主な歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/03 00:15 UTC 版)
※この「主な歴史」の解説は、「ぷらっと☆ホーム」の解説の一部です。
「主な歴史」を含む「ぷらっと☆ホーム」の記事については、「ぷらっと☆ホーム」の概要を参照ください。
主な歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/09 18:38 UTC 版)
「倉敷市立玉島西中学校」の記事における「主な歴史」の解説
1947年3月31日 - 「岡山県浅口郡玉島町立玉島第二中学校」として学校創立。 1950年6月30日 - 「岡山県浅口郡玉島町立玉島西中学校」に改称。 1952年3月1日 - 「岡山県玉島市立玉島西中学校」に改称(玉島市との市町村合併のため)。 1967年2月1日 - 「岡山県倉敷市立玉島西中学校」に改称(倉敷市との市町村合併のため)。
※この「主な歴史」の解説は、「倉敷市立玉島西中学校」の解説の一部です。
「主な歴史」を含む「倉敷市立玉島西中学校」の記事については、「倉敷市立玉島西中学校」の概要を参照ください。
主な歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 16:18 UTC 版)
1923年 創部、3校リーグ戦(関西大学、同志社大学、関西学院大学高等部)に参加 1925年 第1回阪神専門学校リーグ戦(大阪外語、大阪高商、関西大学) 1926年 阪神ラグビーリーグで全勝優勝、関西大学専門学校ラグビーリーグでも優勝 1942年〜1945年 第二次世界大戦のため休部 1947年 予科大会関西予選で優勝、全国大会出場 1950年 全国新制大学大会近畿地区で優勝、全国大会出場 1954年 全国地区対抗大学ラグビーフットボール大会に出場し、初優勝 1956年 関西Aリーグ参加後、初の最下位(6位) 1963年 同志社大学に初勝利、同志社大学と同率で初優勝 1964年 第1回全国大学ラグビーフットボール選手権大会(出場校4校)に関西2位として出場、初戦敗退 1966年 第3回全国大学ラグビーフットボール選手権大会(出場校8校)に関西2位として出場、初戦敗退 1967年 第4回全国大学ラグビーフットボール選手権大会(出場校8校)に関西2位として出場、初戦敗退 1968年 第5回全国大学ラグビーフットボール選手権大会(出場校8校)に関西2位として出場、初戦敗退 1975年 Aリーグ8位(2度目のリーグ最下位)となり、入替戦で大阪商業大学に敗戦。創部以来、初のBリーグ降格 1980年 6勝1敗でBリーグ優勝。関西学院大学に勝ちAリーグに昇格 1981年 関西Aリーグ8位、入替戦で近畿大学に敗れ、関西Bリーグに降格 1982年 日本体育大学出身の溝畑寛治が監督に就任 1990年 7勝1分の成績でBリーグ優勝 1996年 創部史上ワーストのBリーグ8位(1勝6敗)で終了。リーグ再編でBリーグ拡大(8チームから10チーム)のため入替戦は実施されず 1997年 AO入試がスタート、8勝1敗で7年ぶりに入替戦へ出場。立命館大学(A7位)と対戦し大敗。Bリーグ残留 2005年 28年間、指揮を執った溝畑寛治が退任し、OBの奥幹男が監督に就任 2008年 奥幹男が退任し、OBの森正樹が監督に就任 2009年 8勝1敗でBリーグ2位。12年ぶりに入替戦へ出場。大阪体育大学(A7位)と対戦し13-36で敗れ、Bリーグ残留。2年間、指揮を執った森正樹が退任 2010年 OBの桑原久佳が監督に就任。また、U-19日本代表コーチ、専修大学コーチなどを歴任した松村径がフルタイムコーチに就任。リーグ戦8勝1敗でBリーグ2位。同志社大学(A7位)と対戦し10-45で敗れ、Bリーグ残留 2012年 創部史上、Aリーグ、Bリーグを通じて、初となる全勝(8勝0敗)でBリーグ優勝。21年ぶりの単独でのリーグ制覇を果たす。入替戦はAリーグ8位の摂南大学と対戦し、32-17で勝ち、31年ぶりのAリーグ復帰を果たす 2013年 フルタイムコーチとしてチームを育成した松村径が退任。愛知工業大学OBでトップリーグ・福岡サニックスブルースでWTB、FBとしてプレーした園田晃将がヘッドコーチに、OB4名(森仁志、安本翔、山形大樹、森陽亮)がコーチに就任した。リーグ戦では、初戦の近畿大学に36-32で勝ち、32年ぶりのAリーグ白星を飾ったが、その後は6連敗となり7位。入替戦でB2位の摂南大学に敗れ、1シーズンでBリーグへ逆戻りとなった 2014年 宗像サニックスブルースでヘッドコーチを務めた森拓郎、クイーンズランド・レッズで分析コーチ務めたキース・デービス(Keith Davies)を招聘し、指導体制を強化。2年ぶりのBリーグ所属となったが、開幕から9連勝を果たし、史上2度目の全勝でのリーグ優勝。ABリーグ入替戦では大阪体育大学(A8位)と対戦し39-0の完封勝ちで2年ぶりのAリーグ復帰を果たす。大阪体育大学は2009年以来の入替戦での顔合わせとなったが、前回(2009年)に13-36で敗れた雪辱を果たした。 2015年 園田HC体制3年目となるシーズンは、卒業生唯一のトップリーグ経験を持つ大居宏樹がコーチとして復帰し、後輩の指導にあたる。2年ぶりとなったAリーグでは、関学大、近畿大学、摂南大学を破り、3勝4敗ながら4位となり、47年ぶりの全国大学ラグビーフットボール選手権大会への出場を決めた。 2016年 キース・デービスが退任。元近鉄ライナーズ監督の前田隆介、元ジュニア・ジャパンヘッドコーチの遠藤哲がコーチに就任。リーグ戦では、ほとんどの試合で接戦を演じるも1勝6敗となり関西学院大学、摂南大学と並び、当該チームの成績により8位となりABリーグ入替戦へと回った。なおリーグ戦では、関西学院大学が摂南大学との試合で、入替戦を回避するため敗戦を選択する行為があり、波紋を呼んだ。入替戦では大阪体育大学(B1位)と対戦し、10-10の引き分けとなり規定によりAリーグ残留となった。 2017年 同志社と対戦し、勝利。同志社戦での勝利は現行のリーグ戦となってからは1963年以来、54季ぶり2度目。 2018年 8位は2016年以来、Aリーグ復帰後2度目。1勝もすることなくリーグ戦を終えるのは、Aリーグ復帰後初。 2019年 Bリーグ改編により、B1リーグに所属。すべての試合で大勝し1位通過で上位リーグに進出。上位リーグでも、B2、2位の大産大、B1、2位の追手門学院を破り、B2、1位の龍谷大を退けてBリーグ1位で入替戦に進出した。入替戦では大阪体育大学(A8位)と対戦し、21-43の大差で勝ち、1年でAリーグ復帰となった。 2021年 2010年から監督を務めた桑原久佳が勇退し、2014年からコーチを務めていた森拓郎が監督に就任。リーグ戦では関西学院大学、摂南大学から勝利し、4年ぶりのAリーグでの白星を飾るなど、6位となった。
※この「主な歴史」の解説は、「関西大学ラグビー部」の解説の一部です。
「主な歴史」を含む「関西大学ラグビー部」の記事については、「関西大学ラグビー部」の概要を参照ください。
主な歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 17:08 UTC 版)
2006年12月30日放送分は、「ゴーJ!」との合同番組「オールザッツレイディオ ゴーJ・K!」として放送された。スムルース徳田、小塚舞子、「ゴーJ!」から美崎悠が出演し、MBSテレビで同時間に生放送された「オールザッツ漫才」の合間を縫って、「ゴーK!」や「ゴーJ!」、「ゴー傑P」からもお笑い芸人達(サバンナ八木を除く)が出演した。 2007年1月13日 - 2月10日までは、MBSラジオの高石ラジオ送信所工事のため放送休止となった。休止期間中の2月4日日曜日20:00〜21:00には、「MBSサンデースペシャル」枠において和歌山での出演者たちの旅行の模様を収録した「ゴー紀州!もっと仲良くなっちゃおうスペシャル」を放送。 同年春の改編で、以下の内容をそれぞれ月一回ずつ放送する形式となった。他の週は大阪スタジオからの生放送。東京スタジオでの生放送、大阪在住の天津の代わりに東京在住のカナリアが出演。 前半1時間30分を録音での通常放送、後半1時間30分は天津がメインパーソナリティーを担当する「しゃべりすぎだよ!天津は!」を放送。野球中継延長の場合は、後者が時間短縮となる。 2007年秋の改編で、「丑バラ」枠での月一回放送の番組となり、上記の「ゴーJ!」や「ゴー傑P」との連動企画は、番組ホームページを除き廃止された。 2008年3月29日春の改編で番組終了となる。 2011年12月25日にMBSサンデースペシャルの枠で、「麒麟とスムルース徳田のゴーK! 〜クリスマスの夜に一夜限りの復活スペシャル〜」を放送。
※この「主な歴史」の解説は、「ゴーK!」の解説の一部です。
「主な歴史」を含む「ゴーK!」の記事については、「ゴーK!」の概要を参照ください。
主な歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 09:51 UTC 版)
1980年に、当時極真会館芦原道場大阪支部の支部長だった石井和義が大阪市西成区岸里に設立。設立当初の名称は正道館で、後に新日本空手道連盟正道会館に改称。二宮博昭、中山猛夫、前田比良聖・伊藤浩久など、芦原道場から多くの人間が移籍した。1982年には第1回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会を開催。初期の大会では、極真全日本大会準優勝の実績を持つ中山猛夫が、圧倒的な力で優勝を重ねていった。またフルコンタクト空手の競技で勝つための実践的なスタイルを提唱し、様々なオープントーナメントに選手を送りこんで活躍し、後に「常勝軍団」とまで言われるようになる礎を築いていった。 後に、USA大山空手との対抗戦「USA大山空手vs正道空手5対5マッチ」を東京で開催し話題を呼ぶ。1991年には顔面ありルールに本格進出を表明し、1991年12月リングス参戦、1992年1月「トーワ杯カラテ・ジャパン・オープン」出場などを経てキックボクシング形式でも活動する。1993年にK-1GRAND PRIXを初開催し、日本の格闘技ブームの火付け役となった。
※この「主な歴史」の解説は、「正道会館」の解説の一部です。
「主な歴史」を含む「正道会館」の記事については、「正道会館」の概要を参照ください。
主な歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 00:40 UTC 版)
1915年、カランダッシュ社の前身である、エクリドール鉛筆製造所がスイスのジュネーヴに設立される。 1924年、当時会社を引き継いだアーノルド・シュバイツァーがエクリドール鉛筆製造所を、「カラン ダッシュ スイス鉛筆製造所」として再出発させる。 1929年、自動給芯機構を持つ世界最初の完全金属製メカニカルペンシル「フィックスペンシル」(現在のチャック給芯式シャープペンシルの原型)を開発、特許を取得し、カランダッシュ社のデザイン上の特徴である六角形デザインの「エクリドール」 として発売。 1953年、ボールペンを販売開始。 1972年、ローラーボールを、販売開始。 1974年、高い製造技術と優れたデザイン性を持つ、ライターを販売開始。 1999年、「ラ・モデルニスタ ダイヤモンド」を発表。ギネス世界記録2001年版に「世界で最も高級な筆記具」として登録される。 2007年、1本2000万円の超高級万年筆『1010』を発売し、話題になった。この『1010』は世界限定10本で、日本には1本のみ輸入された。 2008年、上述の『1010』により、世界的万年筆専門誌であるPEN WORLDにて、『PEN OF THE YEAR』を受賞。 2009年、日本初のフラッグシップ店として、丸の内本店を開店。 2010年、1本1億円の超高級万年筆、『1010ダイアモンド』を発売し、大きな話題になった。オークションや歴史的要素などを除いた、正規価格製品としては万年筆史上最高額とみられる。 2015年、筆記具・画材などすべての商品を一堂に集めたフラッグシップ店『カランダッシュ 銀座ブティック』を開店。 2018年、カランダッシュ公式オンラインストアをスタート。 2019年、画材の日本総輸入代理店がホルベイン画材から日本現地法人であるカランダッシュ ジャパン(株)に移行した。 2020年、849コレクションのカスタマイゼーションサービスを銀座ブティックで開始。ボディ、クリップ、ノックボタンを自由に組み合わせられるほか、オプションでメッセージの刻印も可能。
