蝉吟
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蝉吟(せんぎん、寛永19年(1642年)[1] - 寛文6年4月25日(1666年5月28日)[1])は、江戸時代の俳人。本名は藤堂 良忠[1]。通称は主計[2]、宗正。
伊賀国藤堂藩の伊賀付侍大将 藤堂新七郎良精の三男として生まれる[1]。良忠は、松永貞徳や北村季吟について俳諧を嗜んでいた[1]。当時、宗房と名乗っていた松尾芭蕉の文才を認めて、ともに俳諧を嗜んだ[1]。芭蕉を専属の小姓にしたとも伝わる[2]。寛文5年(1665年)11月には、芭蕉を一座にくわえて、貞徳十三回忌の追善百韻を催している[1]。

寛文6年(1666年)4月25日、25歳で死去した[1]。蝉吟の死によって、芭蕉は士分に取り立てられる可能性を失った[2]。芭蕉は良忠の遺骨を高野山におさめ、それから故郷を出奔し、一所不在の身で俳諧に専念するようになったという。墓所は伊賀市山渓禅寺。
出典
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