名物学とは? わかりやすく解説

名物学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/19 17:35 UTC 版)

名物学(めいぶつがく)とは、前近代の中国日本東アジア)で発達した学問の一つ。訓詁学本草学博物学等と重複する。「名前と物の対応関係」を扱う分野[1]。具体的には、物を同定する営為[2][3]、および古名方言名・和名・漢名・洋名・異名同物同名異物を整理する営為。名物之学名物などともいう[4]

解説

青木正児

例えば、「人参」は現代日本語で「ニンジン」を指すが、かつては「高麗人参」を指した[5]。同様に「」は日本語で「ゼンマイ」を指すが、『詩経』に出てくる「薇」は「スズメノエンドウ」などのソラマメ属を指す[6]。他の例に「キリン」と「麒麟[7]「鮭」と「サケ」[8]「蘭」と「ラン」[5]などがある。こうした知識をあつかうのが名物学である。

名物学は、1950年代日本の中国学者、青木正児の「名物学序説[9]」(『中華名物考』所収)により体系的に整理された[10]

名物学は、元々は訓詁学(とりわけ『詩経』訓詁学と礼学)の下位分野として生まれた。すなわち、『詩経』や『礼記』に出てくる動植物や器物を同定する分野として生まれた。のちにそこから半ば独立して、本草学[11]園芸学農学地誌学妖怪研究[11]古物蒐集[12]図譜[13]譜録類書などと重なる総合科学として発達した(青木の説明では「格古」「本草」「種樹」「物産」「類書」[14][9])。そのほか、青木が戦前に読んでいた中川忠英清俗紀聞』や柳亭種彦『還魂紙料』のような風俗研究・考証随筆[15]や、戦後の青木自身による『随園食単』などの料理書研究・食文化研究[15][16]も、名物学の要素をもつ。

名物学の背景思想として、『論語』子路篇の「正名」(名を正す)や、陽貨篇の「多識」(『詩経』を学ぶ意義の一つは動植物について博学多識になること)といった孔子の教えがあった[4]。また、朱子学の「格物」「窮理」と紐付けられることもある[17][4]

名物学の「名物」という語句の用例は古くからあり、初出は『周礼』にさかのぼる[9]。「名物之学」「名物学」の用例は、貝原益軒大和本草』序や平賀源内『物類品隲』序、曽占春の諸著作に見られる[4]大正期の白井光太郎は、西洋の「博物学」にあたる東洋の学問として「本草学」「名物学」「物産学」を挙げた[9]

歴史

中国

名物学の書物の筆頭として、前漢頃の『爾雅』、および後漢末の『釈名』がある[9]。また、詩経名物学の筆頭として、三国呉陸璣毛詩草木鳥獣虫魚疏』(通称『陸疏』)がある。

明末李時珍本草綱目』は、凡例で「本書は『爾雅』や『陸疏』を補完する書物でもある」と述べているように[18][19]、本草学だけでなく名物学の大著でもあった。

清朝考証学の時代には、程瑤田が特に名物学を扱った[9]。考証学者たちは、特に礼学の名物学を扱った[9]

日本

日本では、江戸時代に特に盛んになった[20]。その背景として、隣接分野の儒学・本草学・万葉[21]等の流行、上記の『陸疏』『本草綱目』等の受容、平安時代の『本草和名』『和名類聚抄』等以来の和名比定の伝統、などがあった。

江戸時代の主な書物として、林羅山『多識編』[11][22]伊藤東涯『名物六帖』[4]貝原益軒日本釈名』、新井白石東雅』、稲生若水庶物類纂[23]、新井白石が稲生若水に書かせた『詩経小識』や狩野春湖に描かせた『詩経図』[24][20]岡元鳳『毛詩品物図攷』、春登上人『万葉集名物考』[21]、小林義兄『万葉集禽獣虫魚草木考』[25]曽占春『国史草木昆虫攷』[20][26]源伴存(畔田翠山)『古名録』[20][27][26]狩谷棭斎『箋注和名類聚抄』、山岡浚明『類聚名物考』、越谷吾山物類称呼[26]、三浦蘭阪『名物摭古小識』、寺島良安和漢三才図会[28]中村惕斎訓蒙図彙[29]松岡恕庵『用薬須知』[30]平賀源内『物類品隲』[31]中井履軒『左九羅帖』『画觽』[1]などがある。木村兼葭堂[32]牧野富太郎[33]も名物学者とみなされる。

