名古屋玄医とは? わかりやすく解説

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なごや‐げんい【名古屋玄医】

読み方:なごやげんい

[1628〜1696]江戸前期医師京都の人。字(あざな)は閲甫・富潤。号、宜春庵・丹水子・渓。古医方説を唱えた。著「医方問余」など。


名古屋玄医

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 10:20 UTC 版)

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名古屋 玄医(なごや げんい、寛永5年3月21日1628年4月20日〉 ‐ 元禄9年4月18日1696年5月18日〉)は、江戸時代前期の医師である。古医方の祖として知られる。字は閲甫または富潤。号は丹水子、宜春庵、桐渓。姓は名護屋とも表記される。

経歴・人物

京都に生まれる。初め儒学経書を羽川宗純に学んだ。

後に、の喩嘉言が著した『傷寒尚論』等を読み医学を志した。この事によって、当時盛んだった五世派の李朱医学を排し、張仲景の『傷寒論』を参考にして古医方を唱えた。晩年は手足の不随等に苦しんだが、多くの医学に関する著書を著した。

代表の著書に『難経註疏』『医方問余』等があった。

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