輪島塗
輪島塗
<わじまぬり>
区分
重要無形文化財
保持団体
輪島塗技術保存会
<わじまぬりぎじゅつ
ほぞんかい>
(石川県)
解説
輪島塗の起源は不詳であるが,15世紀後半にはすでに輪島で漆器の生産が行われていたことが知られ,江戸時代には海運の利を生かして販路を広げ,「椀講」と呼ばれる独特の年賦販売形式の行商で全国に顧客を増やし,生産量を飛躍的に伸ばした。
江戸時代中期までは輪島塗のほとんどが無地の朱塗か黒塗であったとみられ,美しい模様で装飾されるようになるのは沈金技法が始められてからである。丈夫な装飾を比較的安価に施すことができる沈金は,庶民の実用漆器であった輪島塗の膳椀に適した加飾技法として発達し,その後蒔絵技法も導入されて盛んになった。キ地の製作,漆塗,蒔絵や沈金などの各工程を専門の職人が分担して行う分業が定着し,「輪島六職」又は「八職」と呼ばれて今日に至っている。
(キは木へんに素)
輪島塗
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輪島塗 |
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わじまぬり |
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漆器 |
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什器、装飾品、家具 |
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輪島塗で最も古いものは、室町時代に作られた「朱塗扉(しゅぬりとびら)」ですが、遺跡調査等により、鎌倉時代の漆器や道具が見つかり、さらに古い時代にも漆器が作られていたことがわかっています。江戸時代には、堅牢な漆器として全国の農家や商人の家で使われていました。 明治時代になると料理屋や旅館等でも使われるようになって、だんだんと豪華な沈金や蒔絵が付けられるようになりました。 |
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石川県 |
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昭和50年5月10日 |
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完成品からはわかりませんが、壊れやすいところに布を貼り、何回も漆を塗り重ねてあります。そこに沈金や蒔絵の豪華な模様がつけられます。また、傷んだ漆器を修理して、再び新品のように使うことができます。 |
輪島塗
名称: | 輪島塗 |
ふりがな: | わじまぬり |
芸能工芸区分: | 工芸技術 |
種別: | 漆芸 |
認定区分: | 保持団体認定 |
指定年月日: | 1977.04.25(昭和52.04.25) |
解除年月日: | |
指定要件: | 一木地は、次のいずれかによること 1椀木地は、地元産の欅材であること 2指物木地は、地元産のあて材であること 3曲物木地は、地元産のあて材であること 4朴木地は、朴材であること 二 伝統的な製法と製作用具によること 1挽物は、横挽きであること 2接着部には刻苧づめを施すこと 3布着せには麻布を用いること 4下地には地元特産の地の粉を用い、箆付で一辺地、二辺地、三辺地を行い、各下地塗りごとに地縁引きを施すこと 5中塗り、小中塗り、上塗りを施すこと 三 天然の漆液を使用すること 四 加飾をする場合は、伝統的な沈金または蒔絵技法等によること 五 伝統的な輪島塗の作調、品格等の特質を保持すること |
備考: | |
解説文: | 輪島塗は、輪島特産の地【じ】の粉【こ】を用い、漆塗りのみでも三十工程に及ぶ入念な作業により、堅牢で漆独自の色彩光沢を発揮した美しい漆器を製作する技術として高く評価されている。文明八年(一四七六)の輪島市内の重蔵権現講堂の棟札に塗師の名が列記されていることから、当時すでに輪島の漆工業が発展していたことが知られる。輪島における漆器生産の拡大は、次第に生産体制を分業化におしすすめ、江戸時代にすでに六職に分れていた。現在、輪島塗の技術者は、木地部門で椀木地【わんきじ】・曲物【まげもの】・指物【さしもの】・朴木地【ほおきじ】の四職に、髪漆【きゆうしつ】部門で塗師【ぬし】・蠟色【ろいろ】の二職、加飾部門では沈金【ちんきん】・蒔絵【まきえ】の二職、計八職に分業している。 |
輪島塗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/09 14:08 UTC 版)
輪島塗(わじまぬり)とは、石川県輪島市で生産される漆器である。
特色
木地に、生漆と米糊を混ぜたもので布を貼って補強する(布着せ)。生漆と米糊、そして焼成珪藻土を混ぜた下地を何層にも厚く施した「丈夫さ」に重きをおいて作られている漆器である。
伝統的工芸品に指定された際の通商産業省(当時)による輪島塗の要件は次のとおり(昭和50年5月10日通商産業省告示第172号)。
- 伝統的な技術または技法
- 伝統的に使用されてきた原材料
これらはあくまで伝統産業の振興を目的とする法令「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づく伝統的工芸品としての輪島塗の要件である。これらを満たすことで類似品と区別するための「伝統証紙」が使用できたりするが、これら要件をすべて満たしたものだけが輪島産の漆器という訳ではない。
椀木地(わんきじ)の縁や薄く壊れやすい部分に、着せもの漆(生漆と米糊とを混ぜたもの)を接着剤に用いて、麻布や寒冷紗(かんれいしゃ)などの布を貼りつける。漆工芸における基本的な工程であるが、現在広く流通している漆器では省略されることが多く、輪島塗や越前塗、京漆器等の一部の漆器産地でつくられるものにしか見受けられない。
