潜入取材
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 02:12 UTC 版)
1949年2月16日、大森と小西は倉敷署の吉井署長から協力を得て、岡田更生館に入所することとなる。吉井が朝に散歩していたところ、両名を倉敷駅付近で発見したことにして密かに留置場に拘束したのである。大森は北朝鮮、小西は満州からの引揚げ軍人という設定にし、担当した刑事によって岡田更生館に引き渡されることとなった。入所してからも、施設の事務所で取り調べを受けている。これは両名が共産党員の潜入ではないかと疑われたからである(赤狩りを参照)。食事は悪臭を放つ泥のような雑炊であり、飲むのをためらったという。疥癬に罹った同部屋の収容者たちが、就寝の消灯後に体を掻きむしる様子も大森によって目撃されている。 入所2日目、大森は脱走者がどのような目に遭うのか知るため、脱走を企てた。小西からは特ダネであることから、あと1週間程度潜入期間を延ばそうと反対されるも、実情に耐えかねてその日に決行した。すぐさま全館に脱走を報せる非常警鐘が鳴り、十数名の指導員によって大森と小西は捕らえられた。事務所に連行された大森は危険を察知し、自らが新聞記者であることを明かした。そして、目の前にあった電話で毎日新聞社の待機班に救出を要請した。 電話を受けるとすぐさま待機班が乗用車とオートバイで現場に駆け付け、大森の案内の元でカメラマンの向井が現場の証拠写真を次々と撮影していった。事務所では更生館の帳簿を押さえようとする小西らと、N館長以下が書類を奪い合ったという。
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