日本橋(東京都中央区)とは? わかりやすく解説

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日本橋 (東京都中央区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/14 22:15 UTC 版)

日本 > 東京都 > 中央区 > 日本橋
日本橋三井タワー三井不動産
東海道五十三次之内 日本橋」
歌川広重筆。明六ツ[注釈 1] に日本橋を渡る大名行列
名所江戸百景』「日本橋江戸ばし」 作品名は日本橋から江戸橋を望むの意
木曾街道 続ノ壱 日本橋 雪之曙」
渓斎英泉
日本橋川 明治期
現在の日本橋。上の高架橋は首都高速都心環状線

日本橋(にほんばし)は、東京都中央区北部の通称。旧・日本橋区にあたる。また、東京都中央区の町名

地名は日本橋川に架かる日本橋という橋梁の名前に由来する。

日本橋(地域)

昭和初期の日本橋地域。中央に白木屋、上部に少し三越が見える

概要

広域地名としての日本橋は、東京都中央区北部の地域で、旧日本橋区全域を指す商業地・ビジネス街である。東京駅日本橋口から見て北東方面に位置しており、周辺の八重洲京橋大手町丸の内などとともに東京の中心業務地区(CBD)を構成する東京の都心部に相当する。旧日本橋区西側を南北に貫く中央通り(地下には東京メトロ銀座線が走行している)沿いが日本橋エリアの中心である[1]

江戸時代から武家屋敷が立ち並ぶ山手に対して、町人文化の中心地である下町を代表する地域であった。東京は池袋渋谷などの比較的歴史の浅い街が多い中で、日本橋は江戸時代初期から江戸の中心市街地としての歴史と伝統を持つ数少ない地域である。近代以降も重要な地であった日本橋には、日本銀行本店本館や三井本館日本橋三越本店本館、髙島屋日本橋店本館といった国の重要文化財に指定されている建築物が数多く集積している。

江戸時代には日本橋五街道の起点として江戸における交通・物流の要所であった。その名残で現在でも道路標識における東京までの距離計算の起点は、日本国道路元標が設置されている日本橋(橋梁)となっている。現在の日本橋本町を含む一部地域は「江戸本町」と呼ばれており、江戸で最初に町割りが整備された奥州街道沿いの街である(現在の「本町通り」「大伝馬本町通り」が該当する)。日本橋本町は江戸時代から薬問屋が数多く軒を連ね、現在でも武田薬品工業アステラス製薬第一三共などの製薬会社の本社及び東京本社(グローバル本社)が多数所在する。

江戸時代当時から金貨幣の鋳造所である金座両替商など金融機関がこの地に集積し[2]、金融・商業の中心地であった[3]1873年に日本最古の銀行である第一国立銀行みずほ銀行の源流企業)が初代本店を置いた日本の銀行発祥の地である日本橋兜町や、日本の中央銀行である日本銀行本店等が所在する日本橋本石町日本橋室町奥州街道沿いの金融街として今でも複数の大手銀行の支店が置かれている日本橋大伝馬町日本橋横山町など、日本橋地域全体が東京都心を代表する金融街として機能している。民間銀行である第一国立銀行は、資本主義の父とも呼ばれる渋沢栄一が創設した日本初の株式会社でもあり、兜町は「株式会社発祥の地」でもある[4]。また、兜町には日本の株式証券市場の中心として言わずと知れた東京証券取引所(旧東京株式取引所)が所在しており、バブル景気の頃からは数は減少したものの、証券会社が一定程度残存している(業界再編などで大手証券会社や都市銀行などの本店は大手町丸の内への移転が増加した)[5]

日本最古の百貨店である日本橋三越本店を含む老舗の商業施設も多く、日本橋地域北東部に位置し旧奥州街道沿いの街の東日本橋日本橋横山町日本橋馬喰町には日本最大の問屋街が形成されている。また、摂津国佃村からの移住者である森孫右衛門一族と、その住民達は関東大震災で倒壊して、その後京橋区(現在の中央区)築地築地市場として移転するまでの間、当地に魚河岸を設置し、新興都市として発展しつつあった江戸の食品流通を支えてきた。また、江戸橋の南詰に所在する日本橋郵便局(後に東京駅前に移転した旧東京中央郵便局)は、1871年駅逓司と郵便役所が置かれた「日本の郵便発祥の地」である[6]