また、漆にフィラーを配合して作ったペースト状の下地材を何層にもわたってヘラ木で塗装していく工程を「本堅地(ほんかたじ)」といい、これも漆工芸における基本的な工程である。輪島塗ではこのフィラーに「輪島地の粉」と呼ばれる焼成珪藻土を用いるのが特徴である。本堅地の工程では、最初は漆に数百μmの粒径のフィラーを添加し、工程を進めるごとに何段階かにわたってフィラーのサイズを細かくしていき、最終的には数十μmの粒径のものを使って仕上げる。表面に見える赤や黒の漆はこの後に刷毛で塗装されている。
なお漆工芸ではヒノキのヘラを使って下地作業を行うことが多い、輪島のある能登半島にはヒノキが分布していないため、代用材として同じヒノキ科のヒバ(ヒノキアスナロ)をヘラ木として用いる。特に能登地方ではヒバを「アテ」と呼称していた。能登アテは青森ヒバから分根したものであるが、現在では材木としてブランド力のある青森ヒバにならって「能登ヒバ」として市場に出ることが多くなった。ヒバ材は桧よりも許容応力度が劣るものの、ほぼ同様の性質を持ち輪島地の粉を使った下地作業には最適とされている。
歴史
輪島での漆器の生産は古くまで遡ると考えられる。同じ能登半島の三引遺跡(七尾市)からは6800年前の漆製品が発見されている。輪島では平安時代の遺構である屋谷B遺跡で漆製品が発掘されている。
輪島塗の特色を備えたものとしては、山地を挟んで輪島の南側にある穴水町の西川島遺跡群御館遺跡(室町時代前期)で珪藻土を下地に用いた椀が発掘されている。現存する最古の輪島塗は、室町時代の大永4年(1524年)作と伝わる重蔵神社(輪島市河井町)旧本殿の朱塗扉といわれている。
現在のような輪島塗の技術が確立したのは江戸時代前期の寛文年間と伝えられている。能登半島北端にある輪島は北前船などの寄港地であり、この時期には既に海運の利を生かして販路を拡大していた。また陸路での行商もおこなわれており、堅牢さが評判の輪島塗は日本各地で使われていた。沈金の始まりも江戸中期の享保期、蒔絵は江戸後期の文政期に入ってからである。
日清・日露戦争で輸出が減衰したが、国外の博覧会には毎回出品し、主要生産地の漆器のなかで突出した値段で取引されていたという[1]。
1977年に文化財保護法に基づいて重要無形文化財に指定され、その保持団体として「輪島塗技術保存会」が認定を受けた。
現代においても輪島塗は高級漆器として広く販売されているとともに、輪島市にある輪島塗会館や石川県輪島漆芸美術館などは観光スポットにもなっている。また輪島塗のヴァイオリンが製作されるなど、器以外への応用も模索されている[2]。さらに、国内需要や実用品としての需要の減退を受けて、日本国外の富裕層向けに一点物の美術工芸品を制作して販売する雲龍庵のような工房や海外から来日して輪島塗のアクセサリーを製作するRoss Studios(ロス・スタジオ)のような工房も現れてきており、様々な方法で伝統産業としての維持が模索されている。
2024年1月1日に発生した能登半島地震により、工房や店舗が被害を受け、生産の再開が見通せない状況となっている。輪島朝市周辺の火災により、12の事業所が焼失し、他にも工房などが被害を受け、材料や道具を失った事業者は多数いるという[3][4]。これを受け、輪島漆器商工業協同組合は、義援金の受付を開始した[5]。また全国各地の漆器組合やその他団体から、義援金の受付も開始されている[6][7]。
関係年表
- 元和2年(1616年) 加賀藩は、能登に七木保護の制を布告。自由な伐採を禁じた。
- 寛永年間 (1624年 - 1643年) 加賀藩は、漆の木の植林を奨励。
- 享保年間 (1716年 - 1735年) 塗物に彫刻を施す技巧が開発。輪島沈金の始まりとなる。
- 文政年間 (1818年 - 1829年) 会津塗の蒔絵師安吉から蒔絵の技法を習得。
- 明治25年 (1892年) 目つぶしカンナが、発明される。
- 明治36年(1903年) 蒸気機関を動力とした轆轤(ろくろ)が導入される。
脚注
出典
- ^ 横浜市商工課 編 「横浜商工彙報. 第21」 5頁
- ^ 「輪島塗バイオリン 世界へ/八井さん制作 米ボストン美術館初展示」『北陸中日新聞』2017年10月5日
- ^ “石川「輪島塗」生産再開見通せず “ほぼすべての職人が被害””. NHKニュース. (2024年1月15日) 2024年1月16日閲覧。
- ^ “「さらに強い輪島塗に」 材料も職人も失って絶望する老舗漆器店に再起を誓わせた1000件の激励”. 東京新聞. (2024年1月9日) 2024年1月16日閲覧。
- ^ “輪島塗業界復興のための募金について”. 輪島漆器商工業協同組合. 2024年1月16日閲覧。
- ^ “漆器でつながる支援「技術絶やしてはいけない」 輪島塗の職人のために…木曽漆器の組合が義援金募る”. 長野放送. (2024年1月12日) 2024年1月16日閲覧。
- ^ “輪島塗の産地復興応援 越前漆器協同組合 義援金募集を開始”. 中日新聞. (2024年1月14日) 2024年1月16日閲覧。
参考文献
- 横浜市商工課 編 「横浜商工彙報. 第21」1925年
関連項目
外部リンク
- 輪島塗 - 石川新情報書府
- 輪島漆器商工業協同組合
- 石川県輪島漆芸美術館
- SCIENCE CHANNEL (JST)『THE MAKING (227) 漆の器ができるまで』 - YouTube(協力:稲忠漆芸堂、浄法寺漆生産組合)
輪島塗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 10:00 UTC 版)
詳細は「輪島塗」を参照 伝統工芸輪島塗が全国的にも有名である。輪島塗は職人や技術者による手作業の工程を幾重にも繰り返され完成するが、木材加工から漆器製造、販売に至るまでこれらの関連産業に従事する者も多い。
※この「輪島塗」の解説は、「輪島市」の解説の一部です。
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