伊勢型紙
名称: | 伊勢型紙 |
ふりがな: | いせかたがみ |
芸能工芸区分: | 工芸技術 |
種別: | 染織 |
認定区分: | 保持団体認定 |
指定年月日: | 1993.04.15(平成5.04.15) |
解除年月日: | |
指定要件: | 一 突彫、錐彫、道具彫、縞彫等の彫刻は、伝統的技法により、手彫であること。 二 糸入れは、伝統的技法によるか、又はこれに準ずること。 三 製作用具等の調製は、代々の伝承に準ずること。 四 型地紙の調製は、伝統的技術により生漉きの楮紙に渋加工を施し自然枯らしとするか、又はこれに準ずること。 五 型紙の紋様は、古代型紙、小本等の古典的な図柄を参考にした価値の高いものであること。 六 染型紙製作においては、伝統的な伊勢型紙及び型紙の優れた作調、品格等の特質を保持すること。 |
備考: | |
解説文: | 三重県鈴鹿市白子【しろこ】、寺家【じけ】両地域には、優れた型紙製作技術が伝承されている。防染糊用の型紙による型染の遺例では、伝楠氏一族所有「黄熏韋縅膝鎧【きくすべかわおどしひざよろい】」(重要文化財)の家地の楓枝文が知られ、中世末以前、すでに型紙の使用されていたことが推測されている。 江戸時代には、白子、寺家などの型彫師によって型紙は独占的に生産され、また元和年間頃より紀州徳川家の保護奨励策を背景に特権的な型売商人が全国各地に型紙を売り捌き、伊勢の「白子型」は有名となった。これらの型紙は、武家の裃の小紋、庶民の浴衣、更紗、友禅等の発達に寄与している。伊勢型紙の技術は、突彫【つきぼり】、錐彫【きりぼり】、道具彫【どうぐぼり】、縞彫【しまぼり】等の型紙彫刻技術および型紙補強の糸入れからなり、小紋、中形などの作調、品格の特質を表現する上で要となっている。堅牢な和紙、良質の柿渋に恵まれたことや、手先の細かな仕事に長じる日本人の特性にも適って、精巧な技術が完成されており、わが国染色工芸文化史上貴重な工芸技術といえよう。 わが国の染色工芸の基盤となる伊勢型紙の製作技術は、芸術上価値が高く、工芸史上重要な地位を占め、かつ、地方的特色の顕著な工芸技術として高く評価されており、一層有効な保存措置の講ぜられる必要がある。 |
伊勢形紙


伊勢形紙(いせかたがみ)は、着物などの生地を一定の柄や紋様に染色するために使われる型紙(孔版)の一つである。近年は図柄の芸術性が評価され、単に染色用の形紙だけではなく、美術工芸品や家具などに使用されることも多い[1]。
三重県鈴鹿市で主に生産されており、現在流通している90%以上の伊勢形紙はこの地区で生産されている。
1955年(昭和30年)、文化財保護法に基づき工芸技術としての「伊勢型紙」が重要無形文化財に指定され、6名の職人が重要無形文化財保持者(いわゆる人間国宝)として各個認定された。1993年(平成5年)には伊勢型紙技術保存会が重要無形文化財「伊勢型紙」の保持団体に認定されている。また1983年(昭和58年)には通産省の伝統的工芸品の指定を受けている。
製法
柿渋によって張り合わせ、補強のために紗を張った美濃和紙を台紙とし、彫刻刀で図柄を彫る[1]。台紙は何枚か重ねて使うので、同じ柄の型紙が一回の彫刻で複数枚出来る。使用する彫刻刀の種類や彫り方によって錐彫り・道具彫り・突彫り・縞彫りに分類される[2]。
歴史
起源は諸説あり、はっきりしない[3]。白子山観音寺(子安観音)の境内にある「白子不断桜」の葉が始まりという伝説的もある[4]。室町時代末期には既に生産していたとされ、江戸時代には紀州藩の庇護を受けて発達した[1]。原料となる和紙や柿渋の産地でなく、地域で染物業が盛んであったわけでもない中で発達してきた[5]。
最盛期の関東大震災(1923年(大正12年))の頃には、当時の小学校教師が月給50円の時代に、良質の型紙を生産する職人は月300円をもらっていたほど景気が良かった[6]。
漢字表記
漢字表記は伊勢形紙、伊勢型紙の2通りあり、どちらも使用されている。
鈴鹿市産業政策課によると、重要無形文化財として指定を受けた際には「型」の字が用いられ、伝統的工芸品として通産省から指定を受けた際に「形」の字が用いられている。つまり、管轄省庁によって使い分けられており、いずれかが正しく他方が間違っているということではない(伊勢形紙協同組合により、2009年(平成21年)8月に「伊勢型紙」で商標登録された)。
なお三重県指定伝統工芸品に認定されている伊勢紙とは別物である。
人間国宝
- 突彫 - 南部芳松(1894年9月20日 - 1976年11月5日)
- 錐彫 - 六谷梅軒(初代)(1907年2月15日 - 1973年4月26日)
- 道具彫 - 中島秀吉、中村勇二郎
- 縞彫 - 児玉博
- 糸入れ - 城ノ口みゑ
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 24三重県』角川書店、1983年6月8日、1643p.
- 山田万知代(2011)"伊勢型紙の世界―鈴鹿と江戸はこうして結ばれた!―" あうる(図書館の学校).99:24 - 30.
関連項目
外部リンク
- 『KATAGAMI Style 世界が恋した日本のデザイン もうひとつのジャポニスム』 2012年4月6日 - 5月27日 三菱一号館美術館 世界に誇るジャパン・デザインである伝統工芸「伊勢型紙」を紹介する展覧会
- 財団法人三重北勢地域地場産業振興センター
- 鈴鹿市ホームページ、伊勢形紙の漢字表記についての質問への回答
- 紀尾井アートギャラリー 伊勢型紙美術館
伊勢型紙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/24 21:19 UTC 版)
「伊勢形紙」とも表記する。こちらも9世紀の始まりと言われ、江戸時代には紀州藩が専売制を敷き、明治時代の白子町も「白子町立型紙工業徒弟学校」を開設するなど、積極的な支援を行ってきた。最盛期の関東大震災(1923年)頃には、当時の小学校教師が月給50円の時代に、型紙職人は300円をもらっていたほど景気が良かった。1952年(昭和27年)に当時の文化財保護法に基づき無形文化財に選定、1955年(昭和30年)には改正文化財保護法に基づき「伊勢型紙」が重要無形文化財に指定され、職人6名が重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。さらに1978年(昭和53年)には通商産業省から伝統工芸用具に指定される。1980年(昭和55年)時点では年商約16億円、生産企業数281社で、平成時代では国内シェア99%を占める。元来は着物を染色するための型紙であるが、型紙そのものに美術的価値を見いだされ始めている。白子三丁目にある大杉型紙工業がテレビ番組などで紹介されることがある。
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