※この「主な歴史」の解説は、「カランダッシュ」の解説の一部です。
「主な歴史」を含む「カランダッシュ」の記事については、「カランダッシュ」の概要を参照ください。
主な歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/25 21:33 UTC 版)
「願いが叶うクルスの海」の記事における「主な歴史」の解説
1500万年前 九州東部で起こった大規模な火山活動による地形の形成 2000年(平成12年)10月 日向商工会議所青年部により展望所整備検討委員会が発足 2001年(平成13年)6月 日向商工会議所内に「プロジェクトオブクルスの海」委員会発足 2002年(平成14年)6月 「プロジェクトオブクルスの海」で漫画が発刊 2003年(平成15年)3月 願いが叶うクルスの海展望所竣工 2004年(平成16年)3月 願いが叶うクルスの海展望所完成・第1回チャペルウェディング開催 2008年(平成20年)2月 観光PRドラマ「願いが叶うクルスの海」完成。テーマソングリリース。
※この「主な歴史」の解説は、「願いが叶うクルスの海」の解説の一部です。
「主な歴史」を含む「願いが叶うクルスの海」の記事については、「願いが叶うクルスの海」の概要を参照ください。
主な歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 05:57 UTC 版)
「首都高バトルOnline」の記事における「主な歴史」の解説
2003年1月9日~1月31日 - ベータ版テスト開始。 2003年3月3日 - 正式サービス開始。 2003年3月17日 - 車種追加。 2003年3月25日 - アップデート実施。 2003年5月27日 - C1外回り追加。 2003年8月28日 - 新環状線追加。 2004年3月2日 - 1周年記念イベント開催。 2004年4月5日 - リニューアル。湾岸線と横羽線が追加。 2005年9月1日 - サービス休止(実質終了)。
※この「主な歴史」の解説は、「首都高バトルOnline」の解説の一部です。
「主な歴史」を含む「首都高バトルOnline」の記事については、「首都高バトルOnline」の概要を参照ください。
主な歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 23:52 UTC 版)
1921年(大正10年) - 古川為三郎が名古屋市中区大須に映画館「太陽館」を開館。 1922年 - 中区大須に「帝国館」を開館 1923年 - 中区大須に「帝国座」を開館 1924年 - 太陽館近くに「肉なべ屋」を開店。 1925年 - 名古屋市北区に「富士劇場」を開館 1931年(昭和6年)- 千種区に「今池劇場」を開館。 1932年 - 「大勝館」を開館。 1933年 - 「肉なべ屋」を改装し中区大須に喫茶レストラン「資生堂パーラー大須店」を開店。 1936年 - 鶴舞公園前に「資生堂パーラー公園店」を開店。 1939年 - 中区大須に「資生堂パーラー赤門店」を開店。 1945年 - 戦災により名古屋市西区「弁天座」を残し、映画館7館と資生堂パーラー全店を焼失。 1946年 - 名古屋駅前に洋画専門館「メトロ劇場」を開館 1946年 - 千種区に「今池国際劇場」を開館。 1947年 - 喫茶「資生堂パーラー広小路店」を開館。 1948年 - 株式会社資生堂を設立し、会長に古川為三郎が就任。 1950年 - 名古屋市中区に「ミリオン座」を開館。 1951年 - 広小路土地興業株式会社を設立し、会長に古川為三郎が就任。 1956年 - 有限会社欧米映画配給社を設立し、会長に古川為三郎、社長に古川勝巳が就任。 1956年 - 中村区に「マキノ劇場」を開館。 1957年 - 有限会社欧米映画配給社をヘラルド映画株式会社に商号及び組織変更。 1957年 - 「資生堂パーラーサンロード店」「資生堂パーラー栄地下街北店」「メトロレコードメイチカ店」を開店 1960年 - 中村区に「毎日ホール劇場・毎日地下劇場」を開館。 1960年 - 弘洋株式会社(現株式会社C-Forest)を設立し、社長に古川為三郎が就任。 1960年 - パチンコ店を開店。 1961年 - 株式会社ヘラルド映画興行を設立し、会長に古川為三郎が就任。 1961年 - ヘラルド映画株式会社と株式会社ニッポンシネマコーポレーションが合併し、日本ヘラルド映画株式会社が発足。 1964年 - 株式会社中日シネラマ会館を設立し、会長に古川為三郎が就任。総合レジャービル「中日シネラマ会館」(ヘラルドシネプラザ)が開館。 1967年 - 「資生堂パーラー栄地下街南店」「資生堂パーラーメトロ店」を開店 1969年 - ボウリング場運営会社として中日ボウリング株式会社を設立し、会長に古川為三郎が就任。 1969年 - 株式会社中日シネラマ会館が広小路土地興業株式会社を吸収合併。 1971年 - 古川グループ、「藤岡カントリークラブ」を開場。 1971年 - 株式会社資生堂が、ヘラルドフーヅ株式会社に社名変更。 1971年 - 株式会社ヘラルド映画興行が中日ボウリング株式会社を吸収合併し、ヘラルド興業株式会社となる。 1972年 - 古川グループ、「大日岳国際スキー場」を開場。 1972年 - 天白区に「ヘラルド文化センター」を開設。 1972年 - 天白区にアイスクリーム工場を設立。 1973年 - ヘラルド興業株式会社が株式会社中日シネラマ会館を吸収合併。古川土地建物株式会社を設立。 1973年 - レストラン「資生堂サロン」を開店。「資生堂パーラージャスコ八事店」を開店。 1975年 - 資生堂パーラーをベルヘラルドに改名。 1976年 - シネプラザに「シネマA」を開館。 1976年 - 「ベルヘラルド上前津店」「ベルヘラルド豊田店」「ベルヘラルド稲沢店」を開店。 1977年 - 「フレッシュベーカリー八事店」「フレッシュベーカリー広小路店」「ベルヘラルド藤ヶ丘店」を開店 1978年 - 「フレッシュベーカリー恵方店」「メトロレコード栄店」を開店。 1980年 - 「ヘラルドローラーリンク」を栄・天白・岡崎にオープン。 1982年 - 「ヘラルドテニスクラブ一宮」をオープン。「ベルヘラルド一宮インター店」を開店。 1983年 - 中村区に「ゴールド劇場・シルバー劇場」を開館。 1983年 - イタリア料理店を開店。 1984年 - 「ビデオステーション」栄北店・メイチカ店を開店。 1985年 - 名古屋ケーブルネットワーク株式会社を設立。 1985年 - 「ベルヘラルド大須店」を開店。 1985年 - 豊田市猿投温泉に「ホテル金泉閣」をオープン。 1986年 - 日本ヘラルド映画・ヘラルド興業社長の古川勝巳死去に伴い、ヘラルド興業副社長の古川為之が、日本ヘラルド映画、ヘラルド興業などグループ各社の社長に、日本ヘラルド映画副社長の古川博三がヘラルド興業副社長など各社役員に就任。 1987年 - ヘラルドフーヅ株式会社、ヘラルド興業株式会社、三重劇場株式会社の3社が合併し、株式会社ヘラルドコーポレーションが発足。 1987年 - 名古屋市中区に天むすび専門店を開店。 1987年 - 財団法人古川会を設立し、理事長に古川為三郎が就任。 1988年 - 名古屋駅地下街にCD・ビデオ店「メトロミュージックステーション」を開店。 1988年 - ヘラルドシネプラザ内に「シネプラザ50」を開館。 1989年 - 「グレイスヒルズカントリー倶楽部」の開発に着手。 1989年 - 名古屋パルコ内に「カフェベルヘラルド」、「ベルヘラルドパルコ売店」を開店。 1989年12月 - 日本ヘラルド映画、会長の古川為三郎が名誉会長に、古川為之が会長に、古川博三が社長に就任。 1991年 - 財団法人古川会「古川美術館」を開館。 1993年 - 日本ヘラルド映画、会長の古川為之が取締役に、古川博三が会長に就任。 1993年 - ヘラルドグループ創業者・名誉会長の古川為三郎が死去。 1993年 - 「ベルヘラルドジャスコシティ八事店」を開店。 1994年 - 名古屋市中区に「ZXA」、「ZXAカラオケ館」をオープン。 1995年 - ヘラルドシネプラザ内に「ヘラルドカラオケランド」をオープン。 1995年 - ヘラルドシネプラザ内に「シネプラザ4」を開館。 1996年 - 新設されたヘラルド・エステート株式会社(後の株式会社角川ヘラルド・ピクチャーズ)が、(旧)日本ヘラルド映画株式会社より映画配給事業を譲り受け、(新)日本ヘラルド映画株式会社に社名変更。 1997年 - 「ベルヘラルド広小路伏見店」を開店。 1999年 - ヘラルドリゾート開発が「グレイスヒルズカントリー倶楽部」を開場。弘洋株式会社がヘラルド不動産株式会社を合併し、ヘラルド不動産株式会社に社名変更。 2000年 - 名古屋パルコ内に「センチュリーシネマ」を開館。 2001年 - 名古屋ケーブルネットワーク株式会社が、スターキャット・ケーブルネットワーク株式会社に社名変更。 2001年 - 名古屋市中区栄地下に「ベルヘラルド シャポーブラン栄南店」を開店。 2002年 - スターキャット・ケーブルネットワーク株式会社がジャスダック上場。ヘラルド不動産株式会社がヘラルド・エステート株式会社(旧日本ヘラルド映画株式会社)を吸収合併。 2003年12月5日 - 約300億円の負債を抱え、株式会社ヘラルド・コーポレーションが民事再生手続開始。
※この「主な歴史」の解説は、「ヘラルドグループ」の解説の一部です。
「主な歴史」を含む「ヘラルドグループ」の記事については、「ヘラルドグループ」の概要を参照ください。
主な歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 16:35 UTC 版)