老舗百貨店の三越(三井越後屋)は旧三井財閥三井グループ)のルーツと言われており、戦前は三井本館に旧三井財閥の本拠地が置かれた。歴史的な経緯から三井不動産が当地に数多くのオフィスビル・複合商業ビルを有している。バブル崩壊以降、金融街である日本橋の活気は失われていたが、2004年東急百貨店日本橋店(かつての白木屋)跡地にコレド日本橋を開業して以降、三井不動産主導で官・民・地域が連携して「日本橋再生計画」と呼ばれる大規模再開発を進めており[7]首都高速道路の地下化などを通して日本橋川沿いの水辺空間の賑わいの創出を目指している[8]

東京駅八重洲口がある「八重洲一丁目」も日本橋地域である。八重洲一丁目はかつて「日本橋呉服橋」の町名で、旧東京府東京市日本橋区に属していた。他の日本橋地域の町内と同様に郵便番号上三桁103を使用している。当然多くの行政施設の管轄や公立中学校の学区も日本橋に属している。[9]

歴史

近代以前

現在の日本橋を中心とした地域は、古くは武蔵国豊島郡に相当し、その中の江戸郷前嶋村と呼ばれる地域だったという。江戸は鎌倉時代江戸氏の支配から太田道灌、さらに後北条氏を経て徳川家康が幕府を開く。その過程で、早くに町地として開発されたのがこの日本橋周辺の地域であった。さらに上でも触れたように日本橋が架けられ交通の要所として定められてからは、金座銀座が置かれ、日本初の百貨店三越の前身である越後屋をはじめとする大店が集まるなど、江戸を代表する場所として殷賑を極めた。

近代以降

1868年、江戸府内は東京府となり、日本橋の辺りは維新の混乱により一時寂れた。しかしガス灯鉄道馬車が敷設されるなど程なく息を吹き返し、江戸の昔に変わらぬ繁栄を見せるようになった。1878年施行された郡区町村編制法により、日本橋を中心とした周辺の地域は日本橋区となり、1889年には東京市に属した。1896年には本両替町にあった金座の跡に日本銀行が建てられた。また大店の越後屋や白木屋百貨店として生まれ変わり、1908年には越後屋こと三越が洋館の店舗を落成させるなど次第に洋風建築も増え、近代的な町並みへと変わっていった。

1920年(大正9年)、市民が使える公衆用火災報知機が三越前などに設置された[10]

1923年関東大震災により日本橋区は甚大な被害を受ける。震災後定められた土地区画整理事業によって河川や道路の改修、拡幅が行われ、昭和通り浜町公園ができた。古くから日本橋のたもとにあった魚河岸築地へと移転した[11]第二次大戦において、日本橋区は1945年空襲により、再び区内の大半を消失する被害を蒙る。終戦後、東京都の主導により日本橋区は南に接する京橋区(現在の中央区のおよそ南半分)と合併することになった。日本橋区会(現在の区議会に相当)では他区との合併に難色を示す議員が多く、統合後も日本橋の名前だけは残したいとの意向から、京橋区との合併決議に町名に日本橋を冠することとする項目が盛り込まれ、中央区発足時に旧・日本橋区内の全ての町名に日本橋が冠称された[12]。現在中央区のおよそ北半分の地区に見られる数多くの「日本橋○○町」という町名は、中央区発足時の町名変更の名残りである。なお、京橋区側の町名はそのままとなった。

