213頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久202頁〜203頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久246頁〜247頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久168頁〜169頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久150頁〜151頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久214頁〜215頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久254頁〜257頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久288頁〜289頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久268頁〜269頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久290頁〜291頁
- ^ 『もういちど読む山川日本戦後史』161頁老川 慶喜【著】
- ^ 『もういちど読む山川日本戦後史』160頁老川 慶喜【著】
- ^ 『もういちど読む山川日本戦後史』164頁老川 慶喜【著】
- ^ 『もういちど読む山川日本戦後史』165頁老川 慶喜【著】
- ^ 『もういちど読む山川日本戦後史』166頁老川 慶喜【著】
- ^ 『もういちど読む山川日本戦後史』167頁老川 慶喜【著】
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久302頁〜303頁
- ^ 政友会217議席,民政党216議席,無産諸派8議席,実業同志会4議席,革新3議席,中立その他18議席
- ^ 民政党273,政友会174,国民同志会6,無産諸派5
- ^ 政友会301議席,民政党146議席,無産諸派5議席
- ^ 民政党205議席,政友会171議席,昭和会22議席,社会大衆党18議席,国民同盟15議席
- ^ 民政党179,政友会175,社会大衆等37,昭和会19,国民同盟11等
- ^ 当選者、推薦381名,非推薦者85名
- ^ もういちど読む山川日本戦後史42頁
- ^ もういちど読む山川日本戦後史59頁
- ^ 今日の歴史(1月7日) 聯合ニュース
- ^ 朝鮮戦争に出動した日本特別掃海隊 (PDF) - 防衛省
- ^ もういちど読む山川日本戦後史89頁
- ^ テレビアニメとしてはそれ以前に『もぐらのアバンチュール』『新しい動画 3つのはなし』『インスタントヒストリー』『おとぎマンガカレンダー』などが放映されている。
- ^ 懐かしの昭和・平成流行事典2001年〜1945年の56頁
- ^ 懐かしの昭和・平成流行事典2001年〜1945年の52頁
- ^ 元々は昭和天皇の誕生日。戦前・戦中は「天長節」、戦後は「天皇誕生日」という名称であったが、昭和天皇崩御を受け「みどりの日」と改められていた。
- ^ 『平成トレンド史』4頁〜5頁著者原田曜平
- ^ ただし、平成生まれの国政選挙立候補者は2名存在した。
- ^ “存在感増した京都党、平成生まれ市議も誕生 京都市議選”. 京都新聞. (2015年4月13日). オリジナルの2015年4月13日時点におけるアーカイブ。 2020年6月3日閲覧。
- ^ コラム 6 元号伝説 - ポスト「大正」は「光文」か?、史料にみる日本の近代、国立国会図書館
- ^ 室町幕府第15代将軍足利義昭が一例で、その偏諱を貰って名前に「昭」の字を用いた大名も各地に存在した。他には徳川斉昭、盛田昭夫も。
- ^ 時差の都合で日付の差異が絡むため。
昭和10年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 21:51 UTC 版)
昭和初期から終戦にかけて、大正初期から盛り上がりを見せた一種の一茶ブームが一段落し、これまでの一茶の研究成果に改めて見直しが進められた。この時期は唯物史観や精神分析学の知見を援用した一茶像構築の試みや、一茶の低俗な面に焦点を当てた研究が見られた。また文献研究もこれまでよりも厳密なものが発表され、一茶研究は質的にも深化していった。 昭和戦前期、一茶の故郷である柏原では一茶の顕彰事業が進められた。まず柏原村の村長が発起人となって昭和3年(1928年)、「一茶翁遺物保存会」が結成された。昭和4年(1929年)には一茶の曽孫である小林弥太郎から、一茶が亡くなった土蔵が柏原村に寄贈され、昭和8年(1933年)、一茶終焉の土蔵が長野県の史跡に指定された。そして小林弥太郎は昭和11年(1936年)、一茶の百十回忌を記念して終焉の土蔵の隣に一茶位牌堂を建て、「釈一茶不退位」と書かれた一茶の位牌を納めた。 そして昭和17年(1942年)、これまでの一茶研究の集大成ともいうべき、伊藤正雄の「小林一茶」が刊行される。同書では一茶以前には存在しなかった農民詩人として定義されており、そのことは日本の文学史上特筆すべきことであるとした。綿密な調査、分析に基づいて執筆された「小林一茶」は、一茶の農民詩人像の確立をもたらした。同書は学問的に見ても高度な充実した内容から、多くの一茶研究家から一茶研究におけるエポックメーキングであると評価されている。 また伊藤正雄の「小林一茶」など昭和10年代の一茶研究の特徴として、農民詩人としての一茶と明治末期の「俳諧寺一茶」で示された国家主義者としての一茶像のリンクが見られたことが挙げられる。つまり土を愛し、国体を賛美する土着の国家主義者としての一茶像が描かれているのである。これはもちろん昭和10年代の社会情勢に密接に関わったものであった。
※この「昭和10年代」の解説は、「小林一茶」の解説の一部です。
「昭和10年代」を含む「小林一茶」の記事については、「小林一茶」の概要を参照ください。
昭和10年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 01:36 UTC 版)
1936年(昭和11年)5月15日 - 安芸町に都市計画法が適応され、都市計画を指定。 1938年(昭和13年)11月19日 - 安芸職業紹介所(現・安芸公共職業安定所)が開設。 1938年(昭和13年)11月 - 安芸保健所(現・安芸福祉保健所)が開設。 1943年(昭和18年)10月1日 - 安芸町が穴内村を編入。
※この「昭和10年代」の解説は、「安芸市」の解説の一部です。
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