宮古上布とは? わかりやすく解説

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みやこ‐じょうふ〔‐ジヤウフ〕【宮古上布】

読み方:みやこじょうふ

宮古島産する麻織物チョマ原料とした糸を手織りにした絣(かすり)柄の着尺地かつては薩摩(さつま)上布よばれていた。


宮古上布

【工芸品名】
宮古上布
【よみがな】
みやこじょうふ
【工芸品の分類】
織物
【主な製品】
着物
【歴史】
今から400年前琉球貢物載せた船が台風遭い沈没しそうになったところに、ちょうど乗り合わせていた宮古島の男が、勇敢に海に飛び込み、船の壊れた所を直して乗組員全員の命を救いました琉球王がこの功績称えてその男を問切坊主としたところ、その妻は喜び心を込めて布を織り王に献上しました。これが宮古上布の始まりだと伝えられています。
【主要製造地域】
沖縄県
【指定年月日】
昭和50年2月17日
【特徴】
麻織物ですが、糸は細く、絣模様精緻で、織り上げた布はロウ引いたように滑らかです。通気性富み三代と言われるほど丈夫で長持ちします

宮古上布

名称: 宮古上布
ふりがな みやこじょうふ
芸能工芸区分 工芸技術
種別 染織
認定区分 保持団体認定
指定年月日 1978.04.26(昭和53.04.26)
解除年月日
指定要件 一 すべて苧麻手紡ぎした糸を使用すること。
二 絣模様をつける場合は、伝統的な手ゆいによる技法又は手くくりによること。
三 染色は、純正植物染であること。
四 手織りであること。
五 洗濯仕上げ加工)の場合は、木槌による手打行い使用する糊は、天然材料用いて調製すること。
備考
解説文:  宮古上布は、一六三七年に人頭税として上納布に定められ以来きわめて精巧な織物であることが要求され、その技術伝統今日に至るまで継承されて宮古上布を性格づけているとみることができる。宮古上布は苧麻繊維を糸とする織物で、越後上布小千谷縮【おじやちぢみ】(昭和三十指定)と並んで古来上布代表的存在であり、高度の技術伝承をしている苧麻布は、この二者現存しているのみである。
 製作形態は、苧麻の手紡糸つくり、藍染機織り洗濯仕上げ加工)、ぬき(補修)等の分業制になっており、それぞれ専門技術者が高度の技術伝承している。これらの技法は、雪国における上布製作とはまた別に高温高湿度地帯における製作技法特質具えており、特に手紡ぎみられるように純度の高い古風な手仕事ありながら今日に至るまで技術伝承している点、きわめて貴重である。
工芸技術のほかの用語一覧
染織:  久米島紬  伊勢型紙  喜如嘉の芭蕉布  宮古上布  小千谷縮・越後上布  結城紬
漆芸:  輪島塗

宮古上布

読み方みやこじょうふ

16世紀に稲石刀自(いないしとぅじ)が、宮古上布を完成させたと伝えられている。 一反織るのに2ヶ月以上かかる上布最高級品。国の重要無形文化財苧麻(ちょま、ブーともいう。イラクサ科多年草)の繊維こまかくさいて細い麻糸をつくり、全て手作業織り上げられ、砧棒でたたいて仕上げられる麻布とは思えない軽やかな風合い光沢特徴

宮古上布

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/03 23:06 UTC 版)

宮古上布(みやこじょうふ)は、沖縄県宮古島市宮古島で生産される上布と呼ばれる麻織物の一種である。

一反織るのに2ヶ月以上かかる上布の最高級品で、「東の越後、西の宮古」と呼ばれる日本を代表する上布である[1][2]。1975年に伝統的工芸品の指定を受け、1978年には国の重要無形文化財に指定されている。また、2003年には宮古上布の原料となる苧麻糸の製造技術である「苧麻糸手績み」が国の選定保存技術に選定されている[3]

概要

イラクサ科多年草である苧麻(ちょま。標準和名はカラムシ)の茎の表皮の繊維から作った糸を主原料とする織物である[4][5]

歴史

起源

16世紀に、稲石刀自(いないしとぅじ)[注 1]が、宮古上布を完成させたと伝えられている。稲石は、上地与人(ユンチュ)迎立氏の娘として産まれ、モテアガーラという人物に嫁ぐ。1583年にこのモテアガーラが、琉球王国からへの進貢船に乗り組んだ。航海の途中に進貢船は嵐にあい、激しい波と風の影響で船の舵を操る綱が切れてしまった。モテアガーラは、嵐の中海へ飛び込みこの船の舵を操る綱を取り替えることに成功し、進貢舟は無事に王都・首里へ帰り着くことができた。時の琉球国王・尚永王は、この功績を讃え、褒美として彼に下地の頭(下地親雲上とも、下地首里大屋子(シムジスイウフヤク)とも)の位を与え、洲鎌与人(与人は、日本の鎌倉時代地頭に相当する役職・村長)に任命した。以後、平民より士族に出世したムアテガーラは、下地真栄(しもじしんえい)と呼ばれるようになった。この夫の出世を大変喜んだ稲石は、琉球国王への返礼として「綾錆布」(あやさびふ)という銘の細やかな苧麻の織物を献上する[6][7][8][9]。綾錆布は、大名縞の紺細上布で、苧麻の原料に染色を施し、長さ11.4m、幅40cm、19ヨミの細目布であったという[6]。この麻織物と同じ技術で織り上げた織物は「宮古上布」と呼ばれるようになる。以後宮古上布は、二十数年間琉球王府へ献上された。