関連項目

脚注

  1. ^ a b 湯城吉信「中井履軒の名物学 その『左九羅帖』『画觿』を読む」『杏雨』第11巻、武田科学振興財団杏雨書屋、2008年。 
  2. ^ 杉本 2006, p. 33.
  3. ^ 木場 2020, p. 100f.
  4. ^ a b c d e 島田 1971, p. 255.
  5. ^ a b 牡丹に秘められたミステリー(隠藏在牡丹花中的秘密)久保輝幸さん”. 人民網日本語版. 2020年5月24日閲覧。[リンク切れ]
  6. ^ 加納喜光;野口大輔. “18-1薇”. chubun.hum.ibaraki.ac.jp. 2025年3月19日閲覧。
  7. ^ 湯城吉信「ジラフがキリンと呼ばれた理由: 中国の場合、日本の場合(麒麟を巡る名物学 その一)」『人文学論集』第26号、大阪府立大学、2008年。 
  8. ^ 青木 1988, 名物零拾(3)鮭はサケに非ず.
  9. ^ a b c d e f g 青木 1988, 名物学序説.
  10. ^ 辜 2018, p. 238.
  11. ^ a b c 木場 2020.
  12. ^ 鈴木 2003, p. 148-159.
  13. ^ 原田信「清代の『詩經』圖解について -前代の繼承と改編-」『中國文學研究』第41巻、早稻田大學中國文學會、2015年。 
  14. ^ 辜 2018, p. 232.
  15. ^ a b 青木 1988, p. 自序.
  16. ^ 水谷真成「解説」、青木正児 訳註『随園食単岩波書店岩波文庫 青 262-1〉、1980年。 
  17. ^ 謝蘇杭「近世前期本草学における実学思想の考察 : 稲生若水と貝原益軒を例に」『千葉大学人文公共学研究論集』第38巻、2019年、47頁。 
  18. ^ 武田雅哉「『本草綱目』 モノからヒトへ・宇宙の秩序を構築しようとした科学図鑑」『月刊しにか 7(12) 特集:中国の博物学 絵入り百科・博物書の世界』、大修館書店、1996年、44頁。 
  19. ^ 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:本草綱目/凡例
  20. ^ a b c d 上野 1989, p. 144-147.
  21. ^ a b 和田義一「春登 『萬葉集名物考』 と本草学」『國文學』、関西大学国文学会、1998年https://hdl.handle.net/10112/2399 
  22. ^ 島田 1971, p. 257.
  23. ^ 島田 1971, p. 249.
  24. ^ 陳 2020, p. 253f.
  25. ^ 佐伯 1997, p. 92.
  26. ^ a b c 杉本 2006, 畔田翠山の時代と名物学.
  27. ^ 島田 1971, p. 256.
  28. ^ 島田 1985.
  29. ^ 西村 1999a, p. 112.
  30. ^ 土井 2008, 1章3節.
  31. ^ 土井 2008, 3章4節.
  32. ^ 芥川龍之介 『僻見』:新字新仮名 - 青空文庫 "巽斎の所謂娯楽なるものに少しも興味のなかつたことはこの一節の示す通りである。「余が嗜好の事専ら奇書にあり。名物多識の学……"
  33. ^ 鶴田想人「植物の名を正す――牧野富太郎の見果てぬ夢」『ユリイカ 2023年4月号 特集=牧野富太郎の世界』、青土社、2023年。ISBN 978-4-7917-0429-3 124頁。

参考文献


名物学

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正名 (思想)」の記事における「名物学」の解説

「名物学」も参照 漢代以後訓詁学から派生して「名物学」と呼ばれる学問分野形成される。この名物学の営為こそが「正名」である、とされることもある。 名物学では「字を正す」ことではなく、「名」と「実」の二者合致一致)させることが「正名」とみなされるここでいう「実」は、「形音義」の「義」または「物」とおおよそ同義である。つまり、「実」は「名前が指す物」「単語の意味」を意味する定訳は無い)。 名物学の書物筆頭として、前漢頃の『爾雅』、および後漢末の『釈名』がある。『釈名』が後漢末という乱世書かれたのは、正名思想基づいて乱世正そうしたためである、とする推測もある。 江戸時代松岡恕庵は、自身の名物学的な本草学を「正名」「格物」と称していた。 なお、江戸時代の名物学においては、「名を正すではなく正しき名」という意味で「正名」を術語的に用い場合もあった。その場合の「正名」は「俗名」の対義語であり、意味は本項の「正名」よりも現代の分類学用語の「正名」または「学名」に近い。

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