その後、戦災復興期の区画整理により「日本橋呉服橋」は八重洲一丁目に、1970年以降の住居表示実施に伴う町名の統合により、日本橋芳町や日本橋北堀町などが隣接する既存の町名に変更され、日本橋を冠する町名の一部は消滅した。1971年住居表示の実施により、江戸時代から長らく両国と称されていた「日本橋両国」をはじめとした周辺の町々が合併し現在の東日本橋となる。1973年住居表示の実施により「日本橋通」(一丁目 - 三丁目)と「日本橋江戸橋」(一丁目 - 三丁目)の2町を合併し現在の日本橋となった。

日本橋の魚市場(魚河岸)」 神田の青物市場と並ぶ東京の代表的な市場。日本橋の東、江戸橋までの日本橋川北岸にあった。明治30年代 (1897 - 1906)、市場周辺の問屋数は約500戸。衛生、交通などの面から移転問題が繰り返し起きた。関東大震災で全焼し築地に移転した。魚、蝦などの絵あり。「日時3月2日午後6時開會 會塲 明治座(傍聽無料)魚河岸非移轉演説會 入塲券辯士(イロハ順)磯部四郎君 脇坂甚兵衛君 田口卯吉君 高本益太郎君 角田眞平君 丸山名政君 島田三郎君」と書かれた演説会の入場券が書き写されている。 — 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「日本橋の魚市場(魚河岸)」より抜粋[13]
「日本橋」を冠する現町名
「日本橋」を冠しない現町名

観光・街づくり

江戸三大祭り
日本橋の地域内に氏子を持つ、社格が高い3つの神社の例大祭で、「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様。」と表した。日本橋北詰大半を範囲とする神田神社神田祭、日本橋南詰全域を範囲とする日枝神社山王祭、日本橋北詰東部を範囲とする富岡八幡宮深川祭と共に規模の大きい祭りで、にぎわいを見せている。
時の鐘跡
江戸時代、市中に時を告げるため鐘を撞いた所の旧跡で、本石町三丁目(現:日本橋室町四丁目)にあった。当時は江戸の9か所に時の鐘が設けられ、本石町にあったこの時の鐘は一番初めに置かれたものといわれる。時の鐘は明治6年(1873年)まで用いられた。日本橋小伝馬町の十思公園には、安永8年(1779年)に造られた本石町の鐘が移されて残り、「石町時の鐘」として都の文化財に指定されている。
人力車
日本橋は人力車発祥の地。1870年(明治3年)3月24日に、人力車営業の許可がおりて日本橋で人力車営業が始まった。現在3月24日は、人力車発祥の日(日本橋人力車の日)として、記念日協会に登録されている[14]
箱根駅伝
1999年以降、箱根駅伝の第10区はコースを日本橋経由へ変更している。これは日本橋周辺の商工会からの要請であると同時に、東海道の始点である日本橋を通るということが箱根駅伝のクライマックスを飾るに相応しいと判断されたからである。
アンテナショップ
地方自治体アンテナショップ集積地としては銀座有楽町地区と並び、各地の名産品を購入する人も多い[15]

創作物

日本橋もしくは同町を題材とした創作作品

絵画
小説
民謡

ギャラリー

ローマ字表記

日本で主に使用されているローマ字表記には、現在主流の「修正ヘボン式」、終戦直後に定められた「旧ヘボン式」がある。

中央区が定める正式な町名の「日本橋」および国が管理する架橋の「日本橋」は Nihonbashi が正式な表記である。

Nihonbashi表記の歴史は長く、近代の明治に英字表記が定まっていなかった時代からNihonbashiと紹介されてきたことに始まる。戦後以降ローマ字表記が乱立する中で、修正ヘボン式に基づいたNihonbashi表記を継続して採用する流れとなった。行政施設では統一してNihonbashi表記が採用されている(同様の使用例は千代田区三番町四番町が挙げられる)。外国の地名でも同様ルールに基づいた表記が見られる。デンマーク (Danmark) やミャンマー (Myanmar) 、スコットランド首都エディンバラ (Edinburgh) やオーストラリア首都キャンベラ (Canberra) などが正式な英名表記として採用されている。