ちなみに、李氏朝鮮の正史『朝鮮王朝実録』には、1479年に宮古島で麻布が織られていたという記述があるが、宮古上布ほど精緻なものではなかった考えられている[1]。また、16世紀当時の宮古島では、織物が盛んで麻織物だけではなく絹織物・綿織物など様々な種類の織物が存在したようであるが、現在には伝わってはいない。北京の故宮博物院には、宮古島産と考えられる木綿布に染色した紅型布が残されている[10]

人頭税

1609年薩摩藩による琉球侵攻の後、1637年先島諸島宮古列島八重山列島)で頭懸(ずがかり)と呼ばれる人頭税が制度化されると、宮古島では「宮古上布」による物納が求められるようになった。琉球王府は、各字(村)ごとに村番所を設置し、公の宮古上布の工房としてブンミャー(宮古島の方言では、ブー(糸)・ンミ(績ぐ)・ヤー(屋・(建物))で、糸績屋の意味)と呼ばれる施設を設け、その村から手先の器用な女性を5、6名選び出し、その場所で琉球王府への貢租として上布を織った[6][11]。宮古上布は薩摩藩により「薩摩上布」として江戸等に送られ、全国に知られるようになった[1]

近代

1903年に先島諸島の人頭税が廃止されて、上布による物納が地租に変わると、宮古上布は日本全国向けの商品として生産されるようになった。大正時代には高機等の大島紬の技術も導入され、この時代に宮古上布は歴代で最高の技術を誇った[6]

宮古上布の生産は第二次世界大戦により一時中断されたものの、1948年(昭和23年)には再開された[1]。しかし、原料の苧麻の不足などから生産は少量にとどまった。戦後の生産量は1952年(昭和27年)の2,064反をピークに減少を続け、2002年(平成14年)には10反にまで落ちこんだが、2006年(平成18年)には約20反まで回復した[6]

脚注

注釈

  1. ^ 刀自は、トゥジ・トゼと読み、宮古島のみならず、沖縄県全域における既婚の女性の敬称である。標準語では刀自(とじ)と発音、古語で言う戸主(とぬし)。ただし、身分の非常に高い(王族・按司の位にある)女性には使わない。

出典

  1. ^ a b c d 宮古上布”. 「染と織」地域別辞典. 一般財団法人民族衣裳文化普及協会. 2019年12月3日閲覧。
  2. ^ “宮古・越後上布など展示、市博物館が新収蔵品展”. 宮古新報. (2013年10月24日). http://miyakoshinpo.com/news.cgi?no=9084&continue=on 
  3. ^ 宮古島市伝統工芸品センター”. 宮古島市伝統工芸品センター. 2019年12月3日閲覧。
  4. ^ 【国選定:選定保存技術】苧麻糸手績み~ちょまいとてうみ~”. 宮古島市教育委員会. 2019年12月3日閲覧。
  5. ^ 【国指定:工芸技術】宮古上布~みやこじょうふ~”. 宮古島市教育委員会. 2019年12月3日閲覧。
  6. ^ a b c d e 宮古上布とは”. 宮古織物事業協同組合. 2019年12月3日閲覧。
  7. ^ 【市指定:有形民俗】真屋御嶽~まやうたき~”. 宮古島市教育委員会. 2019年12月7日閲覧。
  8. ^ “【美ぎスマ】優秀な人物誕生/下地地区洲鎌集落”. 宮古毎日新聞. (2017年7月29日). http://www.miyakomainichi.com/2017/07/101108/ 
  9. ^ “稲石の功績たたえる/稲石祭 関係者集い継承誓う/宮古上布の価値再確認”. 宮古毎日新聞. (2019年12月1日). http://www.miyakomainichi.com/2019/12/126225/ 
  10. ^ 貢納布のゆくえ ~どのように使われたのだろうか~”. 沖縄県立博物館・美術館. 2019年12月7日閲覧。
  11. ^ “各地でブンミャー復活 手績みの技が人間国宝に 今月16・17日に初の展示会”. 宮古毎日新聞. (2006年12月3日). http://www.cosmos.ne.jp/~miyako-m/htm/kagisuma/kagi2006/kagi_061203.htm 

関連項目

外部リンク


宮古上布

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/03 02:50 UTC 版)

上布」の記事における「宮古上布」の解説

沖縄県宮古列島宮古島生産される重要無形文化財。手績み苧麻糸によって作られる錆色青色)の織物甘藷作った糊をつけ、砧で打ってロウ引いたような光沢できること特徴薩摩藩通じて流通したことから薩摩上布とも。江戸時代薩摩藩琉球王国支配下では、人頭税の上納品にもなった。

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