元禄期~正徳期とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 元禄期~正徳期の意味・解説 

元禄期~正徳期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 05:30 UTC 版)

江戸時代」の記事における「元禄期~正徳期」の解説

詳細は「正徳の治」を参照 元禄時代経済急成長により、貨幣経済農村にも浸透し四木・漆・)・三草紅花・麻または木綿)など商品作物栽培進み漁業では上方漁法全国広まり瀬戸内海沿岸では入浜式塩田が拓かれて塩の量産体制整い各地流通した手工業では綿織物発達し伝統的な絹織物では高級品の西陣織作られまた、灘五郷伊丹酒造業有田瀬戸窯業発展した。やがて、18世紀には農村工業として問屋制家内工業各地勃興した。 人と物の流れ活発になる中で、城下町港町宿場町門前町鳥居前町鉱山町など、さまざまな性格都市各地生まれたその意味江戸時代の日本は「都市時代であったという評価があり、「全世界歴史見渡してみても、日本江戸時代ほど都市計画的に、しかも大量に作られ、その新しく作った都市社会構造の中で中心になった例は、ほかに見られない」とされている 。18世紀初頭京都大坂大阪)はともに40近い人口抱えていた。同期江戸は、人口100万人前後に達しており、日本最大消費都市であるばかりでなく、世界最大都市でもあった。当時江戸大坂を結ぶ東海道が、18世紀には世界で番人通り激しい道だったといわれている。 このような経済の発展は、院内銀山などの鉱山開発進んで金・銀大量に生産され、それと引き替え日本国外物資大量に日本入り込んだためでもあったが、18世紀に入ると減産枯渇傾向見られるようになった。それに対応したのが、新井白石海舶互市新例長崎新令であった。彼は、幕府開設から元禄までの間、長崎貿易決済のために、金貨国内通貨量のうちの4分の1銀貨4分の3失われたとし、長崎奉行大岡清相からの意見書参考にして、この法令出した。その骨子輸入規制商品国産化推進であり、長崎に入る異国船の数と貿易額制限加えるものであった清国船は年間30艘、交易額は銀6,000貫にまで、オランダ船は年間2隻、貿易額は3,000貫に制限され従来輸入品であった綿布生糸砂糖鹿皮絹織物などの国産化奨励した

※この「元禄期~正徳期」の解説は、「江戸時代」の解説の一部です。
「元禄期~正徳期」を含む「江戸時代」の記事については、「江戸時代」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「元禄期~正徳期」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「元禄期~正徳期」の関連用語

元禄期~正徳期のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



元禄期~正徳期のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの江戸時代 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS