実学・自然科学の発達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 15:00 UTC 版)
自然科学では、本草学や農学・医学など実用的な学問が発達した。「本草」とは「薬のもとになる草」という意味であり、本草学は元来、自然物(植物・動物・鉱物)を人間に役立てるための学問で、とくに薬用効果を研究する中心とする薬学であったが、しだいに博物学的性格を強めた。元禄前後の時期にあって実学がおこり、ものごとを合理的に考える態度が養われたのは、当時の産業の発達や経済発展に刺激されたことを背景にしており、ここでは実証的研究が尊ばれたのである。 そこには朱子学的な自然法の影響も考えられるが、当時にあってそれは必ずしも絶対のものではなく、むしろ相対視され、全体としては分裂していたと見なすことができる。換言すれば、朱子学的な文脈での合理主義は、そのまま近代的な合理主義へは結びつかなかった。朱子学における天円地方説は、ヨーロッパからもたらされた地球球体説や地動説とは相容れなかったし、思弁的な李朱医学の立場は近代における解剖学的な説明とは次元の異なるものであった。 共通するのはただ、自然の観察において神秘的な存在、超越的な存在を認めないという、ただ一点であった。言い換えれば、日本においては自然科学的思考は、同時代のヨーロッパのようにキリスト教神学との格闘を通じて確立していくという手続きを経ないで得られたということができる。この時代、急速な進展をみたのは、日常生活の上で効用の大きい数学・暦法・農学・本草学(博物学)・医学だったのである。
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