2005年 10月4日より放送開始。当時の放送時間は1時00分 - 2時00分。 2006年 4月4日より、放送時間が1時間繰り上がり0時00分 - 1時00分に放送。同時に兄弟番組として『ゴチャ2』が開始(同年9月28日で終了)され、一部パーソナリティの移動も行われた。 7月20日(19日火曜深夜)、極楽とんぼ山本の不祥事の影響で放送中止となり、代替番組としてカーペンターズ特集を放送。 8月5日13時00分 - 17時00分、『ゴチャ・まぜっ!OK祭』を生放送。 10月10日よりミニコーナー枠の放送開始。 2007年 1月8日 - 2月9日、毎日放送高石ラジオ送信所工事のため、この期間のみ放送時間が繰り上がり23時25分-翌0時25分に放送。 4月7日、関連番組の『イマドキッ』放送開始。改編期の出演者移動はこの『イマドキッ』も含めるようになった。 8月4日土曜日13時00分 - 16時00分、『ゴチャ・まぜっ!OK祭』を生放送。 12月31日、年越し特番放送のため放送時間が繰り上がり20:00 - 21:00に放送。 2008年 2月15日のミニコーナーが、東京赤坂の新スタジオで収録されたものを放送。 8月2日、『イマドキッ』との合同企画『イマドキッOK祭〜ゴチャになります・大阪城コネクション2008』を生放送。 8月19日、木曜日本編の公開録音が大阪で行われ、その模様は8月21日、28日に放送された 12月31日、年越し特番放送のため放送休止。 2009年 1月9日 - 15日、水曜日以外のミニコーナー枠が撤廃され、本編の放送時間が1時間となった。後に木曜日のみ復活。 3月31日 - 4月4日、春の改編により月曜日から金曜日にかけての帯番組での放送が終了。 4月12日、一部の番組名と出演者が一新され、土曜深夜に全四部構成となって放送開始。 2010年 4月11日 - 12日、春の改編により各番組の放送時間が変更。「またまたゴチャ・まぜっ!」は日曜深夜に放送曜日が変更。 9月18日、9月19日 - イナズマロックフェス2010会場で「もっともゴチャ・まぜっ!」「まだまだゴチャ・まぜっ!〜集まれヤンヤン〜」「またまたゴチャ・まぜっ!」と「飛び出せ!イマドキッ」のパーソナリティーがシャッフル状態になって公開収録が行われた。この模様は9月18日分は10月10日の「飛び出せ!イマドキッ」で、9月19日分は10月11日の新番組の「また×3ゴチャ・まぜっ!」で放送された。 10月11日 - 12日、秋の改編により各番組の放送時間が変更。「ゴチャ・まぜっ!」は放送が日曜深夜に変更。「またまたゴチャ・まぜっ!」が「また×2ゴチャ・まぜっ!」に表記変更。さらに「また×3ゴチャ・まぜっ!」が新設される。 2011年 3月13日 - 21日、東北地方太平洋沖地震の影響により土・日曜の深夜枠がフィラー編成となったため、2週連続で全番組が休止された。 10月25日より、再び変則的帯番組となった。放送時間は火曜日 - 金曜日が1時00分 - 2時00分、土曜日が2時00分 - 5時00分、日曜日が0時30分 - 1時30分。 11月27日、3周年の阪急西宮ガーデンズで『ゴチャ・まぜっ!スペシャル in 阪急西宮ガーデンズ〜おでかけ編〜』公開収録を実施。この模様は12月29日の「水曜日」で放送。 2012年 4月より「まだまだゴチャ・まぜっ!〜集まれヤンヤン〜」の放送時間が4時26分までとなり、放送枠が約30分短縮。 10月13日、スポンサーであるナガシマスパーランドで『MBSスター大集合!ゴチャまぜ祭 in ナガシマスパーランド』公開収録を実施。この模様は11月28日の「火曜日」で放送。 11月23日、4周年の阪急西宮ガーデンズで『ゴチャ・まぜっ!×ガーデンズコレクション・ファッションショー』公開収録を実施。この模様は12月30日の「イマドキッ」で放送。 2013年 5月11日、スポンサーであるナガシマスパーランドで『MBSスター大集合!ゴチャまぜ祭 in ナガシマスパーランド』公開収録を実施。この模様は5月30日の「水曜日」で放送。 10月20日、スポンサーであるナガシマスパーランドで『MBSスター大集合!ゴチャまぜ祭 in ナガシマスパーランド』公開収録を実施。この模様は11月27日の「火曜日」で放送。 2014年 MBSラジオが平日22時 - 翌4時台の番組編成方針を一新することを受けて、「オレたちゴチャ・まぜっ!」にリニューアル。 2015年 1月9日、新番組『ゴチャ・まぜっ天国!』放送開始。 2月7日、『オレたちゴチャ・まぜっ! (第1部)』内にて『AKB48北原里英 いまきたラジオやってまーす!』放送開始。
※この「主な歴史」の解説は、「ゴチャ・まぜっ!」の解説の一部です。
「主な歴史」を含む「ゴチャ・まぜっ!」の記事については、「ゴチャ・まぜっ!」の概要を参照ください。
主な歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 08:00 UTC 版)
「ONE PIECE (アニメ)」の記事における「主な歴史」の解説
放送日はフジテレビおよび同時ネット局のもの。 1999年10月20日(第1話)、毎週水曜19:00 - 19:30にて放送開始。 2001年4月より、毎週日曜19:30 - 19:58に放送時間を移動(移動後初回放送の4月15日のみ19:00 - 19:58)。 2004年10月31日(第207話)より、ハイビジョン制作に移行した。 2005年1月より、毎週日曜19:00 - 19:28に放送時間を移動(移動後初回放送の1月16日のみ19:00 - 19:58)。 2006年10月1日より、ローカルセールス枠での放送に変更。関東地方は放送時間を毎週日曜9:30 - 10:00に移動した。これに伴いエンディングも廃止。また徐々に原作に追いつきはじめたため、冒頭に麦わらの一味を紹介する映像と長い回想シーンが挟まれ、途中のCM時間も大幅に長くなった。 2008年5月25日放送分のみ、次回予告の形態が通常と異なっていた。 2008年12月7日より、地上アナログ放送ではレターボックス(アスペクト比16:9)での放送に移行した。 2009年6月28日放送分よりルフィ以外のメインキャラクターの登場回数削減に伴い、次回予告の内容は、登場キャラクターがしゃべる形式から、ナレーションの大場真人によるあらすじを読み上げる形式に変更された。次回のサブタイトルや、最後に決めゼリフをルフィが言うのは変更なし。メインキャラクターが再び集結した現在もこの形式を続けている。 2011年4月3日放送の『トリコ』第1話では『トリコ×ONE PIECEコラボスペシャル』と題され、レギュラーキャラクターがゲスト出演している。1時間スペシャルの内、後半エピソードは『ONE PIECE』扱いで制作された。 2011年9月25日(第516話)で、12年続いた『サバイバルの海 超新星編』が終了。翌週の同年10月2日(第517話)より原作第2部に当たる『最後の海 新世界編』が開始。作中の時系列が本編開始から2年後に変更、次回予告BGM・アイキャッチも刷新された。 2012年4月7日、高画質化処理を行った「スペシャルエディション」として、第1話からの再放送が開始。関東地区で毎週土曜9:55から放送。映像は上下がカットされている。2013年3月30日で放送を終了した。 2015年4月5日より、解説放送を実施(一部の放送局を除く)。 2015年10月4日より、データ放送を実施(同時ネット局のみ)。 2019年7月7日(第892話)より「ワノ国編」が開始。次回予告BGM・アイキャッチが刷新された。 2021年11月21日、放送第1000話に到達。この回のみ、初代オープニングテーマである「ウィーアー!」が新規作画映像とともに使用された。
※この「主な歴史」の解説は、「ONE PIECE (アニメ)」の解説の一部です。
「主な歴史」を含む「ONE PIECE (アニメ)」の記事については、「ONE PIECE (アニメ)」の概要を参照ください。
主な歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 20:27 UTC 版)
「林原めぐみのTokyo Boogie Night」の記事における「主な歴史」の解説
1991年(平成3年) 11月17日より、本番組の初期のコーナーでもあった『熱血電波倶楽部』の放送がラジオ関西と東海ラジオで始まる(1995年3月26日放送分まで)。 1992年(平成4年) 4月11日より、番組放送開始。TBSラジオ(関東ローカル)での放送で、番組テーマ曲「Tokyo Boogie Night」の歌詞同様に「午前2時」である土曜26:00からの放送であった。 8月1日、バルセロナオリンピックの中継放送のため、番組唯一の完全放送休止。 1994年(平成6年) 1月1日(第90回)より、「リスナーのしるし」としてノベルティの靴紐を採用者にプレゼント開始。 10月15日(第131回)より、TBSラジオでの放送時間が土曜日25:30に変更された。 1996年(平成8年) 4月13日(第209回)より、TBSラジオでの放送時間が土曜日25:00に変更された。 10月25日、JRN系『金曜UP'S』にて『林原めぐみのTokyo Boogie Night スペシャル』が2時間生放送された(スペシャル番組を参照) 1997年(平成9年) 4月13日(第261回)より、TBSラジオでの放送時間が日曜日23:00に変更された。 1998年(平成10年) 4月1日に行われた放送300回突破記念公開録音イベントのアンコール時に、突如ウエディングドレス姿で舞台に登場。イベント2日前の自身の誕生日に入籍したことを発表し、ファンを驚かせた。 4月12日(第313回)より、TBSラジオでの放送時間が日曜日24:00に変更された。 2000年(平成12年) 2月6日(第408回)に放送された『それいけ!宇宙戦艦ヤマモト★ヨーコ』を最後に熱血電波倶楽部のラジオドラマが終了。放送開始当初より、後半15分部分にラジオ番組『熱血電波倶楽部』のラジオドラマパート、また熱血電波倶楽部がドラマパートではなくDJパートを放送する際には引き続き林原のDJパート(30分まるまる林原DJスペシャル)を放送していたが、これ以降は毎回林原のDJパートになっている。 2001年(平成13年) 3月、TBSラジオゴールデンマイク賞を受賞。 5月、TBSラジオナイスプレー賞を受賞。 10月1日、TBSラジオでは、冒頭に放送免許承継アナウンスが挿入され1分繰り下げ。 2003年(平成15年) 10月26日(第599回 → 第600回)にて、過去に重複放送が在った旨を告知し、この回の放送を以って放送回数を599回から600回に修正する旨を番組内で発表(詳細は後述を参照)。 2007年(平成19年) 5月21日、番組への投稿手段として、電子メールを一部解禁。 2011年(平成23年) 6月26日の放送で、放送回数1000回を達成。 2012年(平成24年) 10月21日のTBSラジオの放送において、冒頭で『今晩は 吉永小百合です』が誤って放送される放送事故が発生。 2013年(平成25年) 5月26日の放送で、放送回数1100回を達成。 2014年(平成26年) 10月26日のTBSラジオの放送において、編成上の都合で通常より1時間繰り下げ。ナイター延長などの遅れを除き日曜枠に固定化されて以降初となった。 2015年(平成27年) 4月4日(第1197回)より、『林原めぐみのHeartful Station』の放送終了に伴う補完の目的でラジオ関西がネットを開始。 4月26日の放送で、放送回数1200回を達成。 12月よりTBSラジオの放送においてFM補完放送開始。番組冒頭のコーナーである「早口言葉への挑戦状」においてもFM補完放送に関するものだった。 2016年(平成28年) 2月7日の放送より、キングレコードの組織変更により提供クレジットが「スターチャイルドレーベルでお馴染みの〜」から単にキングレコードになる。郵便物の宛て先も「キング・アミューズメント・クリエイティブ本部」宛に変更された。これによって、オープニングとエンディングにおける堀内賢雄による提供読みナレーションから「スターチャイルド」の用語がアナウンスされなくなった。なお、2016年3月6日放送分において、ハガキの宛先の記述が「KAC本部 めぐみのTBN」でもハガキが届くことが証明されている。 7月2日、林原めぐみ公式ブログにて、TBSラジオでの2016年の「第24回参議院議員通常選挙」の開票特番における番組休止措置として、7月10日放送分(ゲストは水樹奈々)を1週間遅れの7月17日の24:00からに、本来の7月17日放送分を4日後の7月21日の20:00からに、それぞれ日時変更することで対応することを発表。通常、選挙特番ではTBSラジオは放送休止・代替放送なしとなるため(#放送回数についてを参照)、この時の様に代替放送をすることは極めて稀な事例となった。 9月11日放送分(第1272回)にて、10月よりTBSラジオとラジオ関西の2局のみとなることが発表された。その補完としてWEB配信がスタートする旨が合わせて発表された。放送の翌週火曜に林原のアーティストサイト『MEGUMI HOUSE』と『ラジオ関西 アニたまどっとコム』のインターネットラジオ『別冊ラジ関』にてWEB配信され、パソコンの他、スマートフォンなどでも聴取可能となった。 10月1・2日放送分より、上記の通り2局のみでの放送となる。 10月4日、WEB配信スタート。 12月31日・1月1日放送分(第1288回)は、2局の放送日が年末年始を跨ぐため、初の2局別内容の放送となった。ただし、過去にも放送局によって放送日が年末年始を跨いだ事例は数回存在する。 2017年(平成29年) 3月26日の放送で、放送回数1300回を達成。 10月22日放送分が「第48回衆議院議員総選挙」の開票特番により、TBSラジオは放送休止。ラジオ関西のWEB配信『別冊ラジ関』が終了し、『ニコニコ動画 アニたまどっとコムチャンネル』に移行された。 12月31日のTBSラジオ放送分が大晦日特番による編成上の都合により通常より30分繰り下げ。編成都合による時間変更は2014年10月26日放送分以来、約3年2ヶ月ぶり。 2018年(平成30年) TBSラジオの6月24日放送分がサッカー『ワールドカップ2018』の中継により、同週の6月29日20:30に振替。 2019年(平成31年・令和元年) 2月24日放送で、放送回数1400回達成。 2020年(令和2年) 新型コロナウイルス感染拡大に伴い、4月12日放送分から5月31日放送分まではスタジオ収録ではなく、林原の自宅にてテレワークの形で収録された音源が放送された。このような形式での収録・放送は番組史上初であり、テレワーク収録1週目の放送では番組冒頭のコーナーである「早口言葉の挑戦状」において成功・失敗の判定音が鳴らなかった(結果は成功)。2週目(4月19日放送分)以降は「早口言葉の挑戦状」の判定音が通常通り鳴っていた。 6月7日放送分よりスタジオ収録を再開。 2021年(令和3年) 1月24日放送で、放送回数1500回達成。
※この「主な歴史」の解説は、「林原めぐみのTokyo Boogie Night」の解説の一部です。
「主な歴史」を含む「林原めぐみのTokyo Boogie Night」の記事については、「林原めぐみのTokyo Boogie Night」の概要を参照ください。
主な歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 23:14 UTC 版)
「ドラえもん (2005年のテレビアニメ)」の記事における「主な歴史」の解説
年日付出来事2005年 4月15日 初回放送。 7月15日 『ドラえもん DON DON サマースペシャル!!』放送(19:00 - 19:54)。 10月21日 『ドラえもん1時間! 2006年MOVIE㊙映像見せますSP!!』を放送(19:00 - 19:54)。オープニングテーマ曲「ドラえもんのうた」が、「ハグしちゃお」に変更される。 12月31日 本作における初の大晦日3時間特番『新生ドラえもん 初の大晦日3時間SP』を18:00 - 20:54で放送。 2006年 3月4日 本作における映画第1作『のび太の恐竜2006』公開。第2作第1期における映画『のび太の恐竜』のリメイク作品。 4月14日 新生ドラえもん1周年スペシャル。 9月1日 本年以降毎年、ドラえもんの誕生日である9月3日前後に「ドラえもん誕生日スペシャル」を放送している。本年のエピソードは原作のエピソードを構成した物であったが、翌年以降のエピソードは2020年を除きすべてアニメオリジナルストーリーとなっている。 2007年 3月2日・3月9日 『のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜』公開に合わせ、2週連続で関連特番を放送。前者は1時間SP、後者は通常放送。 3月10日 『ドラえもん のび太の恐竜2006』を『ドスペ!』枠で地上波初放送。 3月23日 本作では初のアニメオリジナルストーリーを放送。 4月20日 『クレヨンしんちゃん』との合体2時間SP『ドラえもんとクレヨンしんちゃんのアニメ2時間SP』を放送。第1部は『ドラえもん』の通常放送、第2部は『クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!』を放送。 5月11日 オープニングテーマが「夢をかなえてドラえもん」に変更。 5月18日 「ひみつ道具コンテスト」最優秀作品「あの人は居間」を放送。 6月29日 『ドラえもん1時間海賊SP』を放送。 12月7日 『ドラミ誕生日SP』を1時間枠で放送。 12月30日・12月31日 前者は『クレしん』との合体特番『冬だ! 休みだ!! クレヨンしんちゃん&ドラえもん! 朝からどドーンと150分SP』を、(日曜日)6:30 - 9:00で放送。後者は大晦日SP『大みそかドラえもん もうすぐネズミ年だよ ギャー!! SP』を18:00 - 19:54で放送。 2008年 3月7日 『のび太と緑の巨人伝』公開に合わせ、『ドラえもん映画公開直前SP』を1時間枠で放送。放送作品は1980年に東宝系で公開された『ドラえもん ぼく、桃太郎のなんなのさ』をリメイクした『ぼく、桃太郎のなんなのさ2008』。 3月21日 『ドラえもん感動の映画3時間SP』を放送。第1部は「特撮ウラドラマン」、第2部は『のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜』の地上波初放送。 3月28日 『ドラえもん春休みSP』を1時間枠で放送。Bパートに『のび太と緑の巨人伝』の関連作「もう一つの緑の巨人伝」を放送。 4月25日 サブタイトルの画面が看板を掲げるドラえもんの映像に変更。 6月27日 『ドラえもん1時間SP』を放送。 10月24日 情報・ワイドショー番組『ワイド!スクランブル』の夕方コーナーにドラえもんがゲスト出演。この日の放送に浅田真央が出演することを告知した。同日に放送した『ドラえもん秋の1時間SP』のBパート「のび太たちのアイスショー」に浅田が出演した。 12月31日 大晦日SP『大みそかドラえもん さらばネズミ年 来年はモ〜30周年だよSP』を18:00 - 20:24で放送。なおこの後は『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』年末SPが放送されたが、同時期にはドラえもん達が『Qさま』の「プレッシャーSTUDY」に出場する形式で、双方の番宣CMが放送された。 2009年 2月6日 テレビ朝日開局50周年記念番組『50時間テレビ』の一環として、『のび太と緑の巨人伝』を地上波初放送(19:00 - 20:54)。 3月6日 『新・のび太の宇宙開拓史』公開に合わせ『ドラえもん 映画公開直前SP』を1時間枠で放送。 3月20日 『ドラえもん30周年SP』を2時間枠で放送。前半は「さようならドラえもん」のリメイク。 6月26日 『ドラえもんおふろSP』を1時間枠で放送。 10月16日 映画30周年を記念して、オープニング映像が映画30周年記念バージョンに変更。 12月11日 『ドラえもんクリスマスSP』を1時間枠で放送。 12月31日 『大みそかドラえもん 映画30周年 全部見せますSP』を18:00 - 20:30で放送。 2010年 3月19日 『ドラえもん ありがとう! 30周年 今夜かぎりの春のドラえもん祭』(19:00 - 21:48)を放送。第1部は「町内突破大作戦」、第2部は『のび太の新・宇宙開拓史』の地上波初放送、そして第3部は第2作第1期の第1話「ゆめの町ノビタランド」の再放送。 6月25日 『ドラえもん 世にもフシギなぞなぞスペシャル』(19:00 - 19:54)を放送。そして終了直後に、ドラえもんが初めて直後番組『ミュージックステーション夏スペシャル』のクロスプログラムを担当した。 7月2日 この回から、地上アナログ放送ではレターボックスとなる。 7月30日 - 8月27日 「夏休みアニメ祭り」として、『クレしん』とのコラボレーションキャンペーンを実施。その際次のような視聴者プレゼント企画を実施した。番組中の「夏休みアイテム」を探し出す(キーワードと同等)。それを見つけて番組終了後の電話応募で両番組の関連グッズを抽選でプレゼントする。 またこの夏休みアイテムを全10個見つけるとその応募者の通っている学校・幼稚園・保育園にドラえもんかしんのすけが訪れるという企画があった。 11月30日 テレビ朝日は会見で、1981年から毎年大晦日の夜に放送されていたドラえもんの特別番組を、『そうだったのか!池上彰の学べるニュース』の特別番組を放送する関係で、2011年1月3日の(6:00 - 8:55)(タイトルは、『新春! ドラえもん祭 祝ウサギ年映画もあるピョンスペシャル』)に放送すると発表。理由は紅白歌合戦に対抗する強力なコンテンツを考えた結果だという。[要出典] 2011年 2月4日 2月11日に放送の『ドラえもん三大祭! ドドーンと! 映画3時間スペシャル』に福山雅秋役を演じる福山雅治が声優に初挑戦、さらに3月5日公開の映画『新・のび太と鉄人兵団 〜はばたけ 天使たち〜』にも出演、2月中旬から放送する映画の特別CMでナレーションも担当する事になった。このスペシャルで放送された「ドラえもんだらけ」より、第1期同様過去に放送された作品のリメイク作品が不定期に放送されるようになった。 3月11日 同日に東北地方太平洋沖地震が発生し、『ANN報道特別番組』(『報道ステーション』)が編成されることとなり、この日の放送は延期となった。本作において、臨時特番による延期はこれが初。その日の放送予定分は2週間後の3月25日に延期された。なお翌週の3月18日に1時間枠で放送予定だった『ドラえもん三大祭!第三夜 ウルッと! 感謝・感激・感動スペシャル』は通常通り放送された。 4月8日 『ドラえもん×クレヨンしんちゃん 超豪華! 春のアニメ メガ盛りスペシャル』(3時間スペシャル)を放送。第1部は『ドラえもん』、第2部は『しんちゃん』のそれぞれ通常放送。第3部は『クレヨンしんちゃん 超時空!嵐を呼ぶオラの花嫁』を地上波初放送。『ドラえもん』と『クレしん』の合体3時間SPはこれが初。 7月8日 甘栗旬役として小栗旬が出演。 7月22日 - 8月26日 「夏休みアニメ祭り」として、クレヨンしんちゃんとのコラボレーションキャンペーンを実施。内容は上記と同じ。 11月21日 翌年に公開の映画『のび太と奇跡の島 〜アニマル アドベンチャー〜』の主題歌を福山雅治が担当すると発表。 12月30日 『年忘れだよ!ドラえもん検定クイズスペシャル』(17:30 - 18:30)を放送。 2012年 2月10日 ジャイ子の声優が山崎バニラから山田ふしぎに一時交代。 3月16日 ドラえもん誕生100年前と『クレヨンしんちゃん』映画20周年に合わせ、『ダブルアニバーサリー 春のアニメ祭』(3時間スペシャル)が放送された。19:00 - 19:32は『クレしん』拡大版、19:32 - 21:48は『新・のび太と鉄人兵団 〜はばたけ 天使たち〜』を地上波初放送。 8月10日 - 8月31日 「夏休みアニメ祭り」として、『クレしん』とのコラボレーションキャンペーンを実施。内容は上記と同じ。 11月2日 直後に『フィギュアスケートグランプリシリーズ 世界一決定戦2012 中国大会』(19:30 - 21:54)の中継が放送されるにあたり、終了直後にドラえもんが同番組へのクロスプログラムを行った。ドラえもんが直後に放送する番組を告知するのは、2010年6月25日の『なぞなぞSP』以来で、通常体制では史上初。なお映像は、浅田真央が出演した2008年10月24日放送分(「のび太たちのアイスショー」の一部シーン)を流用した。 12月31日 3年ぶりに「大みそかだよドラえもん」を放送。番組ではこの年公開の『のび太と奇跡の島 〜アニマル アドベンチャー〜』を地上波初放送。この年は先の『新・のび太と鉄人兵団』放送を含め、2度も劇場版が放送された。なお直後番組『お願い!ランキング』年越しスペシャル(21:00 - 1月1日0:30)への接続はステブレレスだが、その接続内容は、大晦日の夜空を飛んでいたドラえもんが『お願い!ランキング』の秘密基地を見つけると、基地内に入って告知をするといった内容だった。 