庶物類纂とは? わかりやすく解説

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しょぶつるいさん【庶物類纂】

読み方:しょぶつるいさん

江戸時代本草学書。1000巻。稲生若水(いのうじゃくすい)著の362巻本に、丹羽正伯らが638巻を追加し延享4年(1747)成立中国古典籍などから、動物・植物鉱物についての記事集め分類して実物により検証したもの。


庶物類纂

読み方:ショブツルイサン(shobutsuruisan)

江戸中期本草学大著稲生若水ほか編。


庶物類纂

主名称: 庶物類纂
指定番号 78
枝番 1
指定年月日 1996.06.27(平成8.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書
員数 465
時代区分 江戸
年代
検索年代
解説文: 『庶物類纂』は加賀藩主前田綱紀元禄六年(一六九三)に京都本草学者稲生若水一六五-一一五)を招き編纂開始した博物書である。全一〇〇〇巻を予定したが、若水病没したため中断した享保四年(一七一九)に将軍吉宗要請により、成稿分が綱紀から幕府献上された。吉宗は、幕府医師若水門人丹羽正伯(貞機)(一六九一-一七五六)に未了巻の編纂継続命じた若水の子稲生新助加賀藩若水助けた内山覚仲等も加わり元文三年一七三八)に全巻完成した延享四年(一七四七)、さらに五四巻が増補され、全一、〇五四巻、動植鉱物総計三、五九〇種を載せる大規模な編纂事業完了した
 『庶物類纂』は、袋綴冊子装で、四周単辺、無界料紙用い、半九行、一行二〇字、注双行、楷書謹書する。長期間編纂にかかるため表紙体裁には五種類あり、また五冊前後ずつ帙に収めている。内容は、動植鉱物草・花鱗・介羽・毛水・火土・石金・玉・竹・穀・菽・蔬・海水菜・瓜・造醸・・木・・果・味の二六種分類し多数中国書籍から博搜した関係記事から、別名、形態用途効能性質、特徴等の説明掲げ、その出典を記す。和名を掲げて日本産するものを考定し、和名で地域名のあるものは列挙する必要に応じて稲生若水編集分では「謹按」とし、丹羽正伯編集分では「機謹按」として校異記し、まま見解記入する
 本書漢籍文献集成する伝統的な名物学本草書形態をとるが、食用衛生薬剤救荒自然災害対策農事耕作法、動植物鑑賞有用な記事努めて採択する等、時の政策相まって実用的な物産学への傾斜強めている。この過程経てやがて中国本草学影響脱した、物自身観察結果記述するわが国独自の博物学時期迎えることになる。
 『庶物類纂図翼』は幕臣戸田祐之が作成したもので、主として李時珍の『本草綱目所載草木に関する図を作成し本草学者植村政勝田村元長等修訂経て安永八年一七七九)四月将軍家治に献上された。戸田祐之(一六六-一七七九)は御書院番小普請組勤めたが、若年より植物好み、『本草綱目』の草木についての写生画描き集めた田村元長等先に完成していた『庶物類纂』の参考図譜として極めて有用の書であると考え、『庶物類纂図翼』の名を付した。全二八冊のうち、他に「草木別録」二冊、「添書」一冊があり、別録は『本草綱目未収植物描き、「添書」は『図翼』作成献上経緯を記す。
 内容一丁の表に漢名と図、裏に和名を記す。草部だけ三百余種にわたり、図は彩色施し、花、根の細部にいたるまで正確に描写している。体裁は、袋綴冊子装で、藍色亀甲空押模様表紙付す
 『庶物類纂』は本草書性格残しながらも物産学博物学への指向をもつわが国最大博物書であり、『庶物類纂図翼』は博物学興隆期図譜一つとして日本博物学史上等に貴重である。

庶物類纂

読み方:ショブツルイサン(shobutsuruisan)

分野 博物学

年代 江戸中期

作者 稲生宣義(稲生若水)、丹羽貞機(丹羽正伯)〔編〕


庶物類纂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/14 10:09 UTC 版)

庶物類纂(しょぶつるいさん)は江戸時代中期の本草学者で加賀金沢藩の儒医であった稲生若水および、その弟子であった丹羽正伯らが編纂した博物書。26属1054巻。

内容

古今の漢籍などから植物動物鉱物薬物などの記事を調査し、その3590種の記事をそれぞれの種類・分類を精査し、26属に分けて分類後、再編集を加え、登載した。また、それらの記述は漢文によって行われた。

経過

稲生若水が、藩主前田綱紀に「物類考」の編纂を申し出、それが採用され、京都金沢の隔年詰が認められたことから編纂を開始した。

稲生若水は26属1000巻の予定で編纂を開始したが9属362巻の記述を終えた時点で、京都の北大路の家で正徳5年(1715年)に死去した。

稲生若水の当初の完成予定から見ると未完成といわざるを得ない状態であった。そのため、稲生若水の弟子で、その遺志を継いだ、丹羽正伯らは、享保19年(1734年)より続編の編纂を開始し、4年後の元文3年(1738年)に稲生若水が完成できなかった部分の638巻を完成させ、その製作を後援していた加賀藩に提出。加賀藩は、それを幕府に献納した。

延享2年(1745年)になると、八代将軍徳川吉宗は丹羽正伯らにさらなる増補を命じ、延享4年(1747年)に完成し[1]、ついに現在の形となった。

書物の形態

  • 「庶物類纂」:狭義の場合、稲生若水が正徳5年(1715年)に死去するまでに作成した部分をという。362巻。
  • 「庶物類纂後編」:元文3年(1738年)に丹羽正伯が稲生若水の集めた記事を分類作成した部分をともいう。638巻。
  • 「庶物類纂増補」:延享4年(1747年)丹羽正伯が徳川吉宗の命で作成した部分をともいう。54巻。
    • 上記の三作をあわせて「庶物類纂」という。

脚注

  1. ^ 山本 2007, p. 122.

参考文献

関連項目




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