ただし鉄道施設の駅名案内表示のように、旧ヘボン式ローマ字での表記 Nihombashi が残っている例もある。これは1946年運輸省達第176号による『鉄道掲示規程』で示された古い表記を使用し続けている為である。現在、旧ヘボン式の採用に強制力はなく鉄道各社の判断に任されている。現在でも非公的なごく一部の施設で「m」の表記が見られるのは、上記で述べた鉄道施設の表記を模倣した影響によるもの。

2010年代以降、日本橋のローマ字表記をNihonbashiに統一する動きがある。東京都では『国内外旅行者のためのわかりやすい案内サイン標準化指針』に基づき、2015年以降の看板表記を「n」で統一。同様に国土地理院でも「地名等の英語表記規定」を策定し「n」で表記すると明示した[17]環境庁の指針でも同様に「n」で表記する規則を示した[18]。同じく2010年代以降、日本橋地域の再開発ビルの施設名の多くも「n」で統一している。

日本橋(町名)

日本橋
町丁
北緯35度40分54秒 東経139度46分22秒 / 北緯35.681669度 東経139.772831度 / 35.681669; 139.772831
日本
都道府県  東京
特別区 中央区
地域 日本橋地域
人口情報2023年(令和5年)1月1日現在[19]
 人口 354 人
 世帯数 222 世帯
面積[20]
  0.28727161 km²
人口密度 1232.28 人/km²
郵便番号 103-0027[21]
市外局番 03(東京MA[22]
ナンバープレート 品川
ウィキポータル 日本の町・字
ウィキポータル 東京都
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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日本橋は、東京都中央区町名。旧日本橋区にあたる日本橋地域の1つ。東京駅日本橋口からも徒歩圏内であり、隣接する千代田区丸の内大手町有楽町、中央区八重洲京橋とともに、日本最大のビジネス街を構成している。現行行政区画は日本橋一丁目から日本橋三丁目。

北は日本橋川、南は都道408号に接する。

歴史

旧町名

地理

中央区日本橋地域の南部に位置し、日本橋南詰の町として古今賑わいを見せている。

河川

世帯数と人口

2023年(令和5年)1月1日現在(中央区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[19]

丁目 世帯数 人口
日本橋一丁目 55世帯 77人
日本橋二丁目 45世帯 67人
日本橋三丁目 122世帯 210人
222世帯 354人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[24]
268
2000年(平成12年)[25]
243
2005年(平成17年)[26]
390
2010年(平成22年)[27]
377
2015年(平成27年)[28]
246
2020年(令和2年)[29]
308

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[24]
106
2000年(平成12年)[25]
112
2005年(平成17年)[26]
277
2010年(平成22年)[27]
240
2015年(平成27年)[28]
174
2020年(令和2年)[29]
200

学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2025年4月現在)[30]

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[31]

丁目 事業所数 従業員数
日本橋一丁目 506事業所 17,123人
日本橋二丁目 702事業所 28,611人
日本橋三丁目 729事業所 20,324人
1,937事業所 66,058人

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[32]
1,794
2021年(令和3年)[31]
1,937

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[32]
63,082
2021年(令和3年)[31]
66,058

企業

観光

名所史跡

交通

鉄道
バス停留所
道路
首都高速道路・出入口

その他

日本郵便

ビル名 地上階 郵便番号
階層ごと 地階・階層不明
日本橋東京日本橋タワー 1階〜35階 103-6001〜103-6035 103-6090
日本橋高島屋三井ビルディング 1階〜32階 103-6101〜103-6132 103-6190

※各ビルの郵便番号は6・7ケタ目に地上階毎の郵便番号が割り振られています。(例:1階は「01」、10階は「10」)

脚注

注釈

  1. ^ あけ-むつ。夜明け頃のことで不定時法に基づく名称。
  2. ^ 関東大震災の復興計画/震災復興再開発事業により、日本橋区内の全域で土地区画整理事業|が実施された。これに伴い1928年(昭和3年)12月以降、大規模な町名地番整理も行われた。
  3. ^ 千代田区神田東紺屋町より拠点移動(移動前は東京支社だった。)