2013年 3月15日 『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春だ!映画だ!3時間アニメ祭り』を放送(このタイトルでの放送は初)。19:00 - 19:33は『クレしん』拡大版、19:33 - 21:48は2007年公開の『のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜』を放送した。なお『春だ!映画だ!3時間アニメ祭り』で1年以上前の映画が放送されたのは、今のところこれが唯一。 4月6日 CS放送「テレ朝チャンネル1」にて放送を開始した、字幕放送も部分実施。 4月12日 直後に『世界フィギュアスケート国別対抗戦2013』(19:30 - 21:54)の中継が放送されるため、ドラえもんが同番組へのクロスプログラムを行った。映像は前年11月2日同様、浅田真央出演回の一部を流用。 7月26日 「ドラえもん 夏の大冒険 1時間スペシャル」を放送。 8月9日 - 8月30日 「夏休みアニメ祭り」として、クレヨンしんちゃんとのコラボレーションキャンペーンを実施。内容は上記と同じ。8月30日の放送ではよゐこが本人役で声優として出演。 9月13日 「ドラえもん誕生日スペシャル」を1時間枠で放送。劇中では『パーマン』のパーマン1号(声はオリジナル版と同じ三輪勝恵)がゲスト出演、パーマンとの共演はリニューアル後では初。また坂本真綾がゲスト出演。作中で『パーマン』(シンエイ動画版)のワンシーンがインサートされ、BGMには同作主題歌「きてよパーマン」が使われた。そして番組ラストの「ドラドラニュース」では、2013年9月8日に2020年のオリンピック開催地が東京に決まった事を伝えた。 12月6日 テレビ朝日開局55周年記念『55時間テレビ』の一環、および藤子・F・不二雄生誕80年を記念して、「ドラえもん冬の1時間スペシャル」を18:53 - 19:54で放送。それまでテレビ朝日平日19時台番組は、2012年より通常番組拡大版などの特別番組の時に限り、不定期にフライングスタートしていたが、金曜アニメの『ドラえもん』や『クレしん』は拡大版でもフライングスタートは行わなかったため、『ドラえもん』のフライング体制は『ニュースシャトルANN』編成による18:50開始時期(1987年10月 - 1989年3月)を除けば史上初。なお直後の『フィギュアスケートグランプリファイナル 世界一決定戦2013』中継へのクロスプログラムは、まず浅田真央出演回の映像を流用してドラえもんが5秒告知を行うと、画面がスケート会場であるマリンメッセ福岡に替わり、現地レポートの松岡修造(『報ステ』のスポーツキャスターと兼任)が10秒告知を行うという、初の2段告知だった。 12月30日 「年忘れだよ!ドラえもん1時間スペシャル」(17:30 - 18:30)として放送。 2014年 2月14日 この日の放送で華原朋美が声優として出演。 3月7日 『クレしん』との合体SP『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春だ!映画だ!3時間アニメ祭り』を放送。前35分は『クレしん』の10分拡大版だが、その後は2013年公開作品『のび太のひみつ道具博物館』を地上波初放送。 3月14日 この日放送の『Mステ』にはKis-My-Ft2とドラえもんが出演し、映画主題歌「光のシグナル」を歌った。 4月11日 データ放送「どこでもドアかくれんぼ」が始まる。 5月16日 エンディング曲が「夢をかなえてドラえもん合唱バージョン」に変更。 6月6日 OP曲が「夢をかなえてドラえもん」に戻り、「STAND BY ME ドラえもん」の予告映像が公開される。 8月1日 『STAND BY ME ドラえもん』公開に合わせ、2014年初の単独3時間SP「ドラえもん夏祭り3時間SP」を放送。19:54まではアニメ1時間SPで、パーマンが前年9月13日の「誕生日SP」以来のゲスト出演(ただし台詞はない)、そして19:54からはクイズ『ドラえもん知識王No.1決定戦SP』を放送、同コーナーの司会は羽鳥慎一と小池栄子、そしてドラえもん自身が担当。これに先立ち、7月26日の2:45〜4:00に大予選会が放送された。また、同日にテレビアニメ版OPが『STAND BY ME ドラえもん』主題歌「ひまわりの約束」に変更される。 8月8日 『STAND BY ME ドラえもん』公開。これを記念して、同作監督の山崎貴と八木竜一がゲスト出演した『徹子の部屋』にもドラえもんが3DCGで登場、『徹子の部屋』の出演は2000年2月11日以来で、リニューアル後では初。 9月5日 単独では2014年初の1時間スペシャル「ドラえもん誕生日スペシャル」を放送。田村ゆかりがゲスト出演。 10月17日 - 12月5日 テレビアニメ放送開始&映画35周年を記念し、「夢をかなえてドラえもん」をレギュラーメンバー5人で歌唱。映像は過去に公開された映画本編(第2作第1期も含む)が流れた(全て映像が異なる)。ただし、提供バック部分のBGMは従来のmao版が使用されている。 11月7日 - 11月14日 直後の『フィギュアスケートグランプリシリーズ 世界一決定戦2014 中国大会』中継へのクロスプログラムは、現地レポートの松岡修造(『報ステ』のスポーツコーナーと兼任)の中国会場からの告知のみで、ドラえもん自身による告知と、浅田真央出演回の映像流用は初めて行われなかった。翌14日の直後に開催されたサッカー日本代表強化試合(キリンチャレンジカップ) 日本× ホンジュラス』(豊田スタジアム)へのクロスプログラムは、川平慈英ナビゲーターによる告知のみで、ドラえもんは関わらなかった。 12月30日 「今年最後のドラ笑い!!年忘れだよ!ドラえもん1時間スペシャル」(17:30 - 18:30)を放送。番組ラストのコーナーにて、2015年公開予定の『のび太の宇宙英雄記』の主題歌をmiwaが担当すると発表、同コーナーでオリジナルキャラクター「ワーミー」の声当てをmiwaが声優に初挑戦として行った。 2015年 1月9日 「どこでもドアかくれんぼ」の映像(&データ放送画面)が、『のび太の宇宙英雄記』バージョンにリニューアル。 1月23日 当初は放送を予定していたが、「AFCアジアカップ2015 日本×UAE」(スタジアム・オーストラリア。枠は18:10 - 21:20)を急遽放送することになったため、『クレしん』と共に1週間延期となった。なお当日は21:00の『世界の村で発見!こんなところに日本人』(朝日放送〈当時〉制作)は本作・『クレヨンしんちゃん』・20:54の各局別ミニ番組(関東は『世界の街道をゆく』)と共に休止、そして20:00の『Mステ』は80分繰り下げ、21:54の『報道ステーション』は22:14開始に変更された。 3月6日 合体3時間SP『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春だ!映画だ!3時間アニメ祭り』を放送。19:00からは『クレしん』の10分拡大だが、19:35からは前年公開された『新・のび太の大魔境 〜ペコと5人の探検隊〜』を地上波初放送。 4月10日 合体3時間SP『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春だ!映画だ!3時間アニメ祭り』の第2弾を放送。今回は前回とは逆に、19:00からは『ドラえもん』の14分拡大放送、19:44からは『クレヨンしんちゃん』の劇場版『ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』を地上波初放送、この年から『3時間アニメ祭り』は3月と4月の2回放送、3月は今まで通り劇場版『ドラえもん』、4月は劇場版『クレしん』を放送する事になる。またこの日からデータ放送「びっくりラッキーマンボ!」がスタートした。 5月15日 5月15日~7月10日放送分まで3本立ての構成となる。公式での通称は「ドラララ3(ドラララスリー)」。 6月19日 前日の18日に、第2作第1期でジャイアンを演じたたてかべ和也が死去。この日の放送分では、冒頭に追悼テロップを添えて放送した(後述)。 7月24日 2015年初の1時間スペシャル「夏祭りだよ!ドラえもん 1時間スペシャル」を放送。サバンナ・高橋茂雄がゲスト出演し、高橋自身が考案したひみつ道具を題材にしたエピソードが放送された。そのエピソード内で声優として出演した他、「びっくりラッキーマンボ!」では普段はドラえもんらが正答を発表しているものの、この回のみ高橋が発表した。 8月21日 この回のエンディングは、8月30日に同局の『日曜洋画劇場』で放送される『STAND BY ME ドラえもん』の宣伝を兼ねて、同作のハイライトシーンをバックに同作主題歌「ひまわりの約束」を流した。また『クレヨンしんちゃん』へのクロスプログラムの放送後、再び『STAND BY ME』の宣伝を行った。続く8月28日のエンディングも『STAND BY ME』のハイライトシーンと「ひまわりの約束」で構成した。 9月4日 「ドラえもん誕生日スペシャル」を1時間枠で放送。9nine・佐武宇綺がゲスト出演。 10月9日 番組ラストで、2016年公開の映画『新・のび太の日本誕生』のタイアップ企画「夢のペットコンテスト」を告知。 10月30日 『新・のび太の日本誕生』の応援ソング「ウンタカダンス」をエンディングでテレビ初披露。 11月27日 出木杉役の萩野志保子(テレビ朝日アナウンサー)が復帰。同月25日には、第2作第1期で出木杉を演じた白川澄子が死去。この日の放送分では、冒頭に追悼テロップを添えて放送した(後述)。 12月31日 「今年最後のドラ笑い!!大みそかだよ!ドラえもん1時間スペシャル」(16:30 - 17:30)を放送。地上波での午後4時台の放送は、番組開始以降初。また大晦日特番がオールノンプライム枠も史上初。 2016年 1月15日 「びっくりラッキーマンボ!」の映像(&データ画面)が『新・のび太の日本誕生』バージョンにリニューアル。 2月1日 CS放送ディズニー・チャンネルにて英語ローカライズ版(後述)の放送を開始。2か国語放送と字幕放送も実施していた。 2月19日 この日放送の『ミュージックステーション』に、『新・のび太の日本誕生』主題歌『空へ』を歌う山崎まさよしが出演、同番組にはドラえもんとのび太も出演した。 2月26日 エンディング曲が「空へ」に変更。 3月4日 『新・のび太の日本誕生』公開に合わせ、合体3時間SP『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春だ!映画だ!3時間アニメ祭り』を放送。19:00 - 19:44に『クレしん』の拡大版を放送し、19:44 - 21:48に前年公開の『のび太の宇宙英雄記』を地上波初放送。 3月11日 合体SPでは映画抜き・1時間SP『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春のアニメ祭り』を、19:00 - 19:54で放送。 4月1日 『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春だ!映画だ!3時間アニメ祭り』の第2弾を放送。今回は前回とは逆に、19:00からは『ドラえもん』の拡大版、19:35からは『クレヨンしんちゃん オラの引越し物語 サボテン大襲撃』を地上波初放送。 4月15日 テレビ東京の『ポケットモンスター XY&Z』の放送枠が18:55 - 19:25に変更(5分繰り上げ)されたため、本作は「19時台アニメでは唯一の19:00開始」となった。 5月6日 エンディングが「ウンタカダンス」に戻る。映像の途中で、全国の視聴者から寄せられたダンス動画が挿入された。 6月3日 「びっくりラッキーマンボ!」では、この回で金マンボウを出したジャイアンがサッカー日本代表のユニフォーム姿となって、直後番組『キリンカップサッカー2016』中継(日本×ブルガリア)の告知(クロスプログラム)をした後、今度は同試合開催地・豊田スタジアムからの告知となった。 