元禄文化と江戸の改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:41 UTC 版)
江戸時代の中期から後期にあたる。江戸初から続いた新田開発ラッシュとそれによる米穀増産のもたらす経済と文化の発展は17世紀末の元禄文化に結実したが、農地開墾可能な土地はすでに枯渇して経済成長は行き詰まり、幕府財政は次第に逼迫していった。八代将軍・徳川吉宗は享保の改革を推し進め、慢性悪化に陥っていた財政の復興を果たしたが、一方で一時凌ぎ的な法令を濫発した事などは却って幕府の権威を弱体化し、社会的な矛盾を残すこととなった。18世紀の後期には田沼意次による重商主義的政策が執られ、幕府の財政状況は一定の改善をみた。だが、田沼による改革は江戸の経済・文化の繁栄をもたらした一方、浅間山の大噴火に代表される天災の続発と諸藩の財政維持のための大阪米市場への飢餓輸出が重なり農民層の困窮を招いて中絶。代わりに老中となった松平定信により儒教的農本主義に基づく守旧的な寛政の改革が進められ、経済・文化の停滞が進んだ。
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