出典

  1. ^ 日本橋再生計画マップ 街づくりライブラリー 三井不動産グループ”. www.mitsuifudosan.co.jp. 2021年7月17日閲覧。
  2. ^ 江戸、造幣の歴史に思いをはせて――日本橋に登場したジャパニーズレストラン「KINZA」の魅力”. アーバン ライフ メトロ. 2022年10月3日閲覧。
  3. ^ 日本銀行本店の建物について教えてください。 : 日本銀行 Bank of Japan”. www.boj.or.jp. 2020年8月14日閲覧。
  4. ^ 日本橋兜町の歴史・史跡|再開発事業|事業案内|平和不動産株式会社”. www.heiwa-net.co.jp. 2024年3月1日閲覧。
  5. ^ 本社紹介”. 山和証券. 2021年11月27日閲覧。
  6. ^ 中央区. “郵便発祥の地(ゆうびんはっしょうのち)”. 中央区. 2024年3月1日閲覧。
  7. ^ 日本橋の歴史|三井不動産の街づくり|事業紹介|三井不動産”. 三井不動産グループ. 2024年3月1日閲覧。
  8. ^ 日本橋再生計画コンセプト 街づくりライブラリー 三井不動産グループ”. www.mitsuifudosan.co.jp. 2021年7月17日閲覧。
  9. ^ 日本橋地域 中央区役所ホームページ(2018年12月3日閲覧)。
  10. ^ 消防雑学辞典 街頭から姿を消した火災報知機”. 東京連合防火協会 (2001年). 2024年3月24日閲覧。
  11. ^ 斗鬼正一「橋から見た都市」『情報と社会』(18)、江戸川大学、2008年、11頁。
  12. ^ 昭和22年東京都告示第149号。これと同様の町名変更には神田地区などがある。
  13. ^ 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「日本橋の魚市場(魚河岸)」国立国会図書館蔵書、2018年2月10日閲覧
  14. ^ 日本橋人力車の日を登録”. くるま屋 日本橋. 日本橋 松武屋公式サイト. 2025年7月14日閲覧。
  15. ^ 「江戸文化の情報発信拠点、日本橋で 日本の伝統・感性を学ぶ」『日本経済新聞』朝刊2018年8月31日(25面)。
  16. ^ 歌川広重・渓斎英泉の木曽海道六拾九次 - 江戸時代の旅について Archived 2011年10月19日, at the Wayback Machine.
  17. ^ 群馬はGunmaかGummaか ローマ字表記の謎
  18. ^ 地域観光資源の英語解説文作成のためのライティング・スタイルマニュアル 観光庁(2020年3月)
  19. ^ a b 中央区の人口データ(町丁目別世帯数男女別人口)” (XLSX). 中央区 (2023年1月1日). 2025年3月31日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  20. ^ 『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2025年3月30日閲覧。(CC-BY-4.0)
  21. ^ a b 日本橋の郵便番号”. 日本郵便. 2025年3月9日閲覧。
  22. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  23. ^ 客引き等の相手方となるべき者を待つ行為を規制する区域の指定について”. 警視庁ホームページ (2016年3月11日). 2022年8月27日閲覧。
  24. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  25. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  26. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  27. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  28. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  29. ^ a b 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  30. ^ 小中学校通学区域情報” (CSV). 中央区. 2025年3月31日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  31. ^ a b c 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  32. ^ a b 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  33. ^ 中央区の郵便番号”. 日本郵便. 2023年11月17日閲覧。
  34. ^ 郵便番号簿 2024年度版” (PDF). 日本郵便. 2025年3月9日閲覧。

文献

関連項目

外部リンク

座標: 北緯35度41分01秒 東経139度46分28秒 / 北緯35.683734度 東経139.774362度 / 35.683734; 139.774362


「日本橋 (東京都中央区)」の例文・使い方・用例・文例

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