6月10日 副音声での解説放送を実施。『ドラえもん』の解説放送は先述の2015年8月30日に『日曜洋画劇場』で放送された『STAND BY ME ドラえもん』以来で、レギュラー放送では初。ただし不定期での実施。 7月22日 「夏祭り特別企画」と銘打ち、前半は「3センチのび太の大冒険」、後半は来年春に公開される新作映画特集と、「テレビ朝日・六本木ヒルズ 夏祭り SUMMER STATION」内で行われるドラえもん関連イベントを紹介。 7月29日 通常通りの2本の他、今回も「サマステ」イベントを紹介。 8月5日 『夏祭りだよ! ドラえもん クレヨンしんちゃん アニメ1時間SP』を放送。 10月14日 サブタイトル画面が変更。 10月28日 10月20日に、日本テレビ版でジャイアンを演じ、第2作第1期で骨川スネ夫を演じた肝付兼太が死去。この日の放送分では、冒頭に追悼テロップを添えて放送した(後述)。『ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険』の応援ソング「パオパオダンス」をエンディングでテレビ初披露。 12月9日 この日から始まる『フィギュアスケートグランプリファイナル2016』中継告知のため、この回の「びっくりラッキーマンボ!」はフィギュアスケーターの織田信成が、着ぐるみのドラえもん・のび太と担当した。 12月31日 「大みそかだよ!ドラえもん1時間スペシャル!!」(16:30 - 17:30)を放送。パーマン生誕50周年を記念する形で藤子・F・不二雄ミュージアムで上映されていた「Fキャラオールスターズ大集合 ドラえもん&パーマン 危機一髪!?」を地上波初放送。 2017年 2月24日 この日の放送で、『のび太の南極カチコチ大冒険』の主題歌を担当する平井堅が本人役で出演。またこの日放送の『ミュージックステーション』では、平井に加えゲスト声優を務める織田・浅田舞、ドラえもんも出演した。 3月3日 『のび太の南極カチコチ大冒険』の公開に合わせ、合体3時間SP『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春だ!映画だ!3時間アニメ祭り』を放送。19:00 - 19:38は『クレしん』の拡大版、19:38 - 21:48は『新・のび太の日本誕生』を地上波初放送。 3月17日 『のび太の南極カチコチ大冒険』の関連作品として「迷子のパオパオ」を放送。この回をもって「びっくりラッキーマンボ!」は終了。 4月7日 『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春だ!映画だ!3時間アニメ祭り』の第2弾を放送。19:00 - 19:42は『ドラえもん』通常放送、19:42 - 21:48は『クレしん』劇場版『クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃』を地上波初放送。この回からデータ放送「ドラガオじゃんけん」がスタート。 5月19日 - 6月23日 OPが「キミがもう一度みたい話」と銘打ち、過去放送した作品の中から取り上げ、名場面を放送。 6月9日 6月15日の「ジャイアンの誕生日」に先駆け、ジャイアンの新キャラクターソング「ありがとう、オーレ!」をEDで発表。 6月30日 テレビ朝日の局イベント「SUMMER STATION」で行われるドラえもん関連イベントを紹介。 7月28日 『あの名作が帰ってくる!ドラえもん夏の1時間スペシャル』を1時間枠で放送。この回よりキャラクターデザイン・美術・色彩設計が変更された。スタッフ面では監督が2005年のリニューアルから務めていた善聡一郎から八鍬新之介に交代し、新たにチーフディレクターとして大杉宜弘が登板した。この回よりミニドラの声優があかいとまとから金元寿子に交代。また、オープニング映像も新しくなったほか、サブタイトルアニメーションの音楽も新しいものに変更された。 8月4日 2017年初の1時間合体SP『夏祭りだよ! ドラえもん・クレヨンしんちゃん アニメ1時間SP』を放送。この回からエンディングテーマが「踊れ・どれ・ドラ・ドラえもん音頭2017」に変更。「SUMMER STATION」内でドラえもん・のび太の着ぐるみ人形が客と一緒に踊るVTR映像が流れた。 8月18日 この回からサブタイトル画面右下に脚本、演出、絵コンテのクレジットのテロップが表示されるようになる。 9月1日 『ドラえもん誕生日スペシャル』を1時間枠で放送。サブタイトル場面、次回予告、本編BGMが再度リニューアルされた。 9月8日 エンディングテーマが「ドラえもんえかきうた」(2017年バージョン)に変更。 10月20日 『のび太の宝島』宣伝を兼ねた「宝島クイズ」がスタート。クイズ作家の古川洋平がクイズ監修を担当。 12月1日 『のび太の宝島』予告編を放送。 12月31日 「大みそかだよ!ドラえもん1時間スペシャル」(16:30 - 17:30)を放送。 2018年 1月7日 「ドラえもん クレヨンしんちゃん 2018年冬のアニメ祭り」を放送。本作を10:00 - 10:58に、『クレしん』を10:58 - 11:50に、それぞれ放送。本作としては初めて日曜日午前に放送された(『日曜ワイド』枠外)。 1月12日 「ドラガオじゃんけん」データ画面が『のび太の宝島』バージョンとなり、担当したドラえもんは海賊の扮装で登場した。 2月2日 エンディングが『のび太の宝島』仕様、テーマは星野源による同作主題歌『ドラえもん』に変更。 2月25日 『のび太の宝島』の公開に合わせ、2013年公開作品の『のび太のひみつ道具博物館』を10:00 - 11:50(『日曜ワイド』枠外)に放送。データ放送では「ドラガオじゃんけん」は行わず、替わりにリモコン操作で「キャプテンドラえもん号」内のドラえもんを動かし、宝(どら焼き)を一定以上入手する、『のび太の宝島』タイアップ企画「キャプテンドラえもん号 たんけんゲーム」に変更した。また、この日の『サンデーステーション』にドラえもんが3DCGで登場(この日は本作の特集として放送)し、同番組のVTRに星野が出演した。 3月2日 『のび太の宝島』の公開に合わせ、合体3時間SP『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春だ!映画だ!3時間アニメ祭り』を放送。19:00 - 19:41は『クレしん』の拡大版、19:41 - 21:48は『のび太の南極カチコチ大冒険』を地上波初放送。 3月9日 『のび太の宝島』の関連作品として「ほどほど宝島」を放送。映画公開後の最初のアニメが映画関連作品であるのは2年連続。「ドラガオじゃんけん」は、『のび太の宝島』でゲスト出演している高橋茂雄(サバンナ)が担当、2018年では初のドラえもん以外が担当、同時に「ドラガオじゃんけん」初の実写映像となった。また、この回をもって八鍬新之介が監督を降板したとみられ、公式サイトのスタッフページからも名前が削除された。次回放送の4月6日分では八鍬の名前がクレジットされなくなり、監督が不在となった。 3月20日 本シリーズ放送開始から2012年まで総監督を務めた楠葉宏三が死去。 4月6日 『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春だ!映画だ!3時間アニメ祭り』の第2弾を放送。第1部は『ドラえもん』拡大版、第2部は『クレヨンしんちゃん 襲来!!宇宙人シリリ』を地上波初放送。 4月13日 『のび太の宝島』関連企画として、冒頭にミニ料理コーナー「宝島クッキング」を放送し、レシピの詳細は番組公式サイトで掲載された。 5月18日 この日からスタッフロールのサブタイトル名に原作作品が掲載されているコミック名と巻数(「てんとう虫コミックス第◯巻より」など)が併記されるようになった。 6月15日 ジャイアンの誕生日を記念して、ジャイアンが中心となるエピソード「ジャイアンの子守歌」と「おれさまをグレードアップ」を放送、エンディングテーマは「ありがとう、オーレ!」。 7月20日 「SUMMER STATION」で行われるドラえもん関連イベントの模様を放送。エンディングテーマは『踊れ・どれ・ドラ・ドラえもん音頭2017』に変更。 8月3日 この回のエンディングテーマは『のび太くん0点』。 9月7日 『ドラえもん誕生日スペシャル』を1時間枠で放送。朴璐美、茅野愛衣がゲスト出演。この回のエンディングテーマは『ハッピー☆ラッキー・バースデー!』 10月12日 テレビ東京『ポケットモンスター サン&ムーン』が日曜6時に移動したことに伴い、この日からゴールデンタイムのアニメで唯一の30分アニメとなった。 10月26日 『のび太の月面探査記』宣伝を兼ねた「クイズは月をめぐる」もスタート。脚本は福島直浩が、絵コンテ・演出は三宅綱太郞が担当。考証を甲谷保和(はまぎん こども宇宙科学館)が担当する。 11月9日 テレビ朝日系列のテレビドラマ『相棒』とのコラボレーションとして、同作で杉下右京役を務める水谷豊と冠城亘役を務める反町隆史がゲスト出演。この回では、ドラえもんとのび太が見ているテレビで放送されるドラマ『あい棒』に登場する。 12月7日 「クイズは月をめぐる」はこの日が最後となった。 12月18日 CS放送「テレ朝チャンネル1」にて初めて2017年のリニューアル後の放送を開始した。 12月31日 CS放送「テレ朝チャンネル1」にて「大みそかだよ!ドラえもん歴代大みそかドカンと36時間スペシャル一挙放送SP!!」で2005年以降の作品を放送、終了後地上波で「大みそかだよ!ドラえもん1時間スペシャル」(17:00 - 18:00)を放送。 2019年 1月25日・2月8日 両回の「ドラガオじゃんけん」は、『のび太の月面探査記』で声優として出演する中岡創一(ロッチ)が担当。 2月22日 エンディングテーマが『のび太の月面探査記』の主題歌である『THE GIFT』に変更。 3月1日 『のび太の月面探査記』の公開に合わせ、合体3時間SP『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春だ!映画だ!3時間アニメ祭り』を放送。19:00 - 19:36は『クレしん』の拡大版、19:36 - 21:48は『のび太の宝島』を地上波初放送。後述する枠移動の影響で合体特番はこの年で最後となった。 4月5日 テレビアニメ放送40周年記念を記念し、期間限定主題歌として「ドラえもんのうた」が「ドラえもんのうた 40th」として復活。 5月10日 テレビアニメ放送40周年記念を記念し、期間限定エンディングとして「ぼくドラえもん」が「ぼくドラえもん 40th」として復活。 7月19日 「40周年だよ!ドラえもん1時間スペシャル!」を放送。本編の合間にはひみつ道具コンテストの最優秀作品をショートアニメ化したものが放送され、2本目と3本目の間には1979年に放送された第2作第1期第8話「恐竜ハンター」がHDリマスターで再放送された(「ゆめの町ノビタランド」とは違い本編のみ放送、サブタイトル部分では当時の出演声優が併記されている)。 8月23日 この日の放送の中、「ガワラオニ」の映像を流用する形で10月5日より放送時間が土曜日17:00 - 17:30(同時ネットのANNフルネット局のみ。遅れネット局は従前通りの時間で継続)に枠移動することが発表された。 9月6日 『お引越し記念!ドラえもん誕生日スペシャル』を誕生日スペシャルとしては初の2時間枠で放送。12年間オープニングテーマとして使用された『夢をかなえてドラえもん』は今回で最後となったため、オープニングでは第2作第1期・本作の歴代主題歌をメドレーで放送した後、前半は「未来の迷宮(ラビリンス) おかし城(キャッスル)」を、後半は2017年放送の「謎のピラミッド!? エジプト大冒険」を放送。終盤には「ドラえもんのお引越し!?」と題した短編エピソードの形式で枠移動後の新主題歌・新企画などを発表した。金曜日19時の放送はこの回をもって終了。なお、朝日放送テレビはミニ番組『ココイロ』を放送した関係で19:04に飛び乗りしたためメドレーは放送していない。これに配慮しメドレー・CM後の前半開始前にもう一度タイトルを表示した。9月29日:『ドラえもん&クレヨンしんちゃん お引越し直前アニメ祭り』をスペシャルサンデー枠で放送。本作を10:00 - 10:58に、『クレしん』を10:58 - 11:45に、それぞれ放送。両作とも新作エピソードが放送されず、中編エピソードと「ドラえもんのお引越し!?」の再放送で構成された。 9月30日 この日からテレビ朝日朝の情報番組『グッド!モーニング』の時報画面に、野原しんのすけと共に登場。また夕方の報道番組『スーパーJチャンネル』のワンコーナー「633天気」にも、ドラえもんとのび太・野原しんのすけとシロが1か月交代で登場、『ドラえもん』の時は原っぱ、『クレしん』の時は野原家に、それぞれ天気画面が映される様になった。 10月5日 開始以来長らく金曜日19:00 - 19:30で放送されたが、この日から土曜日17:00 - 17:30へ枠移動し、オープニングテーマが「ドラえもん」に変更。同時にスネ夫がサバンナの高橋茂雄とその回に放送された話と次回の話について語るエンディングコーナー「スネ夫としげお」も開始。また、枠移動を記念してサンリオが制作したショートアニメがBパート前半開始前→Bパート後半開始時にアイキャッチとして使用開始、また、スタッフ面では、チーフディレクターが大杉宜弘から善聡一郎に交代した。監督のクレジットは引き続きされていない。 10月12日 令和元年東日本台風(台風19号)の発生を受けANN報道特別番組(実質的には『ANNスーパーJチャンネル』の拡大部分)が編成され急遽休止。その日の放送予定分は翌週に延期された。 11月9日 この回よりBパートで不定期に過去作の再放送を行うようになる。 12月28日 この日放送の通常版で年内放送は終了。大晦日の前日に前倒しで放送する年を含むと、2010年以来年末特番は無しになった。この日はNHK総合テレビでも、原作生誕50周年を記念した特別番組『ドラえもん50周年 みんなみんなかなえてくれる〜ひみつ道具と科学〜』を放送(19:30 - 20:45)、2局でドラえもん関連の番組が放送された。 2020年 1月11日 この回は「スネ夫としげお」は休止。エンディングテーマが復活し『のび太の新恐竜』の主題歌であるMr.Childrenの『Birthday』に変更。「ドラガオじゃんけん」のデータ画面も『のび太の新恐竜』バージョンに変更。 1月25日 「スネ夫としげお」が『のび太の新恐竜』にちなみ「スネ夫としげおの君も今日から恐竜博士」にリニューアルして放送。 2月29日 この日は通常放送に加え、『のび太の月面探査記』が18:56 - 20:54に地上波初放送された。『ドラえもん』の映画が金曜日以外に地上波初放送されるのは、『のび太と奇跡の島 〜アニマル アドベンチャー〜』以来約7年ぶりである。 3月21日 冒頭部分で『のび太の新恐竜』の正式な公開日が「8月7日」になる事を発表。これに伴い、EDで表示されていた公開日のクレジットも「近日公開」から「8月7日公開」になった。 3月28日 この日から新型コロナウイルス感染症の流行により、Bパートの前後でドラえもんが手洗い、うがいを啓発するアニメーションが流れる。 4月3日 BS朝日にて地上波から6日遅れでネットを開始。 4月4日 この回から、2枚の画像の内その回に出た道具を当てる「ひみつ道具記憶力クイズ」を放送。また、チーフディレクターが善聡一郎から小倉宏文に交代し、監督としてクレジットされるようになった。 4月25日 オープニング映像を『のび太の新恐竜』公開に合わせて一部変更。 9月5日 『50周年だよ!ドラえもん誕生日スペシャル!』を16:30 - 17:30に1時間枠で放送。放送時間の移動後、初の特別編成かつ誕生日スペシャルとなる。これまでの誕生日スペシャルとは異なり、通常のスペシャルと同じく短編で構成されている。番組では星野源と高嶋ちさ子がゲスト出演、彼らにとって思い出に残る作品がリメイクして放送された。また原作生誕50周年を記念して、第2作第1期の映画第1作『のび太の恐竜』の短編版が初めてアニメ化された。この日はデータ放送が行われず、「ドラガオじゃんけん」も中止となった。 9月21日 この日放送された『キスマイ10周年でやれるかな? テレビ朝日人気番組の裏側に潜入しちゃった ほぼ3時間SP』で、Kis-My-Ft2の宮田俊哉が本作の収録スタジオに潜入取材した光景が放送された。 10月3日 「ドラガオじゃんけん」データ画面が通常版に戻る。 10月10日 番組EDで映画公開が延期になっていた『STAND BY ME ドラえもん 2』の正式な公開日が「11月20日」になる事を発表するとともに、最新映像と称して映画の予告編がオンエアされた。 10月17日 エンディングテーマが『STAND BY ME ドラえもん 2』の主題歌、菅田将暉が歌う『虹』に変更。 12月6日 『STAND BY ME ドラえもん 2』公開に合わせ、『新作映画公開記念!!これを見ればもっと楽しめる!ドラえもん名作アニメSP』を『スペシャルサンデー』枠で放送。同映画の元となった「おばあちゃんのおもいで」(2011年6月24日放送)と「ぼくの生まれた日」(2008年4月25日放送)、そして映画前作『STAND BY ME ドラえもん』の元となった「雪山のロマンス」(2013年12月30日放送)及び「ためしにさようなら」(2008年5月2日放送)の計4本を再放送する。ナビゲーター出演は「入れかえロープ」役の羽鳥慎一。 12月31日 「大みそかだよ!ドラえもん1時間スペシャル」(16:30 - 17:30)を2年ぶりに放送。 2021年 1月9日 エンディングテーマが『のび太の宇宙小戦争 2021』の主題歌であるOfficial髭男dismが歌う『Universe』に変更。あわせて「ドラガオじゃんけん」も『のび太の宇宙小戦争 2021』バージョンに変更。 1月16日 『映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争 2021』の主題歌を担当するOfficial髭男dismメンバー全員が本人役でゲスト声優として出演。また『のび太の宇宙小戦争 2021』の映画公開に先立ち、ミニチュア写真家・見立て作家の田中達也が映画タイトルの”リトル”にかけて、生活の中にあるいろいろなものを使ってドラえもんのリトルな世界を作るミニコーナー「リトルな世界」がスタート。 1月30日 「リトルな世界」放送後、昨年と同様ドラえもんによる『のび太の宇宙小戦争 2021』の公開延期の告知が流れた。これに伴い「ドラガオじゃんけん」も通常バージョンに戻されたが、昨年とは異なり公開日が「近日公開」とはクレジットされなかった。 5月1日 第2作第1期で音楽を担当した菊池俊輔が4月24日に死去したことを受け、Aパートでは冒頭に追悼メッセージのテロップを添えて放送した。Bパート終了後にミニコーナー「タケコプターで見にいこう!」がスタート。 7月10日 Bパート前にスネ夫がジャイアンとの会話形式でひみつ道具の使用方法などを紹介する「スネ夫が選んだ!夏のひみつ道具コレクション」がスタート。 7月17日 Bパート終了後に『のび太の宇宙小戦争 2021』の公開が来年3月4日に延期になった旨が発表された。 9月4日 『ドラえもん誕生日スペシャル』を18:56 - 19:54で放送。2年振りに誕生日SPがゴールデンタイム放送となる。前回のスペシャルと同じく短編で構成されているが、ドラえもんの誕生日に関連したストーリーが2年ぶりに放送された。また当日放送の通常枠は『誕生日SP』宣伝を兼ねた『ドラ誕2021 直前スペシャル』として放送。『のび太の恐竜』短編版の再放送とジャイアン役の木村昴が出演する実写コーナーで構成された。 10月9日 『秋のやってみようスペシャル』と題して、ドラえもん達が色々な事に挑戦する原作やアニメオリジナルの話を4週連続で放送。ドラえもん初の試みとして、テレビアニメ放送前後にYouTubeにて『空き地を覗き見』と題したラジオ形式でドラえもん達が会話するものも放送され、応募した人がアニメになってジャイアンリサイタルに参加できる企画も行われた。 12月31日 『ドラえもん1時間スペシャル!』(16:30 - 17:30)を放送。 2022年 1月8日 「ドラガオじゃんけん」のデータ画面が『映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争 2021』バージョンに戻される。 2月26日 『のび太の宇宙小戦争 2021』公開を記念して、『のび太の新恐竜』をテレビ初放送(18:56 - 20:54)。実写コーナーでは松岡茉優が出演。なお当日と翌週には早朝5:20に『ドラえもん傑作選』を放送。 3月12日 18:56番組『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』の「博士ちゃん発明家発表会」にドラえもんが着ぐるみでゲスト出演、また発明品紹介場面では出木杉がアニメキャラでゲスト出演した。 4月2日 提供クレジットから白テロップを撤廃(一部企業は除く)しカラー表記に統一。「ドラガオじゃんけん」データ画面が通常バージョンに戻る。 2022年 6月11日 6月15日のジャイアンの誕生日に合わせ、『ジャイアン誕生日スペシャル』と銘打ってジャイアンの誕生日に関するエピソードを放送。番組終盤に新曲『ジャイアントドリーム』を発表。初めてモーションキャプチャで制作された3DCGのジャイアンが登場。[34]
※この「主な歴史」の解説は、「ドラえもん (2005年のテレビアニメ)」の解説の一部です。
「主な歴史」を含む「ドラえもん (2005年のテレビアニメ)」の記事については、「ドラえもん (2005年のテレビアニメ)」の概要を参照ください。
主な歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/03/24 15:20 UTC 版)
1970年 - 第1回演奏会を広島市青少年センター大ホールにて開催 1973年 - 会場を広島郵便貯金会館ホールに移動 1975年 - 合同演奏において、客演指揮者制度を導入 1988年 - 広島メンネルコール離脱のため、休演 1989年 - 広島オルフェオン、広島市役者合唱団が加わり、4団体の演奏会として再開。 1998年 - 会場を広島郵便貯金ホールから、広島国際会議場フェニックスホールへ移動 2000年 - 「さよならコンサート」として開催し、31年の歴史に幕を下ろした。
※この「主な歴史」の解説は、「男声合唱の夕べ」の解説の一部です。
「主な歴史」を含む「男声合唱の夕べ」の記事については、「男声合唱の夕べ」の概要を参照ください。
主な歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/23 01:13 UTC 版)
ウエスチングハウスによって海洋研究所(Office Francais de Recherches Sous-Marine)とジャック=イヴ・クストーの為に建造された。最初の設計は1955年に出来、耐圧殻(SP-300)の試験は1957年に行われたが、ロープが切れて3280ft (1000m)に沈没した。この損失の後、2番目の耐圧殻が建造された。(後にSP-350 又は Deniseと命名) SP-350の最初の試験は1959年に行われ1960年に最初の試験運用が始まった。1959年から1970年まで約750回(2000時間)潜水した。 1976年、ブリタニック号の最初の調査の時にクストーはSP-350を残骸の調査に使用した。それには沈没した客船を見る為に特別な乗客も乗った。:William Tantum (タイタニック歴史学会の会長), Sheila Macbeth Mitchell (船の看護士だった人物)と Mikis Theodorakis (有名なギリシャの作曲家)である。
