元禄文化 元禄文化の概要

元禄文化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/12 04:32 UTC 版)

「燕子花図」(尾形光琳
燕子花図 尾形光琳筆(全図) 燕子花図 尾形光琳筆(全図)
燕子花図 尾形光琳筆(全図)

17世紀中ごろ以降の日本列島は、農村における商品作物生産の発展と、それを基盤とした都市町人の台頭による産業の発展および経済活動の活発化を受けて、文芸学問芸術の著しい発展をみた[1][2]。とくに、ゆたかな経済力を背景に成長してきた町人たちが、大坂など上方都市を中心にすぐれた作品を数多くうみだした[3]。そこでは庶民の生活・心情・思想などが出版物や劇場を通じて表現された[1]。ただし、その担い手は武士階級出身の者も多かった[4]。また、同じ上方でも京より大坂に重心がうつると同時に、文化の東漸運動も進展し、江戸・東国が文化に占める重要性が高まっていく端緒となった[3][5]

元禄文化は、しばしば「憂き世から浮世へ」と称せられるように、現世を「浮世」として肯定し、現実的・合理的な精神がその特徴とされる[6][7]。もとより貴族的な雅を追求する芸術の成果も一方には存在したが、「民勢さし潮のごとく」と評された民衆の情緒を作品化したものが多く、世間(社会)の現実をみすえた文芸作品もうみ出された[3]。とりわけ、小説井原西鶴俳諧松尾芭蕉浄瑠璃近松門左衛門は日本文学史上に燦然と輝く存在である[4]。また、実証的な古典研究や実用的な諸学問が発達し、芸術分野では、日本的な装飾画の様式を完成させたとされる尾形光琳浮世絵の始祖といわれる菱川師宣があらわれ、従来よりも華麗で洗練さを増した美術工芸品もまた数多くつくられた[4]。音楽では生田流箏曲や新浄瑠璃、長唄などの新展開がみられた。さらに、音曲と組み合わせて視聴覚に同時に訴えかける人形浄瑠璃歌舞伎狂言も、この時代に姿がととのえられた[3]。元禄時代は、めざましい創造の時代だったのである[4]

なお、日本における1960年代の高度経済成長期の文化隆盛を指すものとして、「昭和元禄」(しょうわげんろく)という言葉が生まれている[注釈 1]




