徳敷墨蹟とは? わかりやすく解説

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徳敷墨蹟〈尺牘/円爾宛〉

主名称: 徳敷墨蹟〈尺牘円爾宛〉
指定番号 2488
枝番 00
指定年月日 1995.06.15(平成7.06.15)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書
員数 1幅
時代区分 南宋
年代
検索年代
解説文:  円爾【えんに】(聖一国師)とその師無準師範【ふじゆんしばん】(彿鑑禅師)との交流は有名で、特に淳祐二年(一二四二)二月の径山【きんざん罹災にあたって円爾再建用材送ったことを謝した無準師範尺牘国宝)は、「板渡の墨蹟」として知られている。
 本幅は師範会下の徳敷が円爾宛てた尺牘で、径山罹災時における両者交流をより具体的に伝えた遺品として注目される差出者の徳敷は本文中に「叨冒 監寺之時」とあって無準師範山門疏(国宝)にも「幹縁都監寺」としてその名がみえ、道号等は不詳であるが、当時径山の事務統轄する立場にあった人物である。
 冒頭に「日本天堂和尚尊属禅師」と、当時博多承天寺にあった円爾充てて、円爾によって日本へ齎された佛鑑の禅風の進展喜び、自らは径山の監寺としての七年間の無沙汰詫びている。そして回禄による径山の窮乏様子にふれ、去年五月の径山再建のための大舟の派遣時には平江府に赴いていたため人に託し得なかったことを詫び能上人や謝国明等の檀越尽力によって銭三緡を工面したが、現在は「約借起来年夏信〓至送還」と、その返済苦悩する心中伝えている。ついで、円爾送り来った千枚材木について、五三〇片は華亭受取って径山へ運んだが、三三〇片は未だ慶元府(寧波)にあり、残り一四〇片は未到着で、入手の早からんことを切望している。また自分に続く法類のためにも伽藍、とくに大仏宝殿殿の建立願い終わりに佛鑑の書信と疏頌一軸進呈して円爾返信請うている。
 この尺牘唐紙一枚紙を用いて筆跡も佛鑑墨蹟相通じる点も多く、徳敷の佛鑑禅師近侍人物として特徴を示すほか、書札文辞も丁寧で、師範会下における円爾地位をも併せ示して注目されるが、特に当時博多綱首謝国明らを含む広汎な径山再建内容記して日中禅林交渉史上に重要である。



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