元禄期以降の豪商とは? わかりやすく解説

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元禄期以降の豪商

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 01:58 UTC 版)

豪商」の記事における「元禄期以降の豪商」の解説

17世紀後葉から18世紀初頭にかけての元禄年間1688年-1704年)、新興大商人現れた。この時代は、文治政治への転換により幕藩体制がいっそうの安定期迎え三都とりわけ京・大坂を中心とする上方経済・文化繁栄頂点達した時期相当する元禄豪商称される商人には2つのタイプがあり、1つ投機型の商人で、「紀文」の名で知られる紀伊国屋文左衛門、「奈良茂」といわれた奈良屋茂左衛門西廻り航路東廻り航路整備知られる河村瑞賢はいずれ材木商を営んだ。彼らは明暦の大火後の復興にともなう木材需要増をあてこんで材木扱い、とくに「紀文」と「奈良茂」はいずれ幕府材木御用達として公共事業利益をあげた。「紀文」は老中阿部正武信任得て幕府大量材木納めまた、駿府商人松木屋提携して駿河国井川山などから樹木伐採した元禄11年1698年の上野の寛永寺根本中堂東京都台東区造営に際して50万両もの利益をあげたといわれている。「奈良茂」は天和3年1683年)の下野国日光東照宮栃木県日光市修理の際に巨利をあげたといわれ、尾張藩と関係深く名古屋商人神部左衛門組んで飛騨国伐採活動おこなった彼の遺産132530両といわれている。「紀文」と「奈良茂」の2代目それぞれ江戸吉原での桁外れ豪遊知られ、のちにそれがとがめられてもいる。また、ともに緊縮財政旨とする新井白石の「正徳の治」において土木事業差し控えられたため、やがて廃業余儀なくされた。これに対し河村瑞賢御家人取り立てられた。また、大坂蔵元であった淀屋蔵物出納で富を得、店頭米市が立つほどの殷賑誇ったといわれ、井原西鶴が『日本永代蔵』にその繁栄ぶりを記しているが、宝永2年1705年)、5代三郎右衛門驕奢理由で全財産没収されている。 その一方で堅実な経営事業発展継続させていったタイプ豪商もあった。呉服両替商を営んだ三井家酒造廻船両替掛屋鴻池家製錬鉱山開発たずさわった住友家などは着実に家業継承して近代入ってからも財閥として繁栄した江戸時代豪商は、蔵元両替商呉服商米商木綿問屋油問屋海運業などを営み、その創業当初専門職種に携わっていたが、規模拡大するにつれ、兼業化するものが多かった。すでに伊勢国松坂三重県松阪市)で商人として成功していた三井家当主三井高利寛文13年1673年)に江戸本町一丁目越後屋呉服店を、また、京都には呉服仕入れ店を開業した越後屋は「現金掛け値なし」の画期的な商法人気博し今日三越百貨店つながっている。「現金掛け値なし」の店先売り周囲の店からいやがらせを受けるほどの大評判となった三井延宝8年1680年)からは駿河町において両替業務をはじめ、天和3年1683年)には呉服店同地移転し、さらに貞享4年1687年)に幕府呉服御用達命じられるいやがらせおさまった元禄4年1691年)には金銀御為替御用達命じられている。越後屋呉服店は、薄利多売営業方針加えて引き札」と称される広告用チラシ配布呉服地の切り売り小切れ販売店員専門化などといった創意工夫により売上増やした大坂豪商鴻池家摂津国伊丹酒造業からおこってきた豪商である。鴻池善右衛門3代)は、父祖の手掛けた大名貸事業拡大して新田開発を手がけた。宝永元年1704年)の大和川付け替え工事の際に生じた土地新田開発着手、のちに鴻池新田として整備した。また市街地整備も手がけて地代獲得し近世日本最大豪商として繁栄した加島屋大坂豪商で、寛永の頃から御堂前米問屋始め両替商兼営し、のちに「十人両替」に列せられた。諸藩蔵元掛屋として大名貸鴻池家並び称された。南蛮吹き精錬によって財をなした大坂淡路町住友家では、初代住友吉左衛門住友家3代友信)が幕府御用銅山師となり、その子の友芳が元禄3年1690年)が伊予国別子銅山愛媛県新居浜市)を発見して豪商地位不動のものにした。 江戸期物流支配したのが廻船問屋であった。『日本永代蔵』で紹介され唐金屋は和泉国佐野船問屋であり同郷の食野(のちの和泉屋次郎左衛門)などとともに大船用いて越中国加賀国能登国などで産する米を運び巨富得た元禄12年1699年段階泉佐野だけで300石以上の廻船80艘以上あったという。廻船問屋出身地としては、塩飽諸島忽那諸島など、かつて村上水軍拠っていた瀬戸内海面した諸港は数・規模において、これを上まわる寛文12年1672年)、江戸の米不足に際して出羽国庄内地方の米を江戸運んで航路開いたのは塩飽諸島航海者であり、歌にうたわれた笠島丸屋もこの流れのなかに位置づけられる。彼らは、庄内から日本海南西航海して瀬戸内海経由し、さらに紀伊半島から江戸へと向かう長大航路航行したのである菱垣廻船や酒荷用樽廻船駆使した問屋商人は、株仲間結成して不正防止事故防止共同でおこなうとともに営業独占図った諸藩蔵屋敷がたちならび、蔵元掛屋集中する大坂は「天下の台所」と称されるふさわしく大坂豪商たちは寛政前後活躍した儒学者蒲生君平が「大坂豪商一度ひとたび怒って天下諸侯憚(おそる)るの威あり」と著述するほどの社会的影響力をもった。 寛文2年1662年)に江戸日本橋(東京都中央区)開業した白木屋呉服店享保2年1717年)に京都伏見京町(京都市伏見区)に開業した大文字屋呉服店現在の大丸)は、近代には百貨店として発展している。 江戸期にあっては地方にあって豪商称される大商人現れた。加賀藩御用商人銭屋五兵衛出羽国酒田本間光丘盛岡藩小野組などが著名である。江戸時代後半に入ると、幕府諸藩財政難おちいったが、その際これを支えたのが豪商による御用金であった

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