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注釈

  1. ^ 1964年に政治家福田赳夫が言いだした、経済成長下での天下泰平・奢侈安逸の風潮を評した言葉。
  2. ^ 水戸の漢学者で地理学者の長久保赤水が「坤輿万国全図」をほぼ忠実に踏まえて1785年に刊行した「地球万国山海輿地全図説」は、木版で印刷されて民間にひろく流布した。
  3. ^ 西鶴の句は、その奇矯な作風から「阿蘭陀西鶴」といわれた。児玉(1974, 改2005)pp.491-492
  4. ^ 仮名草子には、恋愛物、翻訳物、模擬物、懺悔物、教訓物、戦記物、遍歴物、笑話物などの種類があった。原田 他(1981)p.235
  5. ^ 「三井九郎右衛門」のモデルは三井八郎右衛門。三井の当主は代々八郎右衛門を名のった。
  6. ^ 作者不詳の能楽『放下僧』では、かたきをねらう兄弟が放下師(放下)と放下僧に扮装し、曲舞鞨鼓小唄などの芸づくしをおこなう場面がある。山路(1988)p.45
  7. ^ 伊勢太神楽は、織田信長に敗れた武士たちのうち伊勢国桑名に落ちのびた一派といわれ、全国を旅する芸能集団となって獅子舞・曲芸を演じた。佐藤(2004)p.116
  8. ^ 彦八の出身地の大阪市では毎年9月に「彦八まつり」がおこなわれている。
  9. ^ 上方落語では、今日でも、「見台」という小型のに小拍子を撃ち叩いて音を鳴らす演出があるが、これは「辻噺」より発展した名残りといわれている。つまり、上方ではまず大道芸として発達したため、客足を止めるために大きな音を出す必要があったものと考えられている。日本芸術文化振興会「落語の歴史:落語家のはじまり」
  10. ^ 大橋流、玉置流ともに書の流派で、天の川を渡ることに橋が、恋仲・夫婦仲を磨くことに玉が掛けられている。初代小野お通は北政所侍女だったという伝説の能書家であり、2代目お通はその娘にあたる。横田(2002)pp.361
  11. ^ 宝永に再建された金堂は天平時代のものよりも規模は小さいが、現存する世界最大級の木造建築である。
  12. ^ 戦国時代にあっては、「生と死」の問題は仏教に委ねられていたが、幕藩体制下では超越者との関係を断ち切り、現世的な関係を第一義とする思想が求められたのであり、従来の擬制的な主従関係や身分的・階層的秩序観念を従来に比していっそう本質的なものとして説明する哲学が要請されたのである。奈良本「鎖国下の創造」(1970)pp.110-111
  13. ^ 羅山も、正式に幕府に仕えるときには、家康の命により剃髪して道春と名のっている。以後、羅山の三男の鵞峯までは僧侶待遇であった
  14. ^ 湯島の学塾は、寛政の改革のとき幕府直轄の学問所(昌平坂学問所)に改められ、以後、直臣のみならず藩士・郷士・牢人の聴講入門も許可された。
  15. ^ 順庵門下の白石、鳩巣、観瀾、芳洲、祇園南海榊原篁洲、南部南山、松浦霞沼、服部寛斎、向井滄洲を合わせて「木門十哲」と称することがある。
  16. ^ 新井白石は順庵の塾に束脩を払って入門したのではなく、いわば特待生の待遇であったが、あくまでも順庵門下という意識をもち続け、他からの誘いも断っている。奈良本(1974)pp.55-56
  17. ^ 浅見絅斎の著書『靖献遺言』は中国史における殉国者的な8人(屈原諸葛孔明陶淵明顔真卿文天祥謝枋得劉因方孝孺)らについての歴史的論評であったが、幕末の志士にさかんに読まれた。
  18. ^ 慶安の変由比正雪の乱)と承応の変別木庄左衛門事件)についてそれぞれ漢文で叙述した『草賊前記』『草賊後記』には、両事件と蕃山が何か関係があったかのように書かれているが、もとより何の証拠のない話である。しかし、この記述は公儀権力から蕃山がきわめて危険視された存在であったことを傍証している。尾藤『元禄時代』(1975)p.120
  19. ^ 「蘐」とは「カヤ(萱、茅)」のことであり、所在地の茅場町にちなむ。
  20. ^ 元和元年(1615年)には江西省の僧劉覚、寛永5年(1628年)には福建省泉州の僧覚海、寛永6年(1629年)には福建省福州の僧超然がそれぞれ来日し、それぞれ東明山興福寺、分紫山福済寺、聖寿山崇福寺をひらいている。その後の渡来僧はこの3寺にまずは逗留することが多かった。駒田(1986)pp.110-111
  21. ^ 彰考館はのちに水戸に移された。
  22. ^ このことについて、抱一は兄より、人間の生命を預かる医師がかかる簡便な書籍で医術を学べば必ずや過ちを犯すだろうと諫められ、医書の著述をやめたといわれている。横田『天下泰平』(2002)pp.357
  23. ^ 他に、基盤とする地方は不明であるが葛間勘一による農書『地方一様記』が元禄8年に刊行されている。
  24. ^ 白石はシドッティに「日本は極東の小さな国である」と述べたところ、シドッティから「領土が大きいか小さいか、ヨーロッパから遠いか近いかといったことで国の評価をするのはおかしい」と指摘されている。これは『西洋紀聞』に紹介されているエピソードであるが、合理主義者である白石の自省が吐露されたものとして注目される。市村・大石(1995)pp.72
  25. ^ 綱吉政権による2つの法令は、死んだ牛馬の片付けや町・堀の清掃など清めにかかわる仕事を社会にとって必要不可欠なものにした一方で、その仕事や仕事にたずさわる人を賤視したり、穢れを投影して忌み遠ざけたりするなどの誤った観念を産んだ。高埜(1992)p.150
  26. ^ 綱吉が将軍となって間もない貞享3年(1686年)には「初物禁止令」が出されている。大石(1995)p.31
  27. ^ 当時の民間記録(主として西日本)では、奈良鳴川(木辻)、大津馬場町、駿府弥勒町、播州室小野町、備後鞆蟻鼠町、越前敦賀六軒町、泉州堺の北高須町、兵庫磯町、石見温泉津稲町、佐渡相川山崎町、安芸宮島新町、長門赤間関稲荷町、筑前博多柳町、長崎丸山町などが遊里として知られていたことがわかる。原田 他(1981)p.233

出典

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