※この「主な歴史」の解説は、「SP-350」の解説の一部です。
「主な歴史」を含む「SP-350」の記事については、「SP-350」の概要を参照ください。
主な歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/02 02:59 UTC 版)
1990年 宮平保が日本国沖縄県浦添市に設立。設立当初の名称は天行健中国武術協会で、1996年に常設道場開設により天行健中国武術館に改称。 2000年 天行健中国武術館創立10周年記念チャリティー演武大会を開催。 2010年 天行健中国武術館創立20周年記念チャリティー演武大会を開催 2013年 浦添市経塚に天行健中国武術館総本部新館をオープン。
※この「主な歴史」の解説は、「天行健中国武術館」の解説の一部です。
「主な歴史」を含む「天行健中国武術館」の記事については、「天行健中国武術館」の概要を参照ください。
主な歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 00:23 UTC 版)
最初期に現れたリフティングボディ機はアメリカの航空機設計家ビンセント・ブルネリが1921年に開発したRB-1である。RB-1は胴体幅が広く、その機軸にそった縦断面が分厚い翼型をしている特異な外観の複葉機であり、胴体で発生する揚力が機体の浮揚に貢献する設計となっていた。以後もブルネリは同様の航空機を設計したが、その多くは必要となる浮揚力の半分程度を胴体で発生させるというものであった。ただしブルネリの設計は後述するNASAの実験機のように高速性を狙ったものではなく、浮揚力の増大による効率の改善と搭載量の増加を意図したものであり、それは現代のBWBに通じるものであった。 リフティングボディがその狭義の概念と代表的な形態を確立するのは1950年代に本格的な宇宙開発が開始された後のことである。当時の宇宙船は大気圏への再突入時に滑空性と操舵性が考慮されていないカプセル型のものであったが、1950年代半ばにNACA(NASAの前身)のエームズ研究所が通常の飛行機と同様の着陸によって基地へ帰還できるような宇宙船の発案を行い、リフティングボディの概念が形成されることとなった。 エームズ研究所の案を初めて実行に移したのはドライデン飛行研究所のデール・リード(Dale Reed)率いるチームであり、1962年から機体の試作を行った。そうして翌1963年、外皮に合板を使ったグライダーであるM2-F1が完成し、自動車や輸送機に曳航されて空力特性のテストが行われた。さらに同年、M2-F1で得られたデータを基に大出力ロケットエンジンXLR-11を搭載した全金属製の後継機M2-F2の製作が開始され、1966年にノースロップの手によって完成し、B-52に懸架されて空中分離・滑空試験が行われた。このM2-F2は1967年に着陸事故を起こしてひどく損傷したものの、事故の教訓から機体後部中央に垂直安定板を新設したM2-F3として生まれ変わり、より安定性の高い機体となったことが確かめられた。 また同時期にNASAのラングレー研究所が設計し、ノースロップが製造したHL-10(en:Northrop HL-10)は1970年に有人リフティングボディ機の最高速度(高度約27,000mでマッハ1.86)を記録した。一方、1960年代末から1970年代初頭にNASAとアメリカ空軍の共同でM2シリーズを元に開発された大気圏再突入研究用の実験機X-23(高速試験用の無人機)およびX-24(低速試験用の有人機)はスペースシャトル開発やその後のXプレーンに繋がる有用なデータを残した。 さらに比較的最近では1997年にスケールド・コンポジッツにより製作された宇宙ステーションからの乗員帰還機(Crew Return Vehicle、略称CRV)のテストモデルであるX-38もX-24と同様のリフティングボディを採用し、パラシュートとパラフォイル(パラグライダーと同様)を使った安全な滑空と着陸の試験のために使用されていた。実はこれに先立つ1990年頃にも同様のコンセプトの基にHL-20 (HL-20 Personnel Launch System) というリフティングボディ機が計画され、フルスケールの機体モデルを用いた乗員の乗降テストや居住性に関する調査が行われている。また単段式宇宙往還機 (SSTO) の要素技術の一つであるスクラムジェットエンジンを備えた無人高速実験機X-43もリフティングボディ形態であり、2001年から試験を行い2004年にはマッハ9.8を記録した。 また、NASAが民間企業に対して出資しているISSへの乗員輸送機開発計画である商業乗員輸送開発 (CCDev) においては、シエラ・ネヴァダ・コーポレーションが2013年に試験機を完成させたドリームチェイサーや、オービタル・サイエンシズが2010年に提案したプロメテウスなどの、HL-20を基礎としたリフティングボディの宇宙往還機が提案された。 この他、アメリカ以外の国の宇宙往還機の設計案にもリフティングボディが取り入れられることが多く、例として、計画中止となったロシアのクリーペルや2007年現在開発が進行中の欧州宇宙機関のホッパーがある。また1990年代初頭にアメリカの航空技術者バーナビー・ウェインファン(Barnaby Wainfan)により開発されたホームビルト飛行機のファセットモービルや、2007年現在ドイツで開発中の水素燃料を用いた複座ジェット機スマートフィッシュなどがリフティングボディ機として言及されている。
※この「主な歴史」の解説は、「リフティングボディ」の解説の一部です。
「主な歴史」を含む「リフティングボディ」の記事については、「リフティングボディ」の概要を参照ください。
主な歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/08 08:04 UTC 版)
2009年1月7日 前身となるルブルチャットがサービス開始。 2009年2月22日 サービス開始。 2009年から2011年にかけて 公式ルームの一部がフリールームへ移動する。詳しい時期は不明。 2014年7月ごろ ルームの参加者数の上限が10名から12名となる。 2014年11月30日 公式ルーム「小学生」「中学生」「高校生」が開設される。 2016年7月5日 公式ルームだった小学生ルームがフリールームへ移動。 2016年12月13日 フリールーム数が初めて10万を突破。 2017年1月4日 ソースコードが改ざんされ、公式ルームにアクセスするとニコニコ動画に遷移してしまうというトラブルが発生。 2017年12月9日ごろ サイバー攻撃の影響によりアクセス不能となる。 2018年7月ごろ reCAPTCHAが実装。ルームに入室する際にロボット除け認証のクリアが必要となった。 2019年2月22日 10周年を迎える。利用者の間ではお祝いするコメントも散見された。
※この「主な歴史」の解説は、「ミナコイチャット」の解説の一部です。
「主な歴史」を含む「ミナコイチャット」の記事については、「ミナコイチャット」の概要を参照ください。
主な歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/08 05:07 UTC 版)
2004年から2006年を第一期、2007年から2009年を第二期、2010年以降を第三期と分ける。 2004年 6月 長野県信濃美術館所蔵の東山魁夷作品の借用の交渉を館長と行う。 7月 リトグラフの貸出許可が下りる。 10月9、10日 第一回 とがびプロジェクト2004開催。 「中学校を中心とした地域との参加交流型コミュニティー」主な出展者 東山魁夷、池田満寿夫、吉岡紳行、関野宏子+PLUG、圓井義典、門脇篤、など 2005年 1月8日~25日 長野県信濃美術館で、企画展『とがび2004まとめ展「学校が美術館になった日」』開催。 10月8日、9日 第二回 とがびプロジェクト2005開催。「中学校を美術館にしよう!」主な出展者 結城愛、室木おすし、関野宏子、天明屋尚、奈良美智、吉岡紳行、斎藤秀幸、ナカムラミツル、佐藤謙介、門脇篤、圓井義典、山元ゆり子、もりやゆき、ユミソン、など 10月15日、16日 千曲市総合観光会館に於いてとがび2005アンコール展開催。 2006年 10月8日、9日 第三回とがびアート・プロジェクト2006開催。 「中学校を美術館にしよう!」主な出展者 圓井義典、齋藤秀幸、木村仁、都梨恵、山元ゆり子、三木サチコ、もりやゆき、イイダミカ、太田伸幸、白幡淳弘、塩川岳、宮澤真、門脇篤、ユミソン、鈴木貴美子、飛矢崎真守、多摩美術大学、ほか 2007年 10月6日、7日 第四回とがびアート・プロジェクト2007 開催。主な出展者 東御市梅野記念絵画館の協力により(梅原龍三郎、森本秀、青木繁)、圓井義典、木村仁、塩川岳、住中浩史、水内貴英、森本秀樹、ヤノベケンジ、たかはしびわ、丸子修学館高校美術部、ほか 2008年 10月12日 第五回メガとがびアート・プロジェクト2008開催。主な出展者 酒井博之、ながはり朱実、宮沢真、久塚真央、柿崎順一、たかはしびわ、圓井義典、丸子修学館高等学校美術部、上田西高等学校美術部、など 2009年 9月20日、21日 第六回メガとがびアート・プロジェクト2009開催。主な出展者 増山士郎、久恒亜由美、住中浩史、圓井義典、大岩由佳、百瀬文、丸子修学館高等学校美術部、上田西高等学校美術部、上田染谷丘高等学校美術班、山梨県甲府市立城南中学校、など 2010年 10月10日 第七回メガとがびアート・プロジェクト2010開催。主な出展者 水谷優香、住中浩史、大岩由佳、圓井義典、塩川岳、帯川みなみ、木村仁、桃蓮華鏡、尾花藍子、山本耕一郎、もなこさいと@egb.jp、児玉やすつぐ、丸子修学館高等学校美術部、上田西高等学校美術部、上田染谷丘高等学校美術班、京都造形芸術大学、ひるおん、など 2011年 10月9日 第八回メガとがびアート・プロジェクト2011開催。主な出展者 伊豆牧子、池山田、尾花藍子、柿崎順一+NE PROJECT、児玉やすつぐ、住中浩史、世界装置、クリスパー、Fuigo、山本耕一郎、圓井義典、桃蓮華鏡、信濃美術館・東山魁夷館、櫻ヶ岡中学校 美術部(さくらび)、北部中学校、長野県養護学校、丸子修学館高校美術部、上田西高等学校美術部、上田染谷丘高等学校美術班、など 2012年 10月7日 第九回メガとがびアート・プロジェクト2012開催。 2013年 10月13日 第十回とがびアート・プロジェクト2013開催。主な出展者 信濃美術館・東山魁夷館、住中浩史、桃蓮華鏡、長野市立裾花中学校美術部、丸子修学館高校美術部、上田西高等学校美術部、上田東高等学校美術部、上田染谷丘高等学校美術班、軽井沢高校
※この「主な歴史」の解説は、「とがび」の解説の一部です。
「主な歴史」を含む「とがび」の記事については、「とがび」の概要を参照ください。
主な歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 03:18 UTC 版)
1929年に初めて空輸による貨物輸送を行うが、世界恐慌を受けて一旦運休となる。 1953年には、北米内の路線に限られたものの、再び航空便で貨物を運ぶようになる。 1981年、貨物輸送用の航空機を初めて購入する。 1985年からはヨーロッパなどへの路線も開設し、成長が進む。 1988年にようやく正式な貨物航空会社として認められ、以降、アメリカを代表する貨物航空会社として活躍を続けている。 1990年、アジアへの定期便運航がスタートする。
※この「主な歴史」の解説は、「UPS航空」の解説の一部です。
「主な歴史」を含む「UPS航空」の記事については、「UPS航空」の概要を参照ください。
- 主な歴史のページへのリンク