はなぶさ‐いっちょう〔‐イツテフ〕【英一蝶】
英一蝶
英一蝶
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英 一蝶(はなぶさ いっちょう、承応元年(1652年) - 享保9年1月13日(1724年2月7日))は、日本の江戸時代中期(元禄期)の画家、芸人。本姓は藤原、多賀氏、諱を安雄(やすかつ?)、後に信香(のぶか)。字は君受(くんじゅ)。幼名は猪三郎(ゐさぶらう)、次右衛門(じゑもん)、助之進(すけのしん)(もしくは助之丞(すけのじょう))。剃髪後に多賀朝湖(たがちょうこ)と名乗るようになった。俳号は「暁雲(ぎょううん)」「狂雲堂(きょううんだう)」「夕寥(せきりょう)」。
- ^ 山東京伝著の『近世奇跡考』に摂津国の生まれとされ、長らく定説となっていたが、当時の島流しに関する公文書では京の生まれと記されており、こちらが史実とも考えられる。
- ^ 住まわされたのは、阿古(現在の阿古地区)。
- ^ a b 英一蝶 三宅島の寄り道/元禄絵師 遠島11年の礎『日本経済新聞』朝刊2018年11月4日(NIKKEI The STYLE)。
- ^ 多くの作品が残り、「一蝶寺」と呼ばれていたが、関東大震災で焼失。
- ^ 大田南畝「半日閑話」吉川弘文館(『日本随筆大成』巻4)1927年,316頁より。
- ^ 山東京伝『浮世絵類考追考』(享和2年10月)
- ^ 英一蝶像東京国立博物館(2018年12月8日閲覧)。
- ^ 「馬がもの言う、牛がもの言う」とは将軍綱吉が館林藩主時代「館林右馬頭」と名乗っており、腹心の柳沢吉保の幼名が牛之助であったことを風刺している戯曲であり、真の作者とされる筑紫園右衛門は捕縛後、斬首刑となっている。
- ^ 樋口一貴 『肉筆春画傑作選』 大洋図書、2016年4月6日、pp.76-81、ISBN 978-4-8130-2270-1。
- ^ 日待 :お日待ち。前夜から潔斎(けっさい。祭事を前に沐浴などをして心身を清めること)して翌朝の日の出を拝む古習。時代が下るほどに遊興化し、飲食と歌舞音曲を楽しむ場と化した。
- ^ サンジャクは、冠羽と長い尾羽を持つ鳥を指す「綬帯鳥(じゅたいちょう)」の名でも呼ばれる。
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