群盲(ぐんもう)象(ぞう)を評(ひょう)・す
群盲象を評す
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/09 15:28 UTC 版)
群盲象を評す(ぐんもうぞうをひょうす、群盲評象)は、数人の盲人が象の一部だけを触って感想を語り合う、というインド発祥の寓話。世界に広く広まっている。しかしながら、歴史を経て原義から派生したその通俗的な俚言としての意味は国あるいは地域ごとで異なっている。真実の多面性や誤謬に対する教訓となっているものが多い。盲人が象を語る、群盲象をなでる(群盲撫象)、群盲象を撫づなど、別の呼び名も多い。[1]
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- ^ “Bayer Women Pills”. 2010年6月18日閲覧。
- 1 群盲象を評すとは
- 2 群盲象を評すの概要
- 3 ジョン・ゴッドフリー・サックス
- 4 関連項目
群盲象を評す
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/10 05:59 UTC 版)
群盲象を評すという物語において述べられた判じ物がある。この物語は様々な宗教の観点から分析されており、ジャイナ教の場合の群盲象を評すでは全ての言明を総合することが強調されている。
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群盲象を評す
出典:『Wiktionary』 (2021/08/12 12:23 UTC 版)
成句
- 視野の狭い者が多く集まり、銘々の観点から理解したことを述べ、結果として物事の本質が見失われている状態の喩え。
- 視野の狭い者は、いくら集まったところで、本質を理解することは難しいと言うこと。また、小人物はスケールの大きな人を理解することができないと言うこと。
用法
由来
仏教説話より、「阿含経」「六度集経」「北本涅槃経」「菩薩処胎経」等に見られる。以下に、「六度集経」より引用。
- 白文
- 王曰「將去以象示之」、臣奉王命、引彼瞽人將之象所、牽手示之。中有持象足者、持尾者、持尾本者、持腹者、持脅者、持背者、持耳者、持頭者、持牙者、持鼻者。瞽人於象所爭之紛紛、各謂己真彼非。使者牽還、將詣王所。王問之曰「汝曹見象乎」。對言我曹俱見。王曰「象何類乎」。持足者對言「明王象如漆筩」、持尾者言如掃帚。持尾本者言如杖。持腹者言如鼓。持脅者言如壁。持背者言言如高机。持耳者言如簸箕。持頭者言如魁。持牙者言如角。持鼻者對言「明王、象如大索」。復於王前共訟言「大王、象真如我言」。鏡面王大笑之曰「瞽乎瞽乎、爾猶不見佛經者矣」。
- 現代語訳
- 鏡面王は言った、「すぐに、象の所へ連れて行ってやれ」、家臣が王の命を受け、この盲人達を象の元に連れて行き手を引いて、盲人に示した。中には、足を触る者、尾を持つ者、尾の根本を持つ者、腹を触る者、脇腹を触る者、背を触る者、耳を触る者、頭を触る者、牙を触る者、鼻を触る者がいた。盲人達は象について、各々の見解を争い、自分は正しく他の者は間違っていると収拾がつかなくなった。家臣は王のもとに連れて帰った。王は、「お前達は象を見たことがあるか」と聞いたが、見たことはないと答えた。王は「象とはどういうものだ」と聞いた。足を触った者は「大王様、象とは立派な柱のようなものです」と答えた、尾を持った者は箒のよう、尾の根本を持った者は杖のよう、腹を触った者は太鼓のよう、脇腹を触った者は壁のよう、背を触った者は背の高い机のよう、耳を触った者は団扇のよう、頭を触った者は何か大きなかたまり、牙を触った者は何か角のようなもの、鼻を触った者は「大王様、象とは太い綱のようなものです」と答えた。そして、王の前で「大王様、象とは私が言っているものです」と再び言い争いを始めた。鏡面王は大いにこれを笑って言った、「盲人達よ、お前達は、まだありがたい仏様の教えに接していない者のように、理解の幅が狭いのだね」。
翻訳
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