上島鬼貫とは? わかりやすく解説

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うえじま‐おにつら〔うへじま‐〕【上島鬼貫】

読み方:うえじまおにつら

[1661〜1738]江戸中期俳人摂津国伊丹の人。名は宗邇(むねちか)。通称、与惣兵衛別号、仏兄(さとえ)・槿花翁(きんかおう)など。伊丹派の中堅として活躍俳論「独(ひとり)ごと」、句文集仏兄七久留万(さとえななくるま)」など。


上島鬼貫

読み方うえじま おにつら

江戸中期俳人。名は宗邇、通称は与惣兵衛門・利左衛門、別名を槿花翁・仏兄。幼児より俳句親しみ西山宗因の席に列なる。のち、世風の俳諧脱却しまことの外に俳諧なし」の悟り得た作為のない自然で素朴な俳風といわれる元文3年(1738)歿、78才。

上島鬼貫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 01:38 UTC 版)

上島鬼貫

上島 鬼貫(うえじま おにつら、万治4年4月4日(1661年5月2日) - 元文3年8月2日(1738年9月15日))は江戸時代中期の俳諧師。上島の読みは出自からは「かみじま」であるが、通常「うえしま」または「うえじま」と呼称される。は与惣兵衛、利左衛門。武士として出仕していた時代は藤原宗邇(ふじわら むねちか)と名乗った。晩年は平泉惣右衛門と名乗る。点也・仏兄(さとえ)・即翁・槿花翁(きんかおう)・自休庵・馬楽堂の別号がある。

生涯

摂津国川辺郡伊丹郷(現在の兵庫県伊丹市)でも有数の酒造業者・上島宗次(屋号・油谷)の三男として生まれた。幼名は竹松。幼少の頃より俳諧に馴染んだ。13歳で松江重頼(維舟)に入門する。その後、西山宗因の談林派に入門する。

25歳で医学を志し大坂に出る。やがて仕官を求めて、筑後国三池藩大和国郡山藩越前国大野藩などに出仕し勘定職や京都留守居役を担当した。蕉門の広瀬惟然八十村路通などとも親交があり、彼らを通じ松尾芭蕉とも親交を持つようになる。作風に芭蕉の影響を少なからず受けた。享保3年(1718年)『獨言(ひとりごと)』を刊行した。その中で「まことの外に俳諧なし」と述べるに至り、「東の芭蕉・西の鬼貫」と称された。

元文3年(1738年)大坂鰻谷(現在の大阪市中央区鰻谷)にて死去。享年78。墓所は大阪市天王寺区の鳳林寺、伊丹市の墨染寺

河東碧梧桐が忌日の「鬼貫忌」を秋の季語とした。

平成3年(1991年)より、故郷伊丹市の財団法人柿衞文庫の主催により「鬼貫賞」が設けられ俳句コンテストが行われている。

作品集

  • 大悟物狂
  • 獨言
  • 仏兄七久留万(さとえななくるま)
  • 犬居士
  • それぞね草

参考文献

  • 坂口昌弘著『ヴァーサス日本文化精神史』文學の森
  • 上島鬼貫(坪内稔典・著、神戸新聞総合出版センター、2001年)

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