徳島藩御召鯨船千山丸とは? わかりやすく解説

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徳島藩御召鯨船千山丸

主名称: 徳島藩御召鯨船千山丸
指定番号 80
枝番 0
指定年月日 1996.06.27(平成8.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書 船尾安政四年九月刻銘がある
員数 1艘
時代区分 江戸
年代 安政4年
検索年代
解説文: 江戸時代において、船舶利用の多い諸藩では藩船を所持していたが、特に九州瀬戸内地域諸藩多く船舶所有し航行造船修理等のため船方海上方、船手)の組織をもつていた。徳島藩藩政時代森氏一族船舶航行統括していた。森氏戦国時代以来水軍掌握しており、その一族は藩内で中老として勢力有し海上方として参勤交代の際の海上輸送等の業務取り仕切った海上方の根拠地は、徳島城安宅椿泊(現阿南市)、淡路洲本、淡路岩屋の四か所にあったが、最も規模大きかったのは安宅である。ここには主要船舶格納施設船倉)があり、船の建造修理等を行う軍港として安宅御役所置かれ船舶に関する業務一切支配していた。
 千山丸は唯一現存する旧徳島藩船で、鯨船という船型小型船である。日覆い部材残り、帆穴や舵穴もあり、帆走もできるようになっている二本残っており、建造当時は六挺立であったとみられるが、現状では四挺立てである。船体中央部には当初はなかったとみられる生簀状の設備があり、その他の現在では不明仕口穴等もある。船首水押両側に龍の浮彫装飾があり、水押先端には唐草模様猪目のある装飾金物甲金が冠せられる。両舷側上棚)に左右対称軍配団扇羽団扇など団扇彩色図が片身代わり金箔地と群青色の上描かれている。また波よけ用の差板が両舷側にあり、沙綾模様施されている。船尾戸立は、御召船であることを示す朱色塗られ安政四年巳九月 御船」の文字を刻む。
 鯨船はその名のとおり本来捕鯨用の船であり、九州から中国四国紀伊半島房総半島等の地域使用された。鋭角的な船首形状をもち、波に強い性能とともに八挺快速船であるため、江戸時代中期以降各藩水軍で、指揮連絡用、本船への乗船用多目的に利用された。
 徳島藩所属鯨船は六隻前後とみられるが、千山丸はその中で他の鯨船にはない華麗な装飾施されており、藩の御用絵師森崎春潮筆「蜂須賀家御船絵巻」に他の主要な藩船とともに千山御船」として描かれていることから藩主専用御召であったことが知られる
 江戸時代には和船技術により建造され多数船舶活躍したが、近代になり洋式船の採用によりそれらは急速に姿を消していった。千山丸は大名用いた船として現在に残る唯一のものであり、出土品除けば実際に使用され和船として最も古く、しかも建造年が明らかであり、日本の船史上等に貴重である。
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