能阿弥とは? わかりやすく解説

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のうあみ【能阿弥】

読み方:のうあみ

[1397〜1471]室町中期画家連歌師阿弥派の祖で、三阿弥一人真能とも称した。号、秀峰将軍足利義教義政仕えた同朋衆で、水墨画連歌花道香道のほか、唐物鑑定屋敷飾りなどで活躍。「君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)」の著者伝える。作「白衣観音図」など。


能阿弥

読み方のうあみ

室町中期画家連歌師。姓は中尾、名は真能、号を秀峰・春斎等、能阿弥は通称芸阿弥の父、相阿弥祖父書画鑑定連歌香道座敷飾等に精通し将軍足利義教義政同朋衆として仕える。また北野連歌会所奉行となった。宗祗が選んだ竹林抄』の連歌七賢一人文明3年(1471)歿、75才。(一説明応3年(1494)歿、98才)

能阿弥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:19 UTC 版)

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能阿弥(のうあみ、応永4年(1397年) - 文明3年(1471年))は、室町時代水墨画家、茶人連歌師鑑定家表具師。姓は中尾、名は真能(さねよし)。法号は真能。号は鴎斎、春鴎斎子。子に芸阿弥、孫に相阿弥がいる。

元は越前朝倉氏の家臣だったが、足利義教義政同朋衆として仕えて能阿弥と号し、幕府における書画等(唐物)の鑑定や管理を行い、また東山御物の制定を行った。特に水墨画に優れ阿弥派の開祖とされ、鶴図を描き義政に絶賛されたといわれる。自由に御物の名品を見ることの出来る立場を生かし、「花鳥図屏風」や「白衣観音図」のような、牧谿の図様をそのまま取り込んだ作品を残している。茶道においては、書院飾りの完成、台子飾りの方式の制定などを行い、小笠原流の礼法を参酌して今日に伝えられているような茶の点て方を考案した。『山上宗二記』では「同朋中の名人」と記されている。そのほか連歌立花香道にも優れ、連歌では七賢の一人に挙げられ、北野天満宮の連歌奉行も務めた。

著書に『君台観左右帳記』、東山御物の目録である『御物御絵目録』(相阿弥の時に完成)、自筆巻子として「集百句之連歌巻」(天理大学附属天理図書館蔵)がある。

現存する能阿弥作品

蓮図[1]
子の周健喝食のために泉涌寺妙厳院で描いた旨の墨書がある。元は三幅対で、本図はそのうちの中幅と見られる。
能阿弥の基準作で代表作。また、製作年がはっきりした現存最古の水墨花鳥図屏風としても貴重な作品。 浄土真宗仏光寺・花恩院(経豪)の寺務継承祝いとして贈られた。牧谿の「観音猿鶴図」(大徳寺蔵)から多くのモチーフを借用しており、鑑賞者にも、その視覚体験を共有していることを前提に構成されている。
元は六曲一双の屏風絵だったと考えられる。伝能阿弥筆の伝承を持つが、画風から孫の相阿弥の代まで下げる意見が強い。

脚注

  1. ^ 図中の和歌と款記は次のとおり。「あけぬ暮ぬ ねがふはちすの 花のみを まつあらはせる 一筆ぞこれ 老能七十五歳」

参考文献




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